2-7 天使の孵化

一方、レイノルズ不在の管制室でも事態が動いていた。

「マイズ蛹蛹表層部に異変発生!!」

「何だ!何があった!?」

「蛹が収縮を始めました!」

「対象前面の頂天部から最下点に切れ目発生!!」

「孵化…してしまうのか…!?」

巨大な黒い人型の影、その顔、胸、腹が一筋の線で避ける。

切れ目の中から白いものが見える。

縦に筋の入った繊維状のものであることが分かる。

黒い表面、今となっては蛹の皮となったそれを押しのけてぬるりと白い物体がその身をあらわにする。

繊維状のものは髪だった。

白い中身が皮を押しのけて出てくるのと同時にフワリと周囲に広がる。

中身もまた明らかになる。

黒い影であったときと同じく人型の物体だった。

白い中身は黒い影とは前後逆の向きで飛び出ている。

影の前部分を映していた管制室のモニターで確認できるのは白い後ろ姿。

下半身は未だ蛹の中にあり、それを支えにしてか上半身を反らしてその身を完全に皮から出す。

腕は胸の前で組んでいるのか後ろからは全体が見えない。

上半身は体のうねりだけで蛹からよじりだしているらしかった。

反りきった姿勢になったことで管制室でも上下逆さの形でその顔を認めた。

口以外がなかった影のときとは異なり、目も鼻も口もある。

だがそれらは白亜の彫刻のように、表面の凹凸として形作られていた。

瞳孔すらないその白い平らな目は何も映さない。

少し開いた口から歯が垣間見えるが、影のときにあった笑みは消えている。

与える印象は影のときのそれとは別物だった。

汚れのない純白に染め上げられた長髪の美しい女性型の巨人。

孵化が始まった。

白影はしばらく反ったそのままの姿勢でいた。

故に、それを見ていた者たちは白影の様子をじっくりと観察できた。

服を着ていないマネキンのように、男女の身体的特徴を都合良く掛け合わせたような造形だ。

長い髪は孵化したときの靡きを最後に垂れ下がったまま、風に吹かれることもない。

やがて、組んでいた腕を広げ始める。

同時に体の両側からも腕が2本ずつ生え始める。

背中からは突起が生え、広く、薄く伸びていく。

6本の腕が広げられたとき、突起は背中から生えた2対の羽になっていた。

だが、その羽は未だしなびて縮こまっている。

上の腕2本を伸ばし、黒い皮の頭であった部分を掴む。

既に中身もなく、身をよじり出したせいで皺もできているその皮は掴んだ力に負けることなく空中に固定されたままだ。

それを支えに掴んだ腕を曲げ、上半身を起こす。

上体が起きたことで、縮んだ羽の付いたその背中があらわになる。

白影は数時間その姿勢で留まった。

一夜かけて白い小さな羽は美しい大翼へと開いていった。

明朝、翼が開いたそのとき、白影は皮を掴んでいた腕に力を入れ直す。

そして体を少し持ち上げると、腹部を動かす。

その力によって、ついには下半身の皮も切れ目から大きく裂け、足が表出する。

上半身と同じくその身は真っ白であった。

皮から腕が離され、その身が重力に引かれるように落下する。

海に着いた足が海面を乱し、高波と共に小さな雨を降らせる。

白影は、実態を持たない身でありながら、まるで実態があるかのように落下と着水という動作を見せた。

海に足をつけたまま佇む白影は、かつての自分である黒い抜け殻をしばらくの間見つめる。

表面の凹凸でしかないその目からは、その意図を垣間見ることはできない。

一本の腕を振り上げ、抜け殻を払う。

黒い皮は空中から離れ、水面に落ちる。

皮は海に溶けるように姿を消した。

巨体が振り向く。

彫像のような無機質な顔がついに人へと向けられる。

翼を携えた多腕の出で立ちは神話で語られるような存在を連想させる。

だが、その白い救世主は決して人類のためになる存在ではなかった。

救済を執行する。

救済が執行される。

人類が望む幸福を、人類が望まぬ形で与える救済が。

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