見知らぬ街

迷った。おかしい。明らかに。僕はジグザグに道をたどりこそすれ、家に向かって突き進んでいたはずだ。なのに一向に見知った道にたどり着かない。日も暮れてしまい、あたりは暗い。懐中電灯など持っていない僕にはろくな明かりは街灯くらいしかないから早く路地裏を出たいのに、一向に大通りにすら出ない。どうしたものかと、標識すらろくにない道でどうすればいいのか。足も冒険心でごまかせないくらいには疲れている。どこかで休みたいなと思ったとき、家屋の向こうが明るいことに気がついた。ようやくスーパーでも見つけたかと期待して細道を通った。

 そこは明らかに僕の住んでいる地域などではなかった。昔ながらの広めの一本道でできた商店街。両脇の建物には飲食店や屋台が並んでいる。道にはあきらかに酔い潰れの青年が寝転んでいた。いくら地元に知らないところがあるとはいえ、こんな場所があったら話くらいは聞いているだろう。ここがどこか調べないと、商店街なら看板くらいはあるだろうと一本道の端まで歩いて行った。看板には「蕾落」とネオン管でできた文字が飾られていた。

「裏口からとは珍しい客もいたものだ。」

看板を商店街側から振り向くように見上げていた僕は、正面からやってきたらしい女の人に声をかけられた。顔立ちが整った平均的な背丈の女性だった。緩いつり目で両端が大きくはねた髪はまるで獣耳のようだった。

「歓迎しよう。」

見慣れぬ場所で見慣れぬ人に話しかけられた僕は警戒していたが、その言葉で少しだけ体がほぐれた。とはいえ、怪しいことに変わりはない。

「まだまだ警戒されているようだな。私の名前でも教えようか。私は妙会/たえという。おまえのような迷い人の案内も私の仕事だ。こおがどんな場所か知りたいのであれば、ついてこい。」

そういって僕の横を過ぎ去って、暗い夜の中で明るく賑わう商店街に入っていった。僕もそれに続いていった。

「街の名前はもう見ただろう。「蕾落街」という。看板に” 蕾落”としか書いていないのは、元々の看板がなんとか町みたいな看板でな、蕾落町だと語呂が悪いんで名前だけにしてある。」

街の看板も新しく作ったら良いんじゃないかと思った。でも街を歩いてみて感じた。多分そんなことをいちいち考えるような場所ではないのだ。

「ここにあるのは飲み屋と本屋だけだ。」

なるほど、確かに酒や何か肉を焼いているような匂いがする。シャッターが閉まっている店の前には酔い潰れた人が寝転がっている。寒くないのかと疑問に思ったが、ふと気がついてみれば、この街に入ってから寒さも暑さも感じていなかった。

「ここはな、そういう街だ。何もかもに嫌気がさした人間が集まって、嫌気の原因から逃げ切って、だらだら過ごす、逃避行の終着点だ。」

なるほど、酔って忘れるという名目の街であればいかにもな飲み屋が多いことはわかる。しかし、ならば本屋というのはどういう意味なのか。街を歩いている内に何軒かの本屋があったのでそのうちの一つをのぞいてみることにした。今時のチェーン店のような広々としたつくりではない。ガラス張りの引き戸で道と区切られ、店内も奥の棚なんかは埃をかぶっているような本屋だった。背表紙を見渡してみると、哲学、政治、生物などなど、開いてみればおよそ読み手に親切とはいえない、文字で埋め尽くされた本ばかりだった。

「どうだった?」

店の外で待っていた妙会さんが聞いてくる。

「酔ってる人には楽しめなさそうな専門書ばかりでした。」

したりといった顔で彼女は言ってくる。

「だろうな。実際酔って、話して、寝こけているような連中は読まん。だが、そうでないものが読む。酔い潰れているだけの街ではないのだ、ここは。」

そういってまた歩き出した。ずいぶんと足が速い。ついて行くだけで体力が削られる。僕もかなり歩くスピードは速いと自負しているのだが。頭の良い人間は歩くのが速いと来てからちょくちょく意識していたのだ。形だけの学歴に引け目を感じる僕がいくつか目に見える形でアピールする頭の良さの一つだ。それがこうも差をつけられているようでは、少々悲しくなる。これまた、今気づいたことだが、数時間歩き続けて疲れていたはずの足はまるでついさっき歩き始めたぐらいに回復していた。

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