1-3 声

おそい。

少女は不満だった。

仕事がいつ終わるかわからないとはいえ、夜になって一度ベッドから抜け出してあの公園まで行くほどの時間が経ってもシュドが帰ってこなかったからだ。

こうなったら好き勝手うろついてやろう。

どうせ知らない場所なのだ。

どこに行っても知らない場所なのだから、動いた方が得るものもあるだろう。

とはいえ、そうすれば人と会う可能性は否定できない。

シュド以外の人に近づくと聞くに堪えない言葉が頭を埋めてくる。

それは避けたいが、今から探しに行くのがその解決策当人なのだ。

目的が堂々巡りになって、考えるのが面倒になった末、結局少女は出歩くことをやめることにした。

暇なので今日は寝ようと上半身を倒して目を閉じたとき、声が聞こえた。

昼間のことを思い出して少女は身構えたが、聞こえた声は一つだけであった。

それも言語とは思えない意味不明な言葉を放っている。

声が聞こえる。

近くに人がいないか見渡したが、人はいなかった。

誰の声なのか。

近くにいないのに聞こえるというのは、どういうことなのか。

未だに聞こえはするが、声が一つだけという事もあって昼のときほどうるさくは感じない。

むしろこの声に頭を埋められている方が、人に出会っても問題ないかもしれない。

そう考えた少女はベッドを飛び出した。

人に出会うのに時間はかからなかった。

見回りらしき二人組に声をかけられた。

「あなたは、医務室に運ばれた…」

少女はシュドの所在を訪ねる。

「彼に会いたいの?でも彼今管制室にいるらしいから…」

それはどこなのだろうか。

この建物の構造はさっぱり分からないけれど、少女には思い当たる節があった。

「ちょっと待って!」

走り去る少女を片方の女性が呼び止めるが、既に違うことに意識が向いている少女には聞こえていなかった。

今は違う声で聞こえないけれど、昼間に囁き声くらいの大きさでいろんな声が聞こえる方向があったことを少女は思い出していた。

廊下の突き当たりにあった階段を使って下の階に行く。

2階分下って、左に曲がって走る。

廊下に見えるドアの一つの前で立ち止まる。

ドアは自動ドアのようで近づいただけで開いた。

中をのぞくと人がたくさんいるのが見えた。

様々な模様が複数の画面に映し出され、それを複数の人が見つめている。

人は十分にいる。

シュドもここにいて不思議はない。

「こんな小さい子がどうしたの?」

後ろから声をかけられた。

振り返るとめがねをかけた女の人だった。

シュドを探しているんですと答えた。

「シュドさんならあそこ」

女の人が指を指した方向に彼はいた。

少女は走って行って、抱きついた。

彼の近くはやはりというか静かだった。

あの正体不明の声はまだ聞こえるがそれでも声量は落ちた。

シュドや周りの人が戸惑っていることを少女は理解しつつも、居心地が良いので離れなかった。

安心感が心を埋めるとたとえ小さくとも声が段々と煩わしくなってきた。

「あのね、さっきからうるさいの」

「うるさいのは仕方ないよ。今大変なことが起こっているからね」

「そうじゃなくて。今うるさいのはこの変な声」

頭を指さしながら少女は訴える。

「声?僕には聞こえないなあ」

「おんなじことばかり言ってるの。なにか強く考えてるみたい」

「同じ…、強く…。どんな声?」

そう聞かれたので、よく聞いてみようと声に意識を傾けてみる。

………

………

しかし意識を傾け始めると声は益々小さくなり、ついには聞こえなくなってしまった。

「大丈夫?」

固まった少女を見てシュドが心配の声をかける。

「うん、でも声が聞こえなくなっちゃった」

二人の会話を裂くようにオペレーターが叫ぶ。

「止まりました!ターゲットが急に停止しました」

何事だ、何かするのかと騒ぐ声が聞こえる。

「また動き出しました」

何なんだ、何か気になるものでもあったのかとまた騒ぐ。

それと同じくしてまた声が聞こえ始めた。

「あのね、またうるさくなっちゃった」

「………」

シュドは数秒黙った後、立ち上がって付いて来るよう手招きした。

シュドがそうして歩き出したので、少女もそれに続いた。

歩いている最中、少女はうれしい気づきを得た。

心の中で耳を塞ぐようなイメージをすると、声が聞こえなくなったのだ。

そんな事に意識を向けていたので立ち止まっていたシュドにぶつかってしまった。

シュドは部屋の明かりを確認した後ドアをノックする。

「研究室長、入ってもよろしいですか?」

いいよーと軽い返事が聞こえた。

シュドにつれられて入ってみると、およそ踏み場もないほどに紙がちらかっていた。

「あ、その子が連絡にあった子?」

少女が自分のことと思い声の主を見ると、若さを犠牲に快適さを得たようなゆるい恰好の、若い、といっても少女よりは年上だろう、男がいた。

「名前なんていうの?」

名前…。考えたこともなかった。

「私の名前…?」

「ありゃ、自分の名前知らない感じ?」

どうしようか。なにかいい名前を思い浮かんだりしないだろうか。

「んー、なんか名札とか持ってないかな」

そう言われた少女は服にあるポケットや髪をまさぐる。

ズボンの腰に何かがついていることに気がついた。

取って眺めてみるも私にはよく分からなかったので、シュドや男に見せる。

「これは…認識票だ。兵士の身元確認のためのものなんだけど、なぜ君みたいな子どもがこれを?」

そう問われても少女には分からない。

「名前の欄もある。クロア…と書かれてるね。これは君の名前ってことでいいのかな」

私が持っていたということはそういうことだろう、と少女はうなずく。

「じゃあクロアさんね。初めまして、私はホーンズ。名前からミルとも呼ばれてる。今回君が連れてこられたのは、君とあのでっかい蚊に関連がある可能性があったからだ」

でっかい蚊?とは何なのだろうか。

「死海から現われた奴でね。どんなことでもいいから情報が欲しかったんだ」

「君にだけ聞こえる声が静まったとき、ちょうどあの蚊も動きを止めたんだ。偶然かもしれないが、君はあれが現われる直前に基地の入り口で倒れているところを発見されてる。何かがあると疑うのはおかしなことじゃない」

クロアもこの声の正体が何なのか知りたいと思っていた。

クロアは自分が覚えている限りで昼に目を覚ました後のことを話した。

クロアが話している間、シュドもホーンズも静かだった。

話が終わると同時にホーンズが推測を述べる。

「読心術あるいは度を超えた共感性でしょうか。しかもそれが人でないものにまで効くと来た。しかし、そうであればあれが動きを止める理由がない。あれと彼女の関係生は?しかし方や虫型、方や人間。共通点は何かあるのか。あるいは彼女の特異体質?あるいは全く別でむしろ彼女が本体であるとか?しかし、あの蚊はマグマを吸う生態だとか。明らかにエネルギーを求めての行動、分身や影としては主張が強すぎませんかね…」

推測というが、ホーンズは誰に聞かせるつもりもないようで独り言のように呟き続けた。

「もっと情報が欲しい。クロアさん、今も声は聞こえますか」

クロアは心の中の耳を澄ませるようなイメージをした。

声は未だ聞こえてくる。

「黙るように言ってみてください」

「次はジャンプさせるイメージを」

「次は寝かしつけてみてください」

「次はなんか痛めつけるイメージで」

ホーンズがいろいろと要望を言ってくる。

クロアもそれにできる限り応えてみるが、当然何の変化も無い。

しばらくの時間そんなことが続けられた。

その後、ホーンズはどこかとパソコンで誰かと話し始めた。

話が終わるとキーボードを叩いた後、シュドとクロアに向き直る。

「なるほど、分かりました。貴方には私は思いついた適当な動きを声の主に指示させてみましたが、同じ頃あれも奇妙な行動を起こしていたようです。ただし、大半の動きは実行されず、そのままの姿勢で固まることもあったようです。そのことから、私の仮説としては、恐らく貴方はあいつと何らかのつながりがある。しかし、こちらの指示が反映されることは稀で、あちらからも何か行動を指示される訳ではなく声が聞こえるだけ。それが一方通行なのか向こうがこちらに気づいていないからなのかは分かりませんが。いずれにせよ、これは重大な事実です。司令部に伝達しても?」

正直何を言っているのかクロアには理解できなかった。

だが、最後の問いが自分に委ねられていることは分かった。

目覚めたばかりのクロアといえど、自分が研究対象にされていることは察せられる。

「勿論、貴方が望まないような実験もしませんし、拘束もしません」

「約束ですよ」

「ええ」

「あと、「はい?」シュドと一緒にいたい」

「それくらいなら可能でしょう。というか彼を監視役にした方がいろいろと都合が良い。私の方で報告などは済ませておきます」

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