幸と不幸 2

幸福感情の付与の何が問題なのか。

それは過剰だということだ。

本来なら良い気分になるぐらいの変化が激しすぎて肉体の許容量を超えてしまうのだ。

ならば、それを調整すれば良い。

マイズが放つ幸福感情に自分が知る不幸感情を混ぜる。

それがクロアの思いついた作戦だった。

過剰な幸福感情が問題だというのであれば、それを抑えればいい。

なによりこれはマイズの行為に干渉するものだ。

相手にするのがマイズだけになる。

さっきのようにマイズを介して伝わってくる視線も声も気にする必要は無い。

クロアはマイズの幸福感情の付与に意識を沿え直す。

相変わらず何をどう放出して幸福感情を付与しているのかは全く伝わってこない。

だがマイズの意識に沿って自分の意思を反映させる。

自分が拾われてから引っ切りなしに聞いてきた声や感情をマイズの意識に乗せる。

ひどい話ではあるけれど、相手の気分が悪くなるように、そうイメージしながら意識を重ね続けた。



管制室の者たちはその変化を認識していた。

皮肉な話だがマイズの救済の範囲が大きすぎることで被害者は断続的に出ていた。

しかし、それが収まってきた。

救済の範囲に入った人間が力なく倒れ絶命するだけの状態に変化が訪れた。

ある者は頭を抑えるだけで済み、ある者は倒れゆく周りの者に驚きつつも本人にはまるで影響がなかった。

極端な場合では暴力行為に奔る者まででてきた。

事態を把握したホーンズがモニターを眺める。

人々に変化が現われても、モニターに映る白い巨体に依然として変化は無い。



クロアは手応えを感じていた。

感触がないため自分からは状況が分からないが、マイズの視点を通して地上の様子が変わってきていることに気づく。

このまま続ければいつか倒れる人はいなくなるかもしれない。

だがその後はどうすればいい。

いつまでこうしていれば事態は収まるのか。

いつまでもこうしていなければならないのか。

そうクロアが考え始めたとき。

「どうして」

声が聞こえた。

だが、今まで聞こえていたあの黒い影の声では無い。

その声は透き通っていて高い。

「あなたは誰?」

クロアは聞き返す。

少しの間隔を開けて声は答える。

「名前なんて持ってないわ」

頭の中の声が大きくなる。

「やっとお出ましか!心をこれだけ侵食されてようやっと顔を出すとは!」

頭の声の内容から察するに、高い声の持ち主がこの白いマイズの自我だとわかる。

「私が話したいのはあなたじゃない」

高い声がそう告げると、頭の中の存在感が消える。

「どうして?」

先ほど告げられた質問が繰り返される。

「それはこっちが聞きたいわ」

誰かと話しているのは確かなのだが、精神が繋がり、見ている景色や感触を共有しているせいで、別の人格と自問自答しているような気になる。

「私はみんなを幸福にしたいだけなの」

高い声の主はそう答えた。

クロアは管制室のみんなやモニターから見えた逃げ惑う人々の様子を思い浮かべる。

「あなたのしてることはみんなを幸せにしないわ」

何も知らない、自分のことも分からない私でもそれだけは分かる。

そのクロアの結論は、新たな声とは相容れないものだった。

「なぜ?みんなこうなってると幸せなはずなのに」

視界が切り替わり、横たわった人たちが映る。

「みんな笑ってる。あの人たちとても辛そうだった。笑ってる人なんていなかった」

痩せこけた、着ている服もみすぼらしい人たちだった。

豊かな生活など送れていなかったことは容易に想像できた。

「でも今は笑ってる」

声が慈しむように言う。

「でも死んでる」

身も蓋もない表現だが、クロアにはそうとしか思えなかった。

生きる喜びとか希望みたいな話では無い。

彼らが笑っているのは見た目だけだ。

その命は既に尽きている。

例え死の間際、ほんの一瞬幸福だったとしてもそれに何の意味があるのか。

苦痛の生の末にある幸福な死、クロアはそれに意味を見出せなかった。

だから、高い声がいうことが理解できない。

なぜ、殺すことが人のためになるのか。

「殺すことで幸福が生まれるなら、それは正しいことだと思うの?」

クロアは、記憶のない身でありながら多少難しい言葉は問題なく話すことができた。

「生きることで不幸が生まれるのなら、それは素晴らしいことなの?」

声は対になる形で返してきた。

だが、クロアはそれこそがおかしいと感じた。

「あの人たちが欲しかったのは幸せな生活よ。幸せな終わりじゃ無いわ」

生きること、それは各々の幸福追求である。

何を幸福とするのか、それは個人が決める。

そして、それを求めるからこそ生きることに意味が生まれる。

「あなたがやってることは誰も望んでいないわ」

声は答えなかったが、体を強ばらせたような感覚は伝わってきた。

「あなたは不幸な生を否定したくて、幸福な死にたどり着いたのかもしれないけど。幸福な生を求めはしなかったの?」

なにも全てを否定する必要はないはずだ。

これだけの力をもってして、その結論に至ってしまったのは何故なのか。

「分からない。私はただみんなに幸せになってほしかっただけ」

そう聞いてクロアは少し合点がいった。

声の主が重視するのは幸せという状態だけなのだ。

そこに生や死も永遠や終わりも無い。

ただ幸せをばらまく存在。

それが声の正体なのだと。

だが、それは人間には劇薬過ぎる。

人の生には幸福も不幸もある。

どちらか片方の存在に傾いては人の営みを維持できない。

「多分、私たちはまだ足りないものがあると思うの」

異能を持ちながらそれを使いこなせず、方や不幸に苛まれる者、方や幸福を垂れ流す者。

どちらも自分の力を上手く使えているとは言いがたい。

「人を幸せにするのに、私は未熟なの?」

少しの間があった。

「あなたの隣で見させてもらうわ」

そう聞こえた直後、繋がっていた感覚が無くなった。

クロアは自分の体に戻ってきたのだ。

見上げたとき、そこにマイズはいなかった。

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