第4話 美和子の風鈴 ①
重い足取りのまま彷徨い歩く。
なぜ? 私は断ってしまったのだろう。健太郎からのプロポーズを。
待ちに待った瞬間だったのに。
あれほど望んでいたのに……
挙句の果てに、きつい言葉を投げつけて彼を傷つけてしまった。
もう、終わりだわ。彼との仲も、私の人生も、何もかも終わり。
どうしてこんな風になってしまったんだろう。
幸せになりたくて。
ただひたすらに幸せになりたくて突っ走ってきただけなのに。
この期に及んで自分で自分の首を絞めるなんて、なんてこと!
怖気づいてしまった。そりゃそうよ。本当のことなんて話せないもの。
でも、それじゃあ、いつまでたっても幸せになんかなれない!
いつの間にか辿り着いたアパート。自室のベッドに頽れた。
こんなはずじゃ無かったのに―――
当然、健太郎は理由を知りたがった。
当たりまえよね。ちゃんと説明するのが礼儀。
でも……どうしても言えなかった。正直に話すくらいなら、別れた方がいい。
結局、美和子はまた転職をする羽目になった。だが、点々と転職を繰り返すような人間を雇ってくれるところは無く、今は派遣で食いつないでいる。
短大卒業後に入社した最初の会社では営業事務職。地味で引っ込み思案な美和子にとって、そこは『早く辞めろ』と言われているような職場だった。
このままじゃだめだ。それはわかっていても、自分に自信が持てない。
どうすれば良いかと途方に暮れていた時、会社近くの看板が目に留まった。
『プチ整形』
ほんの出来心だった。細くて表情が見えにくい目元を二重に整形したのだ。
効果てきめんだった。今まではじっと相手の顔を見つめて話を聞いているだけで、睨んでいるとか怖いとか言われてしまって深く傷ついていたのだが、もうそんなことを言う人はいなくなった。
自信というのは不思議なもので、一つ良い方へ転がり始めると、色々なことが後追い形式で同じ方向へ転がり始める。
今までは伏し目がちにぼそぼそと話していたせいで、良く聞き間違いをされたりしていたが、視線を合わせて話し始めたお陰で、声音も明るくはっきりとした話し方へと変わっていった。
味を占めた美和子は、今度は目の下のクマをとる。次は口元、次は鼻筋……次から次へと、お金を貯めては自分の顔を変え始めた。
初めのうちは、メスを使わない簡単な方法で小さな変化を楽しんでいた。
だが、もっともっとと欲が出る。
整形に気づいて違和感を覚えた人々の追求を避けるため、美和子は最初の転職を断行した。
美しくなり自信あふれる話し口調。転職は思っていた以上に上手くいった。
誰も自分の過去を知らない世界で、のびのびと演じる新しい自分。
言い寄る男性が増えてきて、いつの間にか有頂天になっていた。
自分で無い自分は楽しい。刹那を楽しめば、自ずと責任の取りようも軽くなっていく。
思わせぶりな態度を繰り返したり、一夜限りの享楽に身を委ねたり。
だが、そんな不誠実な態度は不誠実な人を呼び寄せた。再び会社での人間関係がギクシャクし始める。
追われるように仕事を辞め、二回目の転職をした。
それが、健太郎と出会った会社だった。
同期入社は二人だけ。自然と距離が近づいていく。
健太郎は今まで付き合ってきた男性とは全然違っていた。美和子の容姿に惹かれたと言うより、美和子の本質を理解してくれていた。
本当は引っ込み思案なところ。真面目で完璧主義なこと。
彼とだったら、本当の私として生きて行かれる。
初めて、結婚という未来を夢見た。
だが同時に恐怖も膨れ上がった。
健太郎は私の整形を知らない……それを知った時、彼はなんというだろうか?
彼は外見で人を判断するような人じゃ無い。だからきっと大丈夫。
そう心に言い聞かせて、何度真実を告げようと口を開いたことか。
でも結局、勇気が出なかった。
そして、待望の結婚の二文字が現実となった時、足元を掬われたような恐怖を覚えた。
もしも結婚して子供が生まれたら、どんな顔の子が生まれてくるのだろう。
昔の私とそっくりな子が産まれたら、健太郎さんは何を思うだろう。
やっぱり無理だ!
そうして、彼女はワザと健太郎を傷つけて別れる道を選んでしまった。
幸せになりたかっただけなのに。
本末転倒。
傷つけた罪悪感に押しつぶされそうになった。恋しい気持ちも降り積もる。
もうどうして良いのかわからなくなって、自殺方法まで調べ始める始末。
そんな時だった。
『捨てたい記憶、引き受けます!』の文字が目に飛び込んできたのは。
何これ? こんな怪しげなこと言って、いくらお金を取られるかわからないわ。
けれど指は意に反してクリックしていた。慌ててブラウザバックしようと思ったが、続く『忌まわしい記憶に振り回されて生きて行くのが辛いと思っている人に朗報です』の言葉に、涙が止まらなくなってしまった。
そっか……整形の記憶なんて無くなればいいんだわ。そうしたら、私は本当の意味で生まれ変われる。生まれた時からこの顔だったって思えたら、なんの心配も無いもの。
美和子は血を吐くような告白を、続くアンケートへと書き込んでいった。
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