第11話

 ウィリアを初めて見た日のことを、思い出す。

 まだアレサが賢者でもなければ魔法も使えない、ただの幼い子供だったころのことだ。


 その日は、何かのお祭りのイベントとして、ゴールバーグ王国の城の庭園が一般公開されていた。きれいに手入れされた広い庭園には大道芸人やたくさんの屋台がならんでいて、とても騒がしい。

 そんな庭園に親と一緒にやってきていたアレサは、苦手な喧騒を避けるうちに迷子になってしまって……。気づいたら、王宮騎士団の野外練習場のような場所にやってきていた。


 さっきまでの、屋台の呼び込みの声や、大道芸に対する拍手、酔っ払いの笑い声とは全然違う、殺気と緊迫感に満ちた空間。当時の騎士団長を中心にして、他の騎士団――その中には、まだ成人に満たない歳のオルテイジアもいる――たちが、切磋琢磨しながら己の剣と体をぶつかり合わせている。体中に傷や怪我を負いながら、敵を殺す技術を磨いている。

 当時まだ五、六歳だったアレサにとってそれは、それまで全く知ることがなかった世界だった。


 他の大人たちが見れば、「それだけ一生懸命になって、国や国民を守る力を磨いているのか! なんて頼もしい!」と称賛するところだろう。しかしまだ子供だったアレサがその光景を見て浮かべた感情は……純粋な、恐怖だった。

 何も知らない自分たちが、大道芸を見たり美味しいものを食べたりして笑っている一方で、その裏では、こんな恐ろしい訓練が行われている。自分たちが享受している平和な暮らしは、こんな暴力がなければ手に入らない、守ることのできないものなのか……と子供ながらに感じ取り、恐怖したのだ。


 しかも……。

 その騎士団の実技訓練の中には、他の屈強な騎士たちに比べるとあまりにも小柄で、か弱そうな少女がいた。


 幼いアレサにも、その少女がゴールバーグ王国のウィリア王女だということは、すぐに分かった。勇者の血を引く彼女は、勇者として必要な剣術や体力を身につけるために物心ついたときから厳しい訓練を積んでいる、というのは有名な話だったから。



 キィーンッ!

「姫、太刀筋たちすじが甘いです!」

「……はいっ!」


 カァンッ!

「すぐに気を抜かない!」

「はいっ! すいません!」


 シュッ……キィン!

 ウィリアの剣が弾き飛ばされる。

 そのときちょうどウィリアの相手をしていたオルテイジアが、無防備になった彼女の顔面に自分の剣を突きつける。

「まだまだ! そんなことでは、勇者は名乗れませんよ!」

「……はい! もう一度、お願いします!」



「何……これ……」

 その光景を目にしたアレサは、震えていた。


 もちろんそれは、あくまでも戦闘技術の訓練行為だ。勇者の血を引くウィリアが、その肩書にふさわしい強さを手に入れることを目的として行われているもので、ウィリア本人も望んでいることだ。王女であるウィリアが怪我をしないようにという、気遣いもある。使っている剣も、もちろん真剣ではない。

 それでも……幼いアレサの目には、その光景はこう見えたことだろう。

 自分と同じくらいの一人の少女を、複数の大人がとり囲んで痛めつけている……と。


 そこからアレサの心に生まれたのは、さっきまでと同じ恐怖心……。そして、それを遥かに超えるほどに大きな、怒りの感情だった。


 こんなことは、間違っている。

 たとえ、どんな理由があったとしても……こんな小さな子供に、こんなことを強いるのはおかしい。何も知らない者たちが平和を享受している裏で、子供にこんなつらい思いをさせるなんて……誰かの笑顔のために、誰かが泣いている世界なんて……おかしい!



 次の瞬間、アレサの体は勝手に動いていた。

 慣れた動作で、ウィリアに斬りかかるオルテイジア。その二人の間に、アレサが素早く割り込む。


「やめなさいっ!」

 ウィリアの前で、自分の身を盾にするように、両腕を広げる。

「え? だ、誰?」

 突然出しゃばってきた知らない子供に、周囲の騎士団はもちろんのこと、守られているはずのウィリアさえも戸惑っている。

「やめなさい、って言ってるのよっ! 彼女……嫌がってるでしょ!」

「あ、あのー……これ、訓練だから……」

 しかし、幼いながらもすでにその時点でその王国内ナンバー1の「空気の読めなさ」を誇っていたアレサは、得意げに、

「ウィリア王女、もう大丈夫よ! 今のうちに、どこかに逃げなさい!」

 なんて言って、後ろのウィリアに微笑むだけだ。

「い、いや……だから……」


 全然話を聞いてくれそうにない物分りの悪い子供アレサに、誰もがどうすればいいかと困っていたところで……。

「たぁぁーっ!」

 偶然その場に居合わせた、「空気の読めなさ」は王国内ナンバー2、「アドリブのきかなさ」はナンバー1のオルテイジアが、ウィリアの前にアレサがいることなんて気にせずに、そのまま振りかぶった剣を振り下ろす。

 その結果、ウィリアを守る形で立ちはだかっていたアレサの頭に……そのお望み通りに、オルテイジアの模造刀がヒットした。

「ぎゃうっ!」

「あ……」



 その後のことは、アレサはあまり覚えていない。頭を強打して気絶してしまって、記憶が曖昧になってしまったのだ。自宅のベッドで目覚めたあと、王女や騎士団に迷惑をかけたことを両親からめちゃくちゃに怒られたような気もするが……今となっては、それも定かではない。

 ただ一つ彼女の頭に残っていたのは、あのとき見た少女ウィリアのこと。

 自分たちの平和のために大人たちに痛めつけられていた、まだ子供の勇者の姿だけだ。


 あれからアレサは、自分の周囲にどれだけ喜ばしいことが起きても、どれだけ楽しい出来事があっても、「あの少女は今もつらい思いをしているかもしれない」、「自分たちの幸せを守るために、今も勇者の責任を一人で背負って泣いているのかもしれない」……そんなことを思うようになっていた。すべての出来事を、純粋には喜べなくなってしまっていた。

 そして、そんな状況は正さなければいけないと思った。


 自分たちの幸せのしわ寄せを、勇者ウィリア一人に押し付けるなんて間違っている。世界を救う責任を、誰か一人が背負うなんておかしい。ウィリアが自分たちと同じように、何も気にせずに笑っていられる世界を作りたい。

 そう思った。


 そんなアレサが、自分が願う世界を実現するための知識と力を求めて、賢者の師匠に弟子入りするようになったのは、ある意味ではとても自然なことだったと言えるだろう。

 そして、常に勇者の笑顔を願い、勇者のことを考えていたアレサの強い想いが……やがて、ウィリア個人を愛する想いに変わり……彼女と結婚式――それは、すべての人から祝福される幸せの象徴だ――をあげたいと思うようになったのも、当たり前だったのだ。



 『世界一愚かな賢者』と呼ばれていたアレサは、ウィリアに一目惚れして、その恋心で賢者の力を手に入れた……と言われている。実際に、アレサ自身も周囲にはそう言っている。

 しかし実はそれは、少しだけ順序が逆だった。


 彼女の力の源泉は、もっと純粋な気持ちだ。勇者ウィリアを取り囲む状況への強い憤りと、それを正したいと願う強い正義感。アレサが抱いている世界一愚かなウィリアへの愛は、その根底に、深い人間愛のようなものがあったのだった。

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