第17話 筋肉審判

 筋肉審判、それは筋本位制における争い事の解決手段だ。武器を持たずに戦って、勝利を収めた方の言い分が認められる。そんな原始的な裁定方法である。


 筋肉審判の種目は身体を使うものなら何でもいい。ただし種目を定めず単に筋肉審判と言った場合、通常は自由戦闘だ。

 もちろんこれでは喧嘩が強い者が圧倒的に有利になる。だから筋肉審判が一般的な場で実際に用いられる事はほとんどない。


 しかしそれでも筋肉審判は無効では無い。双方が真に自分の意思で筋肉審判を行う事を宣言した場合、その審判結果は法的にも有効なものとして取り扱われる。

 なお審判の過程で当事者間に生じた損害については一切の責任をとる必要はない。


 田常呂たどころ浩治こうじは明らかに3人を挑発して、筋肉審判、それも自由戦闘に持ち込もうとしている。さすがにその程度のことはスグルだってわかる。


 なら3人はどれくらいの強さなのだろう。スグルはステータス閲覧で3人の筋力値を確認。66、63、59。1人は俺より高い。しかも三対一だ。


『大丈夫なのか、どう考えても不利だろ』


『心配いらない。試してみたい事がある。筋力の違いが戦力の決定的差ではないということを教えてやる』


 田常呂たどころ浩治こうじ、自信満々だ。


『あと筋配けはいが2つ隠れているけれどいいのか』


 その筋配けはいが誰かもスグルはわかっている。当然田常呂たどころ浩治こうじもわかっているだろう。


『ああ、証言要員としてちょうどいい。いなければいないなりに楽しい事が出来たんだけれどな』


 楽しい事という部分に不潔というか近づくとやばそうなニュアンスを感じる。これは俺の気のせいだろうか。


「いいのかよ、そんな事を言って」


 背の高い生徒トレーニーの言葉に対してたどころはフッと鼻息で返答して、そして付け加える。


「3人でないと脅しをかけられないような落ちこぼれ、正直全く怖くないですからね。実力の差がわかって逃げたいのなら止めませんけれど」


 田常呂たどころ浩治こうじ、もう完全に馬鹿にした口調を隠そうとしない。もちろん挑発としてわざとやっているのだろうけれど。


「おう、そっちがそれなら文句はねえぜ。だろ」


「勿論だ」


「ああ」


 田常呂たどころ浩治こうじがにたあっと笑った筋配けはいがした。


「なら三対一の筋肉裁判に同意という事でよろしいですね。僕は一切強制しませんが、本当にそれでいいんですね」


「くどい! てめえはどうなんだよ」


「勿論同意ですよ。それでは筋肉裁判、相互の同意の下に開始という事で」


「なら後で泣くなよ」


 殴りかかってきた奴をさらっと躱し……いや違う。躱すと同時に相手の股に思い切り蹴りを入れた。明らかに急所狙いだ。


「うげっ」


 これは痛いだろう。案の定蹴られた奴は奇声を発した後、うずくまって動きを止める。


『やはり速度が20違うと圧倒的だ。あとこの身体、面白いほど自由に動く。体重差が大きくて素直な打撃技がほとんど効かないが問題ない』


「さて、次の馬鹿はどちらですか」


 先ほど地面に顔面ダイブした奴が迫ってきた。先ほどの反省からか殴るのではなく掴みかかろうとする。


「確かにその方がお利口かもしれませんね。ただし」


 たどころは今度は後ろへと逃げる。3歩ほど後退した後。猛烈な踏み込みで一気に相手に接近。思い切り上へと地を蹴る。

 痛い! たどころの頭が何かにぶつかった。


『単なる頭突きだ。身長差があるからきれいに顎に決まった』


 俺も痛いが相手はそれ以上だったようでふらついて倒れかける。そのすきにたどころは一歩踏み込み、たどころ、腕を裏側にひねりあげた。

 ぼきっ。鈍い不吉な響き。一瞬遅れて相手が悲鳴をあげる。


「3対1ですから、1人はこの辺で戦闘不能になってもらわないと。利き腕で無いのはせめてもの情けです」


 田常呂たどころ浩治こうじ、鬼だ。


『俺は馬鹿とだらしない尻と衰えた括約筋は許せない。死ねばいいのにと前から思っている』


 田常呂たどころ浩治こうじが脳内でほざいた意味についてはは深く考えないことにする。代わりに奴には脳内で少しばかり注意。


『死ねばって殺したらまずいだろう』


『殺しはしない。死ねばいいのにと思うだけだ。ただ万が一やり過ぎてもいいよう保険はかけた。筋肉審判なら最悪殺しても法律上問題無い』


 おい田常呂たどころ浩治こうじ! いいのかそれで! もともとお前の倫理意識はあまり信じていないけれど!


 状況を確認する。股間を押さえている生徒トレーニーはまだ立ち直れない様子。つまり今戦闘可能なのは残った1人、筋力値が66でもっともでかい奴だけ。


「てめえ、よくもやってくれたな」


「記憶力が悪いですね。ここへ連れてきたのは貴方方ですよ」


「うるせえ!」


 殴りかかってくる。今度はたどころ、ぎりぎりで避けて後退した。


「くっそちょこまかと」


 たどころはぎりぎりで避けつつ後退していく。

 実はもっと余裕を持って避けることも、先ほどと同じ程度の攻撃をする事も出来るだろう。それは同じ身体を使っているスグルにはわかる。


 どうやら田常呂たどころ浩治こうじは狙っているようだ。もっと強力な攻撃を仕掛ける機会を。どんな風に仕掛けようとしているのかはスグルにはわからないけれど。


 校舎の壁が背後に近づいた。たどころがわざとらしく後ろをちらりと見て確認するそぶりをする。


「馬鹿め!」


 勝ったと思ったのか、敵が大ぶりで腰を入れすぎた右パンチを繰り出してきた。


『待ってた!』


 たどころは思い切り屈んで拳を下に避ける。右足で前へ踏み込み、空を切った拳を両手で抱える。そして膝と腰を伸ばす反動で相手の胴体を上へと跳ね上げ一気に投げた。


 男子生徒トレーニーは頭から地面へと落下。起き上がる筋配けはいどころか動く筋配けはいも無い。気を失ったようだ。


『思った以上に決まった。柔道は専門外なんだけどな』


『今のは何だ? 知らない動きだった』


 僕は戦い方の本についてもある程度読んでいる。先ほどつかった頭突きや急所蹴りもわかる。しかし今の動きは知らないものだ。


『前世にあった武術の技だ。背負い投げ、いや背負い落としか。この世界でもこういった技が通用するか試してみた』


 なるほど。試してみたいというのはこの事か。それはわかったが、他にも疑問というか懸念がある。


『あとでもこれ大丈夫か?』


 3人の状態だ。目の前の男は気絶しているだけでなく、何か身体がだらんとしている感じがする。股間を押さえている奴はまだ復活していないし、左腕を折られた方もその場から動けそうに無い。


『それなりに頑丈そうだから大丈夫だろ多分。ただ後の為に始末はしておこう。幸い見物人もいる』


 田常呂たどころ浩治こうじはそう言って、そして校舎の曲がり角近くに向かって声をかけた。


「ミトさんすみません。職員室に行って先生を呼んできてくれませんか。僕がここから動くと逃げたと判断される可能性が否定できませんから」


 ミトさんが曲がり角から姿を現した。


「わかりました。先生を呼んできます」


「お願いします」


 たどころは頭を下げて、そして残った2人の方を見る。


『意識があると痛さで苦しいだろう。武士の情けだ。楽にしてやろう』


 武士が何だかわからないが、不安を感じたので確認しておく。


『楽にしてって、まさかとどめを刺すわけじゃないよな』


『そこまで俺もえげつない事はしない』


 いや信用できない。そう思ったスグルを無視してたどころはさっと足を前に進める。股間を押さえている奴と腕を折られた奴2人の直近まで近づいた後。


『気絶撃はまだ自信が無い。だからちょい派手になるが仕方ないだろう』


 田常呂たどころ浩治こうじスグルに言い訳し、そして。


「フロント・ラットスプレッド!」


 高筋圧こうきあつをかけた。あっさり2人が気絶して崩れる。

 何故か尻を突き出した形で倒れた1人を見て田常呂たどころ浩治こうじが呟いた。


『こんな奴ら、掘る価値も無い』


 ふっとわざとらしいため息をついて、そしてたどころは先ほどミトさんがいた校舎の曲がり角を見て、独り言を呟くように口を拓いた。


「大分弱っていたようです。服が破れない程度の筋愛きあいに耐えられないという事は。

 これでミトさんが先生を呼んでくるまでの間、誰の耳もありません。この状況で僕に聞きたいことがあるんじゃないですか、サダハル君」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る