第56話 感謝の正拳突き?

「さて、実例の後は勉強トレです。筋配けはい筋愛きあいのコントロールをある程度出来るようになるまで、此処で勉強トレしておきましょう」


 えっ。ちょっと待って欲しい。


「追っ手から逃げるのではなかったのでしょうか」


「既に第三筋士団きしだんはロイシンを出ています。1時間以内にこちらに到着するでしょう。


 一方第一筋士団きしだんの後続は部隊という程の規模ではありません。私が確認出来る範囲では筋士きし3名程度。それもサトウリアス男爵の敗北に気づいて足を止めています。


 第三筋士団きしだん部隊の編成から見て、私達の収容の後そのままトリプトファンに向かうようです。

 ですので此処で40分程の時間があります。勉強トレにはちょうどいいでしょう」

 

 今度は逃げるのではなく、トリプトファンに戻るようだ。俺がわからないうちに事態がまた変わっている。


「何故トリプトファンに向かっているんですか?」


「こちらへ向かっている部隊を率いているのは第三筋士団きしだん長パクトラリス侯爵自身です。第一筋士きし団長デルトイド公爵及び関係者に対し、ブランチチェーン規定を行使するつもりでしょう。

 ブランチチェーン規定については勿論ご存じですね」


 俺は頷く。当然だ。

 ブランチチェーン規定とは

  ○ ロイシンを拠点とするパクトラリス侯爵、

  ○ バリンを拠点とするトライセップ侯爵

  ○ イソロイシンを拠点とするソリアス侯爵

の三侯爵に課せられた責務だ。


 内容は『帝及び三公爵のいずれかに不正があった場合、あるいは王都トリプトファンに収拾困難な騒乱等があった場合、ブランチチェーンの三侯爵は筋肉によって正す義務を持つ』というもの。


「昨日の今日でまさかそこまで事態が進むとは……」


 つい思った事が口に出てしまう。

 今日の夕方まではツィーグラ派残党から俺が襲撃を受けているというだけの話だった。しかしケーリーへの事情聴取で第一筋士団きしだんが関わっている事がわかった。


 そして今、平時には任地から動かない筈の第三筋士団長ちちが動いた。これで最低でも筋肉貴族第三位と第五位の直接対決が確実だ。

 当然他の筋肉貴族にも動きがあるだろう。


「元々第一筋士団きしだんは不審な動きがあると他の筋士団きしだんからはみられていました。それなりの調査活動も既に行われているそうです。また第一筋士団きしだんだけでなく政府内部にもツィーグラ派が浸透している事も明らかになりつつあります。


 今回こちらで証拠を確保して報告した事により、第三筋士団きしだん長、お父様も動く決心をしたのでしょう」


 何というか急に責任を感じてしまう。

 父の強さは疑ってはいない。しかし今回の相手は筋肉貴族第三位の大物だ。位階的に上の相手だしどうしても心配になってしまう。


「お坊ちゃまは心配はしなくて大丈夫です。位階はどうであれ実際にはデルトイド公爵よりお父様の方が力は上です。

 それにお父様も単独で動く訳ではないでしょう。トリプトファンには第二筋士団きしだんと特科筋士団きしだんがいます。当然こちらにも連絡と協力要請は行っている筈です。


 そもそもお坊ちゃまがここで心配しても何も変わりません。お坊ちゃまが今できる事は勉強トレだけです。

 ですからお父様の部隊が到着するまで、筋配けはい筋愛きあいのコントロールの勉強トレに集中しましょう」


 確かに俺が心配しても何かが変わる訳では無い。だとしても……


「まずは基本的な勉強トレからはじめます。動きは正拳突きです。筋配けはいを抑える、攻撃時に一気に放つ。そこを意識して動きます。

 具体的にはこんな感じです」


 リサが俺の目の前で実際に正拳突きをやってみせる。ゆっくり自然な動きに見えるがこれは動きに無駄やブレが無いから。実際は無茶苦茶速い。

 あと筋配けはい筋愛きあいの操作もわかりやすい。打撃を当てる瞬間だけ解き放ち、あとは抑える。それだけだ。


 この『それだけ』というのがきっと曲者なのだろうけれど。


「それでは今の要領で正拳突きを型通り50回やってみましょう。1セットやったところで注意点をまとめますので、次のセットはそこを意識して行う形です」


 否応なしに勉強トレへと移行する。


 動きは概ねこんな感じだ。

  ① 筋配けはいを抑えた状態で、

  ② 腰を回転させつつ左手を強く引き、

  ③ 同時に右拳を胸の中央前へ持って行き、

  ④ 筋愛きあいを放ちつつ拳を突く


 動作そのものはいわゆる空突きそのものだ。

 田常呂たどころ浩治こうじは空手部だった。そしてこの動作はビルダー帝国の格闘術でも基本。だから俺も当然この動きは熟知しているつもりだ。


 それでもリサからは容赦なく指導が入る。


「突き出しはじめで筋配けはいが漏れています。次のセットは腕がもう少し伸びたところまで筋配けはいを抑える事を意識して下さい」


 打つ瞬間に筋愛きあいを放つというのは攻撃としては自然な動作だ。攻撃時に完全に筋配けはいをを押さえ込むより、ずっと。


 だからと言って簡単にできる訳ではない。当たり前だが初心者の俺はリサほど完璧に筋配けはい筋愛きあいの操作が出来ないのだ。


 そして筋配けはいに気を取られると他の部分が意識から外れる訳だ。

 

「拳に力が入っています。当てる寸前までは軽く握るだけです」


「今回のセットの後半、動きがブレていました。足は動かさないで、腰と上半身だけで打つ事を意識して下さい」


 こんな感じで型要素についてもリサ、厳しくチェックを入れている。何というか容赦ない。


 こんな動きでも全神経を集中してやると結構疲れがたまってくるのだ。いちいち意識して考える分、バーピー連続より厳しい気がする。


 何というか、前世の『感謝の正拳突き一万回』を思い出してしまった。

 もちろん感謝の礼がない分時間はかからない。第三筋士団きしだん部隊が到着するまでだからそこまで延々とやる訳ではないのだけれど。


※ 感謝の正拳突き一万回

  ある程度古い漫画・アニメ系オタクならお馴染み。正確には『一日一万回 感謝の正拳突き』で、『気を整える→感謝の拝礼→正拳突き』を1万回繰り返すというもの。

  出典は漫画『HUNTER×HUNTER』(著:冨樫義博)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る