第8話

「に、2……4……6……!」

 イアンナが、サムライのレナカと格闘家スズの二人に対して、同時に【風】の付与術を有効化していく。しかも、今までは呪術師ミョルミョルに2つを同時に付与したのが最大だったが、今は二人に対して3つを同時掛けしている。

 いや、それだけではなく……。

「……は、8っ!」

 彼女は自分が同時に使える最大の8つの付与術で、スピードアップの【風】を3つ、攻撃力アップの【矛】1つを、レナカとスズの二人にそれぞれ有効化したのだ。


 実は、複数の付与術を一度に同じ対象にかけるというのは、とても難しいことだった。

 何も考えずにかけた場合、最初に有効化された付与術の効果があとから有効化した効果と互いにぶつかり合って打ち消し合って、消えてしまう。付与術のインの位置や、それを有効化する手順をかなりシビアに考える必要があり、その数が多ければ多いほど指数関数的に難易度が高くなるのだ。

 だから、いくら天才付与術師のイアンナといっても、二人に対してそれぞれ4つの付与術を有効化することはいつものように一瞬にはできなかった。さっきのスズの「猫だまし」は、魔王の動きを止めて、その時間を稼ぐための作戦だったのだ。


 そして、ついに必要な付与術が有効化され、準備が整ったレナカとスズの二人が、作戦の最終段階に移行しようとした。

 だが……。


「あ、あぅぅっ⁉」

 そこで、イアンナが悲鳴のような声を漏らした。

 それと同時に、完全に完成したかに思えたレナカたちの付与術が、あっさり解除されてしまう。


 プレッシャー耐性のないイアンナが、付与術の有効化の手順を間違えた。それによって、せっかく出来上がっていた【風】×3、【矛】×1の付与術のバランスが崩れ、その効果が互いに喧嘩して打ち消しあい、失われてしまったのだった。


「ご、ご、ごめんなさいぃー!」

 なきだしそうな声で、かろうじてそれだけ言うイアンナ。雪山で遭難したのかと思うほど、体は震え、顔は真っ青に変わる。しかも……。


 グオォォーッ!

 そこでちょうど「猫だまし」の効果が切れた魔王が、怒りのこぶしをレナカとスズに向けてきていた。


「あ、あぁっ!」

 気づいたイアンナは、レナカたちを守るためにダメージ無効の【盾】の付与術を掛けようとする。だが、さっきの失敗のショックがまだ残っていて、上手く魔力をコントロールすることができない。

 そんな彼女に、

「イアンナっ!」

 二位パーティリーダーのレナカが叫んだ。


「私たちのことはいいですから! あなたは、あなたが今、すべきことを!」

「で、でも……」

「私たちを……あなたの仲間を、信じてください!」

「……⁉」

 魔王の大きな手による攻撃は、今にもレナカ、スズに直撃しそうだ。しかし、レナカもスズも、その場所から少しも動こうとしない。逃げ出そうとしていない。


 それは……彼女たちが次に動くのは、「イアンナが全ての付与術を掛け終わったあと」という作戦だからだ。ここにくるまでに事前に全員で話し合ってきた「打ち合わせ」で、そう決めたからだ。

 自分たちなら……そしてイアンナなら、それが出来るとレナカたちは信じているからだ。


「……はい!」

 イアンナは、もう一度最初から付与術を有効化し始める。

 もちろん、魔王がそれを待ってくれるはずはない。その大きな手が、さらに加速度と攻撃力を増して向かってくる。

 しかし、イアンナはもう、それに怯えて勝手な行動をとったりはしない。レナカたちが自分を信じてくれるように。自分も、自分の新しい仲間のことを信じている。だから、今自分がすべきこと……レナカたちに対する付与術を完成させるということに、全力をつくしていたから。


 そして……ついに魔王の手がレナカたちのもとに届き、彼女たちの小さな体をあっさりと吹き飛ばした……かと思えたが。

 その手は彼女たちに直撃する寸前で停止し、微動だにしなくなってしまった。


 グッ……⁉


我血濃ガチコイ・逝臓器ジェノセイド……みゃ」

 その言葉は、呪術師のミョルミョルだ。

「どえりゃあ時間かかったけど、もうその手はいごかんでな。まあちいとにゃー、おとなしくしとってちょう」 


 実は。

 彼女は最初の攻撃のときに既に、「噛んだ場所を腐らせる呪術」の他に、もう一つ別の呪術を仕込んでいた。魔王の腕を噛むと同時に、「自分の血を相手の体内に潜り込ませることによって、相手の体の自由を奪う」という呪術を同時に使っていたのだ。


 もともと、噛んだ瞬間に送り込んだ血の量に対して、魔王の体はあまりにも大きかった。そのうえ、一度魔王が自分の手を捨てて改めて新しい手を生み出してしまったことで、呪術の効果を発揮するミョルミョルの血の割合はかなり減ってしまっていた。

 しかし、ようやく今になって、その効果が現れたということらしい。



「おみゃーのペースでええだで、まっぺん落ち着いていこみゃあ?」

 ミョルミョルは、相変わらずの意味不明なダークエルフ語とともに、イアンナに微笑みかける。

「……うん! ミョルちゃん、ありがとう!」

 その行動に一瞬だけ目頭を熱くしたイアンナは、しかし、その気持ちに応えるためにもすぐに自分の仕事に戻る。


「2……4……6…………」

 ……そして。

「…………8っ! できました!」

 今度は完璧に、レナカとスズの二人に4つずつ……全部で8つの付与術を、完成させた。


「はい!」「うむ!」

 それを合図に、前衛の二人が同時に動き出す。


 アレサたちと戦ったときの、【風】が1つだけのときでも、まさに突風と見間違うほどのスピードだった。

 あるいは、さっきの【風】2つ掛けのミョルミョルなんて、ほとんど動きが見えなくなっていた。

 だが、今の二人はさらにその上を行くスピードだ。その速度は、既に音速程度なら軽く超えているだろう。


 もちろん、そんな凄まじい速度が加われば、それだけでも衝撃や抵抗はかなりのものになる。達人級の僧侶ナンナの回復魔法がなければ、レナカもスズも、少し動くだけで衝撃波で自滅していたはずだ。

 更に、どれだけスピードが速くなっても、いつの間にか魔法で大地を変形させて都合のいい足場をつくってくれていた魔導士ハルがいなければ、二人はせいぜい巨大な魔王の足元を攻撃することしかできなかっただろう。

 二位パーティ全員――もちろん、その中にはイアンナも含まれている――の息のあったコンビネーションがあったからこそ、その「合体技」は完成したのだった。



「不刀流奥義……」「七曜拳……」

 レナカは左から、格闘家スズは右から、魔法によって盛り上がった魔王城の床を階段のように上っていく。そして、目にも止まらないほどの超スピードに乗せて、【矛】によって強化された渾身の一撃を、魔王の左右それぞれの死角から同時に放った。


「「不観不要ミズイラズ!」」



 それは、かつてアレサが彼女たちと戦ったときにも見たのと、同じ技。だが、あのときの「イアンナが勝手に付与術を解除したことによってバランスが悪くなってしまった出来損ないの技」とは、全く違っていた。

 付け入るスキなんて微塵もない、絶対に回避も防御も不可能。しかも、明らかに急所である魔王の首元を寸分違わず狙っている、文字通りの必殺技。たとえ最凶最悪のラスボスの魔王であっても、それを受けては生きていられない。

 もはや、その場の誰もが魔王の死を確信するほど、完璧に決まった技だった。


 そう……。

 魔王自身も、さすがにその技の凄まじさの前では、自らの敗北と、死を確信せざるを得なかった。


 紫色の左目から、何かの液体が一雫こぼれ落ちる。それによって、宝石のようなその目をひときわ輝かせながら……。


 グ……ウ、ウ、ウゥ……。


 そんな、悲しそうなうめき声をあげるのだった。

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