走れブッコロー

眞山大知

走れブッコロー

 ブッコローは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の文房具王になり損ねた女を……。いや、違う。彼(彼鳥?)は馬券を外して怒っているのである。



「あー、だりいっすわ~」



 ブッコローはため息をつきながら、川崎競馬場の真っ白く角張った門から出てきた。耳には愛用のフリクションペンを挿していて、右の羽にはいつもの本でなく、競馬新聞を小脇に挟んでいた。



「2-6-1を買ったのに、なんで、なんで12-3-1なんすか!」



 大金をつぎこんで買った三連単の馬券が、清々しいほど見事に外れたのである。



「食費を削るしかないじゃん。あーあ、今日から1日レッド〇ル1本生活かぁ……」



 このR.B.ブッコローはただのミミズクではない。



 創業1909年、神奈川県を中心に40店舗以上を展開する老舗書店・有隣堂。有隣堂の公式YouTubeチャンネル『有隣堂しか知らない世界ゆうせか』はチャンネル登録者ゆーりんちーが21万人を超える人気で、ブッコローはチャンネルのMCだ。つまり、このミミズクは有隣堂しか知らない世界を牛耳る鳥である。



 そんなブッコローは、ミミズクなのに三度の飯より競馬が好きで、クチバシからは冗談が、飛ぶ鳥を落とす勢いでぺちゃくちゃ飛び出す。全身が冗談でできている。まさに口から生まれた、いや、クチバシから生まれたようなヤツであった。



 お馬大好き全身ぺちゃくちゃバードのブッコローは、左の羽につけたグローブを見た。グローブは大きさ50cmで、カニ爪フライの形をしている。



「あーあ、験担ぎにカニ爪フライグローブを持ってくるんじゃなかったわー。間仁田さん、やっぱ信用ならねえわあ……」



 このカニ爪フライグローブは、文房具の仕入れの全権を握る男・間仁田さんのお気に入り。先日、ブッコローに「これを持っていけば馬券が当たるんじゃないかな」と渡してくれたものだった。今度、有隣堂で売り出す気でいるとかいないとか。



 グローブを渡した時の間仁田さん、眼鏡がキラリと光って自信ありげだったのに……。ブッコローは間仁田さんを恨んだ。



「間仁田さん、余計なことしないでくださいよ。もう、一角でずっと皿を洗っててよ……!」



 ブッコローはカニ爪フライグローブを思い切ってぶん投げた。グローブはハンドスピナーのように猛烈に回転しながら、美しい放物線を空中に描いて壁時計へ当たった。



 壁時計の針は、17時半を指していた。



「えー、冗談やめてくださいよ……」



 ブッコローは思い出した。有隣堂しか知らない世界の生配信が18時から始まるのだ。ブッコローの全身に鳥肌が立った。



「もう、遅刻したら降板させられちゃうっすよー」



 ブッコローは翼をバタバタ羽ばたかせた。みるみるうちにカラダが宙に浮き、ブッコローはまっすぐ南の空へと飛んでいった。向かう先は、横浜の有隣堂伊勢佐木町本店。本店の6階にYouTubeの撮影スタジオがある。





 生配信が終わった。



「お疲れ様でしたー!」



 スタッフたちの声がスタジオに鳴り響く。



「おつかりぃっしたー」



 ブッコローがお辞儀してそそくさと帰ろうとすると、目の前に郁さんが立ちふさがった。



「ブッコローさーん? もう、配信開始ギリギリにスタジオに入ってくるなんて。わたしたち、ハラハラしたんですからね」



 郁さんは腰に手を当ててプンプン怒った。



「僕、鳥頭だから覚えてられないっすよー。郁さん、知ってます? ミミズクとかフクロウの脳みそってIQが10ぐらいしかないらしいっすよ」



「関係ありません。本当に遅刻したらわたしたちも考えますからね。あ、そうそう。この前、KADOKAWAさんから『カクヨムのトリを売り出したい』って話があって…」



「怖っ! さすがの僕もKADOKAWAには勝てないって!」



 失業の危機。ブッコローは肩を抱いて、見せつけるようにブルブル震えた。



「鳥頭でもちゃんと覚えていてよ……。遅刻したら唐揚げにして一角で出すよ?」



 脇にいた間仁田さんが急に毒舌を吐いた。



「カァァ! 聞きました? そんなキツイこと言われると傷ついちゃいますよー。動物愛護法違反っすよ。日本野鳥の会に言いつけますよー? あーあ、もっとミミズクを労ってほしいっすわー」



 ブッコローは間仁田への文句を、マーライオンも驚くレベルでそのクチバシから垂れ流した。



「まあまあ。今日は間に合ったし、いいじゃない」



 間仁田さんの横から、岡崎さんがのんびりした口調で止めに入った。空気が一気に和んだ。



「やっぱり僕の味方はザキさんしかいないっすわ……! あ。そうそう。今日、約束のあれ、やりましょ」



「え、あれ? なんだっけ。……ああ!」



 岡崎さんは数秒固まったあと両手をパチンと合わせ、エプロンのポケットからガラスペンを取り出した。



「ガラスペンじゃないっすよ。忘れたんすか? キムワイプの箱を使って卓球をしましょうって言ったじゃないっすか」



キムワイプ卓球は、キムワイプの箱をラケットとしてピンポン玉を打ち合うスポーツである。数年前から理系学生のなかで流行っているスポーツで、岡崎さんが教えてくれるという約束をブッコローと交わしていたのだった。



「あれ……。ああ、そうだった。キムワイプどこいったっけ……。ちょっと」



 岡崎さんは別のポケットをゴソゴソとかきまわして、キムワイプの箱とピンポンを取り出した。


「それじゃあ、ブッコロー。キムワイプ卓球で健康になりましょうね」



 そう言い終えた直後、岡崎さんの目つきが豹変した。いまにも獣を射殺そうとする、猟師の目のようだった。



「ザキさん、どんだけマジなんすか。目がるヤツのそれっすよ……。目力だけで眼鏡を壊せそうっすね」



 このあとめちゃくちゃキムワイプ卓球をした。





 次の日の昼、ブッコローは巣の中で起きるとレッド○ルをクチバシに流しこんで支度を始めた。



 今日も撮影がある。ブッコローも一家の大黒柱。寄る年波には勝てないが、妻と二匹の子どものため、カラダに鞭を打って働いているのだ。



 急ぐ必要のない時はカラダを労るため、基本的に電車移動。羽を整え、クチバシを磨く。今から巣を出れば電車に十分間に合う。



 支度が終わって巣から降りようとしたとき、スマホが鳴った。ブッコローが通話ボタンを押すと、間仁田さんの声がスピーカーから聴こえた。



「ブッコローさん、カニ爪フライグローブを探しているんですよ! 社長が今すぐ見たいって駄々こねているんです!」



「あ、いけねーっすわぁ……。競馬場に置きっぱですわあ。取りにいきまーっす」



 電話を切った。

 なんで間仁田さんも社長もあんなにカニ爪フライグローブに執着するんだろう。有隣堂の社員はどうかしてるんじゃないの?



 とにかく急いで川崎競馬場に行こう。電車で行くと撮影に間に合わない。飛べば間に合う。そう思ってブッコローが羽ばたこうとすると、全身に激痛が走った。



「痛ァァ……!」



 ブッコローは思わず叫んだ。筋肉痛だった。キムワイプ卓球でカラダを動かしすぎたのだ。



「なんで、筋肉痛が来たの……。こうなったら、いざ!」



 巣から降りて、駐車場のレク○ス○X600に乗りこむ。実は、ゆーりんちーが20万人を突破したとき、社長からご褒美で買ってもらったのだ。納期4年以上の○X600の新車がすぐ納車されたが、社長いわく「理由は禁則事項」だとかなんとか。



「社長って実は未来人……?」



 ブッコローはそうつぶやきながら、クルマに貼り付けた初心者マークを見た。令和の時代はミミズクも免許を取れる。だが、仕事にはまだ使ったことがない。免許をとったばかりで、運転には自信がない。それに、初心者マークをつけたレク○スを運転するのは恥ずかしい。



 でも今日は仕方ない。



 アクセルを踏みこむとレク○スは力強く加速しはじめた。



 走れ! ブッコロー。家族のために、ゆーりんちーのために、有隣堂のために!





 レク○スを競馬場の前に停めて、急いで壁時計に近づく。



 時計の真下には、カニ爪フライグローブが転がっていた。少し土がついている。



「ちょっと汚くなったけどまあいいや。間仁田さん、皿を洗えるんだから、こいつも洗えるっしょ」



 ブッコローは間仁田さんを若干ディスったあと、グローブを拾い上げて助手席に乗せた。



 撮影が始まるまであと20分。レク○スが第一京浜の交差点で停車していると、道行く歩行者が、いまにも「おぉうん……?」と声をあげそうな表情をしてらこちらを見つめてきた。



 そりゃそうだ。運転席には人間じゃなくてミミズクがハンドルを握っている。しかも、普通のミミズクじゃくてレインボーカラフルミミズク。それに、助手席には巨大なカニ爪フライがシートベルトを装着して鎮座している。走っている最中に転がり落ちてしまうから、グローブをシートベルトで固定しているだけだが、傍から見ればさぞ不思議な光景だろう。



 またスマホが鳴った。電話に出ると、スピーカー越しに間仁田さんの声がした。



「ブッコロー、はやく持ってきてよ。それと、遅刻しないよね? 昨日も言ったけど、もし遅刻したら唐揚げにして一角で出すよ?」



「大丈夫っすよ。つーか間仁田さん、唐揚げ作れるんすか? 皿洗いしかしてないのに。それに、僕は遅れませんよ」



「ホント? なんでそう思うの?」



 ブッコローは一呼吸置いてから言い放った。

 


「僕は、ゆーりんちーのために走らなきゃいけないんです。いや、もっと大きくておっそろしいもののために走らないといけないんですよ」



「ブッコロー、それって、太宰治の『走れメロス』のパクリでしょ?」



「カァァ……! 人聞き悪いっすわ。パクリじゃないっすよ。オマージュです。主人公が遅刻しそうなる小説といえば、メロスでしょ」



 ブッコローは電話を切った。我ながら、メタい発言だなと思った。



 間仁田さんには虚勢を張ってみたものの、それでもブッコローは焦りに焦っていた。



 残り15分。レク○スは首都高に入り、ベイブリッジを爆走。フロントガラスの向こうには、数多の船が横浜港の煌めく海に浮かんでいて、港の周囲には洗練された高層ビルが林立している。だが、いまのブッコローには、その美しい光景をじっくり眺める余裕などない。



「間に合え、間に合え! 降板したくないよーーーー! お仕事取られたくないもーーーーん!」



 ブッコローは魂を震わせて叫んだ。目からは涙が噴水のように流れていた。



 ブッコローは有隣堂本店の階段を駆け登って、6階のYouTube撮影スタジオにたどり着いた。なんとか間に合った。



 スタジオには間仁田さんがいた。ブッコローがカニ爪フライグローブを渡すと満面の笑みを浮かべた。



「よかった。これで社長が喜ぶ! ブッコロー、ありがとう!」



 間仁田さんはグローブを左手に装着すると、そのまままっすぐ腕を伸ばした。堂々とした、大きく赤いカニの爪が天井をさしている。



「魔改造間仁田さんだ……。こんなグローブで大はしゃぎするなんて、ここの社員、感受性大丈夫っすか……?」



 ブッコローがつぶやくと、間仁田さんの目つきが鋭くなった。



「ブッコロー、唐揚げにされたくないよね?」



「嫌っす」



 ブッコローは光の速さで即答した。



 ふと、岡崎さんがいないことに気づいた。たしか、今日撮る動画に出る予定なのに。



「あれ、ザキさんはどこにいるんすか?」



 ブッコローは間仁田さんに質問した。



「休みました。なんでも、筋肉痛でカラダが動かないらしいです」



 間仁田さんはそう言うとカニ爪フライグローブを大事そうに抱きながら、スタジオを去っていった。



「岡崎ーーーー!」



 ブッコローは激怒した。



 なんで有隣堂の社員はこうも珍獣だらけなの?



【了】

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走れブッコロー 眞山大知 @Sigma_koukyou

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