第23話 人力車のノウハウ

 街門までは普通に人力車を引いて歩いて行く。今のところ問題は全くない。やはりこの訓練をする意味はない気がする。


 西門から先、見た限りでは前方に歩行者も人力車もいない。なら問題ないだろう。そう思いつつ、スグルはリサに尋ねる。


「ここからは走って人力車を引いてもいいですか」


「ええ、どうぞ」


 元々人力車は60km/hで走れる様に出来ている。だから問題は全くない筈だ。

 スグルは人力車を引きつつ速度を上げる。これで概ね60km/hという速度まで上げた。問題は全くない。


 田常呂たどころ浩治こうじがいちゃもんをつけてきた。


『本当にそうか? 止まれるかどうか試してみろ』


 何を言っているのだろう。そう思いつつ一応止まろうと試してみる。


 やりかたは学校で学習済みだ。引っ張るときに持つ支木しもくに体重をかけて前輪を接地させ、支木しもくについているブレーキレバーを思い切り引いて前輪で止める。


 レバーでは無く足で止めようとして上手く行かず後方へ飛ばされ、人力車そのものに引かれたりなんて事故もあると聞いた。だから走っている時は必ずブレーキで止まるように、授業でそう学習している。


 もっともそれは腕や手の筋力が足りないからではないか。スグルはそう思っている。手を放さなければ後ろへ飛ばされるなんて事はない筈だから。


「一度止まる練習をします」


 リサにそう宣言して、そして軽く支木しもくを押さえて前輪を接地させ、ブレーキレバーを握った。

 ザザッ。前輪が石畳とすれる。全く止まらない。そして前輪も後輪も滑る。コントロールがきかなくなって人力車が斜めを向こうとする。


 慌てた結果足で止めようとしてしまった。足を踏ん張ったと同時に支木しもくが上に跳ね上げられる。


『手を放すな! 全体重でしがみつけ!』


 俺ではなく田常呂たどころ浩治こうじが鉄棒のように支木しもくに全体重をかける。前輪が接地。

 ズズズズズ、ズズズ……かなり滑りながらも50m以上かけてなんとか停止した。前後輪ともに滑った結果人力車が斜め45度を向いてしまった。それでも事故や荷物の脱落はない。


『足でブレーキをかけようとした結果、身体に上方後ろ向きの力がかかった訳だ。それで支木しもくを握っていた結果、|足からかかった力が梶棒を半径とした円周上向きの力になって跳ね上げられた。


 なんて言葉で言ってもわからないだろうから後で図を描いて確認しろ。たどころの知識に力の分解について入っているからわかるだろう』


 悔しいが田常呂たどころ浩治こうじが言っている事が正解みたいだ。ブレーキをかける時は足を使わず支木しもくに全体重をかける事。


「80点というところですね。足でブレーキをかけようとしたのは失敗ですが、その後のカバーはほぼ正解です。

 今のでわかるように人力車は急ブレーキが効きません。正しい姿勢で全力でブレーキをかけても50m以上走ってしまうのが普通です。


 ですからカーブや見通しの悪い場所はあらかじめ速度を落として走る事をおすすめします。またどうしても急ブレーキをかけたいときは、前にいる人は全員で支木しもくに全体重をかけて前輪に力がかかるようにして、手や足で止めようという人は後ろから引っ張る形を取るのがセオリーです。


 特に初等課程の生徒トレーニーは体重が軽くてブレーキが効きにくいです。ですから人力車を引く人以外も支木しもく近くに2人程度はつけて、いざというときは出来るだけ多くの人が体重をかけられるようにするといいでしょう」


 なるほど。ブレーキをかける前輪にできる限り重さをかけるべきというのは理屈として理解できる。

 ただ疑問が生じたので聞いてみた。


「学校でそう教えていないのは何故でしょうか?」


「その辺りは中等課程で習う予定です。

 初等科高学年の生徒トレーニーではまだ体重と筋力が人力車を引くのに十分ではない。そのため最小限の部分しか教えていないのです」


 なるほど、そういう理由か。


 完全に止まった人力車の支木しもくを持ち上げてもう一度走りだそうとした時、田常呂たどころ浩治こうじがまたぼそっと意味深っぽい事をつぶやく。


『今の急ブレーキはヒントだったんだがな。このまま走り出していいのか、本当に?』


『どういう事だ?』


『例えば荷物の土嚢、その積み方で大丈夫か?』


 スグルは人力車の荷台を見る。土嚢には特に崩れた様子はない。重心位置も教わった通り少しだけ前だ。


『大丈夫だ問題ない、って感じだな。気がつかなければそれでいい。今回の急ブレーキよりは危険な事はないだろう』


 何だろう、もったいぶって。

 そう思いつつ支木しもくを軽く持ち上げて前輪を上げ、そして気づいた。俺の体重が足りなくてブレーキがかからないなら、あらかじめそれを見越して前を重くしておけばいいと。


「リサ、すみません。荷物を積み直していいですか」


「ええ」


 正解だ。リサのわずかな表情の動きを俺は見逃さなかった。

 つまり今の俺の場合は教わった通りでは無く、それより更に前に重くなるように荷物を積むべきなのだ。


 もちろんそうすれば引く際に支木しもくを持ち上げる力が余分に必要になる。しかしそうすれば持ち上げた分の重さ分だけ俺の体重が増えたのと同じになる訳だ。

 つまりブレーキが効きやすくなる。

 

 土嚢5個を荷台の前方に移動して、そして支木しもくを持ち上げる。今までと違ってしっかり重い。30kgくらいはかかっているだろう。

 しかしその分、俺の体重が増えたのと同じ事になる。


「はい、お坊ちゃま1人で人力車を引くならそれで正解です。ここで一度説明しますので支木しもくを下ろして下さい」


 リサの言葉でスグル支木しもくを下へと下ろす。


「実習の時は班行動です、つまり引っ張る自分以外に動ける班員がいるわけです。でしたら重さが必要な時は他の方に荷台前方に乗って貰うなり支木しもくに体重をかけて貰うなりすれば、もっと楽に動かせる。そう思いませんか?」


 あ、そうか。荷物を動かすのでは無く、重さが必要な時はミトさん達に体重をかけて貰えばいい訳か。


「ブレーキをかける時だけではありません。人力車を発進させるときや加速させる時、あとは上り坂で人力車を引っ張る時にもこの方法は有効です。

 あと2km位したら上り坂があります。そこで班員の代わりに私がお坊ちゃまの指示通りの場所で体重をかけましょう。そこで実際にどれだけ違うのか、試してみて下さい。


 荷物は元に戻します。その後で引っ張りはじめに体重をかけてもらえる場合とかけない場合について試してみましょう」


 ◇◇◇


 試してみて、そしてやっと感覚的に理解した。体重をかけて貰う事で引っ張りやすさが別物と言っていいくらい変わる事に。


 体重をかけて貰うと当然支木しもくを持ち上げる力が必要になる。その分余分に筋肉は使うし疲れやすく歩きにくくもなる。


 ただし段違いな位に足から道路に力をかけやすくなる。坂道などは特にそうだ。体重をかけてもらわないと人力車を引っ張ろうとしても石畳の上で足が滑りそうになる。しかし体重をかけてもらうとしっかり足が石畳に力をかけられるようになるのだ。


 ブレーキもかなり効きやすくなった。ただそれでも60km/h出すと止まりにくい。1人の時よりずっとましではあるけれど、それでも40m位はかかってしまう。


「たかが人力車にもそれなりのテクニックはあるんですね」


「ええ。半分はお坊ちゃまがまだまだ小さい事が理由です。ですが大人でもこの方法は案外有効です。実際、長距離を高速で走る専業の人力車夫や騎士団輜重兵は3人一組で同じような方法を使って人力車を60km/hで走らせます」


「何で実習前にこれを学校で教えないのだろう。こんなに便利なのに」


 本音でそう思う。


「教えて速度を上げていいとすると、何組かは判断ミスで事故を起こしてしまうでしょう。ですから中等部に行ってもう少し身体が大きくなってからから教えることになっています」 

 

 事故らせない為か。なるほど、納得した。

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