第10話

 グォォォォォーッ!


 怒号とともに、魔王の左手がエミリに直撃する……その、寸前だった。



「グア……グアオァァァちょっとまって!」



「え……?」

 その、岩を割るような叫び声は魔王……ではない。魔王と相対あいたいしていた、エミリだ。


 ……グ? ……グアァァァ!

 一瞬驚いて動きを止めた魔王が、また攻撃を開始しようとする。しかし、エミリはまた、

「だから……グアオァァァちょっとまってってば!」

 と、まるで魔王の叫び声・・・・・・のような声を出して、魔王の動きを止めてしまうのだった。



「エ、エミリ……それは……」

「ヘヘ……」

 アレサの問いに、彼女は少し照れるように、はにかみながら答える。

「あたしの世界だとさ。全然知らない外国語を日常生活で困らないレベルまで使えるようになるのに、だいたい二千時間くらい勉強しなくちゃいけない、とか言われてんだよね。だから、この『ネイティブスピーカーと三十分実践会話コース』を千回くらい繰り返せば……日常生活とは言わなくても、とりあえず簡単な意思疎通くらいは出来るようになるかなー、って思ってたんだけどね。でも結局……全部で五千回以上繰り返すことになっちった。五千だよ、五千⁉ あー、長かったー! やっぱ、教科書とか辞書とか無いのは、普通にキツいって! ってか、だいたいあたし、英語だってすごい苦手なんだからねっ⁉」

「え……? 外国語……? ネイティブ、スピーカー……って……」


 それからエミリは、

グオウ魔王……ガオオウあたしたちはグワあんたとガウガウ話がしたい。だけど……ニャウ今はグアオァァァちょっとまってて

 と言って魔王の動きを止めてから、今度はアレサに向き直って、

「これが、あたしたちが本当にやりたかったこと。『ウィリアと二人で魔王と戦いたい』って言ってたアレサの言葉を無視してでも、あたしたちがここに戻ってきた理由。あたしたちが考えた……『ただ魔王を倒す』ことよりも、ずっと『あんたらしい魔王戦』をするために絶対に必要だったもの。つまりつまりぃ……『魔王語の通訳』だよーんっ!」

 と言った。



 もはや、偶然や勢いだけのハッタリではないことは明らかだった。

 異世界転生者にして、『時間跳躍タイム・リープ』の能力を持っていたエミリは、実はさっき二位パーティと一緒に現れて魔王と戦っていた時間を、何度も何度も繰り返していた。そして……その中で魔王が発した「言葉」や「行動」を覚えて、その意味を考えていたのだ。


 例えば。

 攻撃を受けた魔王が反撃を行うとき……そのときに発する「叫び声」は、きっと「怒りの感情」を表現しているはずだ。

 あるいは。

 あまりにも強力で、どうやっても避けられないような攻撃によって、自分の死を確信したとき……たとえ最強の魔王でも普通の人間と同じように、「悲しみを表す言葉」をこぼすのではないか?


 そんなふうに。

 エミリは、イアンナを含む二位パーティやオルテイジアと協力して、魔王の「言葉」を引き出していた。ナンナの歌うアイドルソングの曲順やその曲調をコントロールすることで指示を出して、仲間にさまざまなバリエーションの攻撃をさせ、それに対する魔王のさまざまなリアクションを引き出した。そして、「魔王が使っている言葉」を調べていたのだ。


 戦いを長引かせれば、魔王城という有利なホームにいる魔王の攻撃によって、いつかはこちらが倒されてしまう。だから、その戦いは長くても一回あたりせいぜい三十分しかもたなかった――まさに、『ネイティブスピーカーと三十分実践会話コース』だ。

 エミリはその三十分を「五千回以上」繰り返し……限りなく少ないヒントを少しずつ少しずつかき集めて形にしていって……ついに、教科書も辞書もない「魔王語」を解析して、魔王と簡単な意思疎通を成立させるだけの語学力を手に入れてしまったのだった。



「そ、そんな……。そんなの、まさか……。あは……あはは」

 そのあまりの凄まじさに、思わず笑ってしまうアレサ。だが、それが事実であるということは、疑っていない。

 自分の知っているエミリなら……かつての自分の仲間たちならば、そんなことだってやりかねない。

 それくらいに、彼女たちはすごい人たちだった。尊敬できる人たちだった。そんなことは、アレサにはとっくに分かっていたのだから。



 しかし、それでもまだ分からないのは、

「で、でも……な、なんで……?」

「えー?」

「貴女たちが今、なんだかすごいことをしてるってのは、分かったけど……だけど、どうしてこれが、普通に戦うよりも私らしい『私のわがまま』になるのよ⁉」

「……ふふ」

 そこでエミリは、イタズラっ子のような笑みをアレサに浮かべて、言った。


「だって、アレサ自身が言ったんじゃん? 『優しい人は、戦うよりもまず説得する』って。『問答無用で戦いを挑んだりしない』って。もともとそれは、アレサがあたしに言ってくれた言葉だけど……でも……だったら私なんかより、よっぽどあんたの方がそれに当てはまるはずでしょ? あんたは、自分が危なくなることも構わないで、あたしたちを守るためにパーティからクビにしちゃうくらい、優しい子なんだから。だからあたしたちは、分かったんだよ。アレサは本当は『ウィリアと二人で魔王と戦いたい』んじゃなくて……そもそも、『魔王と戦いたくない』んだ、って。どうにか戦わなくて済むように、『魔王を説得したい』はずだ、って。……それができないのはきっと、魔王と言葉が通じないからだ、って」

「エミリ……」


 それは、事実だった。

 幼い頃から、周囲の人間がウィリアに向ける勇者の重圧を、間違っていると言ってきたアレサ……。同じウィリアを愛する者同士として、オルテイジアと正々堂々誠意ある真剣勝負をするような彼女は……自分以外の立場に立って、ものを考えられる人間だった。自分の願いと同じくらい、他人の願いを尊重出来る人間だった。

 そんな彼女の「本気」が、『魔王をただ倒す』ことで、満たされるはずがなかった。彼女はむしろ、そんなことはしたくないとずっと考えていた。


 それをエミリに指摘されてアレサは……純粋に、嬉しいと思った。自分の気持ちを分かってくれる人がいることが、とても喜ばしいことなのだと知るのだった。

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