第10話

 数時間後。

 アレサとウィリアは、辺境の街ラムルディーアからは少し離れた小高い丘にテントを広げ、野営をしていた。


 日はとっくに落ちて、あたりは真っ暗だ。周囲からは、野鳥や野犬のような鳴き声や物音が聞こえる。ただ、そういった野生の獣たちは焚火たきびの火を恐れているのか、近くまでは寄ってこない。同様に、アレサたちの強さを理解しているモンスターたちも、不用意に近づいてきたりはしない。

 だからその場で動いているのは、焚火の炎に合わせてゆらゆらと揺れているアレサとウィリアの影だけだった。



「……こーゆーの、久しぶりだね」

 ずっと続いていた沈黙を破って、ウィリアがつぶやく。

「そうね……いつもは、宿屋に泊まることが多かったから」


 冒険の途中で野営をすることは、普通の冒険者にとっては、ごく一般的なものだ。

 だが、勇者であり王女でもあるウィリアは、その「普通の冒険者」には当てはまらない。手持ちの金が少なかった冒険の序盤から、勇者に恩を売りたい村人NPCたちに宿賃を立て替えてもらったり、部屋を無償で提供してもらったりしてきたので、彼女たちには野営の必要性が少なかったのだ。

 あるとすればせいぜい、日帰りでは攻略しきれないほど長いダンジョンに挑戦しているとき。あるいは、人間用の居住施設がないような特殊な集落を訪れたときくらい。

 ただ、今日はそのどちらでもなく……『魔女』ということになっているアレサが宿屋に行くことができないから、だったのだが。



「覚えてる? 妖精の国に迷い込んだときも……宿屋もベッドも妖精サイズで、人間にはちっちゃすぎるからって、私たち、お花畑みたいなところで野営したんだよね?」

「ええ、もちろん覚えてるわ」

 それは、ウィリアが勇者パーティとして冒険を初めてまだ数ヶ月程度のころのことだ。そのころはまだ、勇者のウィリアと護衛のオルテイジア。そして、実力を認められてウィリアに同行することになった賢者アレサの、三人パーティだった。

 しかも、オルテイジアは妖精の国王と話があると言ってずっと別行動をしていた――今考えれば、彼女はそのとき妖精王と真の勇者としての話をしていたのだろう――ので、そのときの野営は、ほとんどずっとアレサとウィリアの二人きりだった。

 そして……実は二人にとってその夜は、とても特別な意味を持つ夜でもあった。


「あの夜は、すごかったなぁ……。地面一面に咲いていたいろんな色のお花が、魔法みたいにキラキラ光る花粉を飛ばしてて……。夜空にも、見たこともないくらいに大きなお星様がたくさん浮かんでいて……上も下も、眩しいくらいに輝いていて……」

「ふふ……実際、あの日は眩しすぎてなかなか寝付けなくて、次の日ちょっと寝不足だったものね」

「……うん、そーだね」

 アレサもウィリアも、その日の光景をありありと思い出すことができる。

 どんな高価な宝石や装飾品でも敵わないような、人知を超えた、妖精の国の美しい夜景。周囲の輝きに照らされてカラフルに染まったお互いの顔。その雰囲気に魅了され、二人とも、勇者でも賢者でもないただの少女のように心踊らせたこと。

 そして……。


「あの日……アレサちゃんは私に初めて、好きって言ってくれたんだよね」

「……ええ」

 あの日の夜、アレサは自分の気持ちをウィリアに初めて伝えたのだ。


 それはもしかしたらすでに、周知の事実だったのかもしれない。

 幼い頃にウィリアの姿を見かけ、「彼女が勇者として旅立つときのパーティメンバーになりたい」という理由だけで、賢者になってしまった『世界一愚かな賢者』。アレサのそんな噂は、とっくに王国側の人間のもとにも届いていた。

 だから、勇者パーティとして同行させる魔法使いを選ぶ場面においても、そんなアレサのことを反対する者は少なくなかった。「あまりにも王女に強い想いを持っている人物を、一緒に行かせるべきではない」と言って、別の魔法使いを推薦する者もいた。

 だが結局は、彼女の実力が他のどんな魔法使いよりも桁違いであるという事実で、しぶしぶ彼女が選ばれることになったのだ。



 ウィリア……好きよ、貴女のこと。誰よりもずっと……。

「……」

 妖精の国での夜、自分がウィリアに言った言葉を、頭の中で繰り返すアレサ。


 あの日から……いや、彼女がウィリアへの想いを自覚したときから、その気持ちは何も変わっていない。彼女のウィリアへの愛は、それが生まれた瞬間から純度100%のダイヤモンドのように揺るぎないものとして完成していて、アレサという人間の芯になっていた。

 だから……。


 ごめん……。アレサちゃんの気持ちは嬉しいけど……。

 私は……勇者で、王女様だから……。アレサちゃんの気持ちに応えることは、みんなの期待を裏切ることになっちゃうから……。


 あの日、そう言ってウィリアが自分を優しく拒絶したことも……アレサにとっては何の問題でもなかった。

 むしろ、そのときのウィリアの誠実な返事でアレサは確信することができた。

 自分のこの気持ちは……自分が勇気を振り絞ってこの気持ちを伝えたことは、無駄じゃなかった。自分の気持ちは……彼女を想う強い気持ちは、ちゃんと彼女に届いている。自分がウィリアを愛していることに、彼女はちゃんと応えてくれている。


 だからこそ彼女は、あんな表情・・・・・をしていたんだ。

 だからこそ……お互いの想いが通じ合ったことに対する温かい嬉し涙と……。その感情のままに、相手の胸に飛び込むことができない自分の立場に対する悔し涙……。その二つを、同時に流していたんだ。



「あ、流れ星」

 ウィリアが突然立ち上がって、夜空を指差す。

 あの妖精の国の、虹色に輝いていた夜空とはまるで違う、少し雲がかった普通の夜空だ。彼女の指差した先にも、流れ星なんて全然見えなかった。きっと、さっきの自分のセリフのあとの沈黙を、ごまかそうとしただけだろう。

 それからウィリアは空を差した手を下ろす。そして、アレサと囲んでいた焚き火から数歩歩いた。

「……」

 アレサは、焚き火の光が照らしているその背中から、目が離せない。


「きっと、オルティちゃんはさ……」

 ウィリアは背中を向けたまま、アレサに語り続ける。

 揺らめく光が作るそのシルエットは、今にも崩れ落ちそうなほど不安定で、初歩的な神聖魔法で消滅してしまう低レベルのゴーストのように、儚い。

「私たちに、最後に二人きりになる時間をくれたんだよね? 明日になったら、もう……私たちは一緒のパーティじゃいられなくなっちゃうから。もう、一緒に冒険することができなくなっちゃうから。王女様の私は、『魔女』だって疑われちゃったアレサちゃんと一緒にいることは出来ないから。魔王を倒しても結婚なんて……できなくなっちゃうから……」

「ウィリアっ!」

 アレサも立ち上がり、ウィリアの背中に手を伸ばそうとする。

 しかし、それよりも先にウィリアが振り返り、そんなアレサに微笑んで、言った。


「そんなアレサちゃんに……最後に私からの、とびっきりの大大大サービス! 今夜だけは、アレサちゃんが私にしたいこと……全部、私にしていいよ! その代わり、私がアレサちゃんにしたかったことも、全部しちゃうから! それで……それで……それが全部終わったら…………私の頭の中からアレサちゃんの記憶……全部、消してくれる?」


 その時のウィリアはいつものようにとても可愛らしい表情で……また、あの日・・・と同じような、複雑な感情が混じり合った涙を流していた。

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