第12話
「ウィリア……」
眼の前で涙を流しながら、可愛らしく微笑んでいるウィリア。
彼女がさっき言ってくれた言葉は、いつもは、アレサのほうから誘っていたことだった。いつもはアレサのほうがウィリアにキスやハグを迫り、その度に「私は勇者だから、王女だから」という理由で断られていた。
それなのに、今はそれを彼女のほうから誘っている。
本当なら、ずっとしたかったことなのに。
アレサには、それを喜ぶことができなかった。むしろ、ウィリアにそんな言葉を言わせてしまっている自分の不甲斐なさに、絶望さえ感じていた。
それは……。
自分たちには、もうそういう行為をする機会はない、ということを意味するからだ。自分たちはもう、結婚することは出来ない。今日が終わってしまえば、魔女の自分は王女様のウィリアと結婚することも、キスやハグをすることもできなくなる。
アレサにはもう、ウィリアを幸せにすることはできない。それを、ウィリアから言われたようなものなのだ。
「アレサ、ちゃん……」
ウィリアがアレサの首に、両腕を絡ませてくる。体を抱き寄せて、うっとりと
「……いいよ」
彼女の唇が、自分の唇に近づいてくる。
みずみずしく輝くピンク色が、その弾力をアピールするようにぷるぷると揺れながら、どんどん大きくなっていく。それに触れることができたなら、きっと、他のことなんて全部どうでもいいと確信できる。そんな、幸せの象徴とも言えるウィリアの唇が、アレサにキスを迫ってくる。
「いい、よ……」
ウィリアがまた、同じ言葉を繰り返す。
まるで、自分自身に言い聞かせているかのように……。
「ウィリア……」
体を寄せているアレサには、分かってしまう。
彼女が、震えていること。今もまた、
アレサが彼女と初めて会ったあの日、大人たちに囲まれながら訓練を積んでいたときと、同じ涙を。
そうだ……。
あの日、幼いアレサが飛び出したのは、ウィリアのその涙を見たからだ。
大人たちの中でたった一人孤独に震えながら、誰にも見えないように泣いていた少女。彼女を、助けたいと思ったからだ。
それ、なのに……。
今の自分は、ウィリアにあの日と同じ思いをさせてしまっている。
彼女を助けたいと思って、知識と力を身につけたのに。どこまでも彼女の味方をすると、あの日の自分と約束したのに。そんな自分自身が、彼女を悲しませてしまっている。彼女に、孤独を感じさせてしまっている……。
何しているの! あなたがそんなことでどうするのよ⁉ しっかりしなさい!
もしも今の自分を「あの日の自分」が見たら、そんなふうに怒られてしまいそうだ。
「……ああ」
そこで、アレサは完全に理解する。
賢者としてこれまでウィリアと一緒に冒険をしてきたあいだ、彼女が一度も、今と同じ表情を見せなかったのはどうしてか。孤独に震えて涙を流さなかったのは、どうしてか。
大人たちの都合で責任を押し付けられた彼女が、いままで『適当勇者』でいられたのは、どうしてか。
彼女が、自分は勇者だという責任感を持っていられたから?
……違う。
魔王を倒して、誰からも祝福される結婚式をあげられるから?
……違う。
それは、自分がいたからだ。
世界中の誰よりも彼女のことを愛していて……世界中の誰よりも彼女が愛している……自分がそばにいたからだ。『世界一愚かな賢者』のアレサ・ウィンスレッドの笑顔で、彼女の孤独を忘れさせることが出来ていたからだ。
自分が彼女のためにするべきだったのは、それを、絶やさないことだけだったんだ。
「ふふ……。私も、まだまだね……」
ウィリアの唇が、自分の唇に接触する直前で……アレサが人差し指で、それを止める。それもやはり、いつもとは立場が逆だ。
「アレサ、ちゃん……?」
戸惑うウィリアを見つめる。愛する人の顔が、今も震えている。それは、初めて会った日の、まだ子供だった彼女の姿と重なる。
「ごめんなさい、ウィリア……。貴女に、またそんな顔をさせてしまって……」
アレサは手を動かし、ウィリアの涙をぬぐう。そして、絡みつく彼女の体を、自分から優しく離した。
「ウィリア……私たちは、結婚するのよね?」
「え……」
アレサの行動に、戸惑うウィリア。
「で、でも……。明日になったらアレサちゃんとはお別れで……。魔王を倒すのも勇者のオルティちゃんだから、結婚の恩赦ももらえなくて……」
「そんなの、関係ないわ」
しっかり目線を合わせながら、アレサは首を振る。
「ウィリア……私は貴女を幸せにする。私は貴女と結婚して……貴女が望む『一番の幸せ』を、貴女にプレゼントする。そう決めたの。あの日、貴女と自分自身に約束したのよ? だから、それがどれだけ大変で困難なことであろうとも、必ず実現してみせる。……いいえ、実現できる! だって私は、世界一の賢者だもの! ウィリアへの想いだけで世界一の力を手に入れてしまうくらいに貴女のことが大好きな……『世界一愚かな賢者』なんだもの! そんな私が、貴女を幸せに出来ないはずがないでしょう⁉」
「アレサ……ちゃん……」
「ウィリア……大好きよ、貴女のこと! 誰よりもずっとっ!」
あの日の言葉を、繰り返すアレサ。
それから彼女はウィリアの手を強く握り、満面の笑みを向けた。
「ウィリアと私は結婚する。その未来は、『あの日』から今も何も変わっていないわ。私たちの愛も、少しも薄れていない。だったら、焦る必要なんてないわよ。だから、さっきの続きは、結婚してからのお楽しみ……ね?」
「……っ」
一瞬言葉を失うウィリア。しかし、彼女はそれから、
「うん!」
と大きく頷いた。
その時の彼女の瞳には、また大粒の涙が流れていた。
しかし、それはアレサと初めて会ったときの孤独な涙とも……妖精の国でアレサの告白を優しく拒絶した日のものとも……全然違っている。
春の日差しのように柔らかく暖かい喜びと、希望に満ちた涙だった。
……………………………………………………
次の日。
再び、勇者オルテイジアと相対するアレサとウィリア。
「アレサ……覚悟は決まったか?」
「ええ」
そこは、辺境の街ラムルディーアの居住地域とは少し離れた場所にある、今はもう使っていない区域だ。かつては教会などがあったようだが、モンスターたちに支配されていたころにすべて破壊され、現在では建物の土台部分くらいしか残っていない。街の自警団の防衛ライン外にあるため、人もめったに寄り付かない。
「オルテイジア……貴女が用意したシナリオに、従うことにしたわ」
「そうか。それでは、これでアレサとはお別れだな。『魔女』疑惑のあるお前を、いつまでもウィリア姫と一緒にいさせるわけにはいかない。今日からは、勇者の私がウィリア姫と一緒に……」
「いいえ」
ウィリアに伸ばしたオルテイジアの手を、アレサが遮る。
「な、何を⁉」
「ただし! 貴女のシナリオには、こんなエピローグを付け足させてもらうわ!」
それから彼女は、思いもよらない行動に驚いているオルテイジアに向かって、得意げにこう言った。
「悪霊に憑依されて、ゴールバーグ王家を操っていた少女は……実は、ただの村娘なんかではなかったの! 魔法を極めた最強の賢者にして、誰よりもウィリア姫のことを愛する……アレサ・ウィンスレッドだったのよ! 彼女のその愛の力は、伝説の勇者なんかよりもはるかに強かった! だから、いくら勇者オルテイジアでも、ウィリア姫の護衛はその賢者アレサに任せて、自分は大人しく引き下がるしかなかった! そしてそして……最強の愛の力で魔王を倒して平和を取り戻したアレサとウィリア姫は、世界中のみんなから祝福されながら結婚して、幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし……ってね!」
「バ、バカなっ⁉」
オルテイジアの表情が、怒りでこわばる。
「ウィリア姫を守るのも、魔王を倒すのも、勇者であるこの私だ! 最強の称号は、この私にこそふさわしいのだ! だ、だから、そんな私が引き下がるはずがないだろう!」
まるでクビを宣告されたときのように、憤慨するオルテイジア。
そして、やはりクビを宣告したときのように、アレサも憎たらしい笑みを浮かべている。
「いいえ。貴女は大人しく引き下がるしかないはずよ。だって、そうでしょう? 勇者だろがなんだろうが……貴女は、私よりも圧倒的に弱いんだもの。ウィリアの安全と、魔王を確実に倒すことを考えたら……どちらも、自分よりも強い私に任せるしかないはずよ?」
「く、下らない! お前ごときが、この勇者の私よりも強いだと⁉ 昨日、この私にこっぴどくやられたことをもう忘れたというのか⁉」
「ふふ……今日の私が、昨日と同じだなんて思わないほうがいいわよ? だって、昨日はまだ気づいてなかったんだから。ウィリアへの、自分の想いの強さを。ウィリアを幸せにするという自分の使命を。それに……貴女の弱点をね」
「……な、何、だと?」
「オルテイジア……貴女だって、とっくに分かっているはずよ? 貴女には、致命的な弱点があるってこと。だから、この私には絶対に勝てないってこと。あえてヒントをあげるなら……その弱点を導くカギは、昨日貴女がとった
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