第1部 準備期間 

第1章 俺の始まりと最初の冒険

第1話 俺は記憶を取り戻した

 の6歳の誕生日当日、昼食はいつもより豪華だった。

 鶏ささみ、ゆで卵、ブロッコリー、ミニトマト、レタス、茹でキャベツ、キュウリ、ピーマン、バナナ、そして乳清飲料。


「今日は誕生パーティだから特別にドリンクは味付きだ。あとドレッシングをかけていいぞ」


 そんな父の言葉を嬉しいと思った瞬間、脳味噌を強烈な衝撃が襲った。僕は強烈な頭痛で前屈みになり、席から転げ落ちてしまう。


「どうした、スグル!」


 今思えばきっと記憶が持っていた情報量が6歳児には少しばかり大きすぎたのだろう。

 そのまま倒れて3日後。全ての記憶と思考力を取り戻した状態で、は目覚めたのだった。


 ◇◇◇


 ふわふわのベッドで目を覚ます。此処は何処だ。そう思ってすぐに気づいた。そう、ここはの部屋だと。


「あ、坊ちゃま! 大丈夫ですか」


 これは俺担当メイドのリサの声。


「大丈夫」


 そう言って、そして俺は思い出した。そうだ、6歳の誕生日を祝う席で倒れたのだっと。


「今は何時?」


 窓から指す光は明るい。だから少なくとも夜ではない。


「8月13日の午前10時でございます。おぼっちゃまは3日間、眠り続けていたのですよ」


「そんなにか」


 自分ではそこまで経ったという感覚は無かった。


「それではアイリス様を呼んで参ります」


 リサは母を呼ぶために部屋を出て行く。一人取り残された部屋で、俺は自分の記憶を確かめる。


 俺はスグル・セルジオ・オリバ。現在6歳で、ビルダー帝国の現パクトラリス侯爵であるマユミ・セルジオ・オリバの長男。それは間違いない。


 しかし今までと何か思考が違う気がする、何となくすっきりしたというか速度が早いというか、そのくせ何か違和感があるというか。


 そして明らかに俺でない記憶があったりする。スグルとしての記憶にはあり得ない世界。此処とは違う風景。そして神と話した記憶。

 

 俺ではない、田常呂たどころ浩治こうじという男の記憶だ。わけがわからない世界に生きて死に、アナボリック世界に転生することを選んだ男の記憶。


 もう一度確認する。はあくまでスグル・セルジオ・オリバ、パクトラリス侯爵の長男である事には変わりない。

 ただ田常呂たどころ浩治こうじの記憶を思い出す事が出来る。それだけだ。


 それに田常呂たどころ浩治こうじの記憶、ざっと思い出した限りではほとんどこの世界では役に立たない。


 この世界は筋肉に秀でなければ何も出来ない。しかし田常呂たどころ浩治こうじがいた世界は筋肉を活用していない世界だった。


 もちろん筋肉以外でもこの世界で活用出来るような知識や記憶があれば役に立つだろう。しかし田常呂たどころ浩治こうじにはそういった役に立ちそうな知識は全く無い。

 

 例えば自動車という、疲れずに長距離移動出来る道具があるという知識がある。しかしどうすればその自動車を作り上げられるかの知識が無い。


 それ以外の知識や記憶も似たようなもの。実際にこの世界で実現する事が出来ないものばかり。

 つまり全く役に立たない。


 その上田常呂たどころ浩治こうじ、この世界に対して何やら偏見があるようだ。この世界は筋肉過ぎておかしいとか、筋肉神テストステロンが女神なのは名称的におかしいとか。

 つまり役に立たないだけではない。不愉快ですらある。


 いや待てよ、それでも……

 俺は考え直す。今俺が行っている思考は六歳児としてはどうなのだろうと。どうにも思考の早さや明晰さが今までと違うような気がするのだ。そう言えば自分を表す一人称はだったような気もする。


 ならこの思考は田常呂たどころ浩治こうじの記憶を思い出した事による影響なのかもしれない。

 それに田常呂たどころ浩治こうじの記憶にある、神様から貰ったチートの中身についての知識。これは間違いなく今後のバルクアップには役に立つ。


 そう思うと悪くはない事だろう。田常呂たどころ浩治こうじという存在そのものは不快であっても。そう俺は判断した。


 この思考力と筋肉神テストステロンから与えられたチートはこれからの勉強トレーニングにかなり有用だ。上手く行けば同世代のライバルにかなり差をつける事が出来るだろう。

 父以上の筋肉貴族、そして頂点であるマッチョ帝を目指すにはかなり有用な筈だ。


 しかし気になる事がある。勇者の存在だ。

 筋肉神テストステロンによれば、勇者は与えられたチートは俺と同等で、素質や知識は俺より上。おそらく生まれや環境もきっと俺よりバルクアップしやすい状況だろう。

 

 つまり勇者は俺以上に有利な筈だ。ビルドアップして、いずれマッチョ帝を継ぐ存在として。


 しかしそれでも俺はビルダー帝国に生まれたのだ。それも筋肉貴族72家序列第4位、オリバ侯爵家の長男として。

 それに勇者と与えられたチートは同等なのだ。ならば筋肉神テストステロンにかけても諦めるわけにはいかない。ビルダー帝国の頂点であるマッチョ帝を目指すのだ。


 なにせビルダー帝国、貴族といえども世襲制なんて甘い事はない。本位制だ。序列第四位の侯爵といえども当主が衰えればそのまま下位へと落ちてしまう。


 もちろん年制度はある。侯爵位まで行けばその後老衰等で地位を失っても一生困る事はない。

 ただしそれは侯爵位まで行った当人が生きている間に限られる。本位制、なかなか厳しい。


 いずれにせよ、俺は鍛えなければならない。それにはまず正しい勉強トレーニング方法を知る必要がある。

 なら勉強トレーニングだけではなく座学的な意味での学習もするべきだろう。勉強トレーニング理論の本を読んで理解できる位に。


 よし、ならばこのまま寝ている訳にはいかない。一刻も早く文字を覚えなければいけないし、何より勉強トレーニングが必要だ。


 俺は起き上がる。そこへちょうどリサが母をつれて戻ってきた。


「スグル、起きて大丈夫なのですか!」


「大丈夫です。それより3日間も動かなかったせいで筋肉が大分衰えていると思います。少しでも勉強トレーニングをして取り戻さないと」 


「まあスグル、いきなり立派になって」


 何か変だ。普通はここは『無理をしないで寝ておきなさい』だろう。俺の中の田常呂たどころ的思考回路がそう考える。


 しかしここはビルダー帝国で、俺はスグル・セルジオ・オリバだ。ならば身体の不調に対抗するには筋力をもってするのが当然。


「乳清飲料と鶏胸肉を茹でたもの、そしてバナナをこちらへ置いておきます」


 リサも心得ている。

 俺はとりあえずバナナを貪り、そして真っ直ぐ立ち上がる。この3日でどれくらい俺は衰えただろう。まずはそれを確かめたい。


 勿論ステータスである程度の数値はわかる。しかし以前の俺の数値がわからない以上、どれくらい衰えたのかはわからない。

 だから簡単なところで、バーピージャンプを3セットやって確認することにした。それではまっすぐ立って……


 1、2、3、ハイ!


■■■ 蛇足の用語解説 ■■■


○ パーティで出てきたご馳走

  トレーニー(トレーニングをする人)にとって理想的な食事をイメージしたもの。ただし日本で市販している乳清飲料は大体甘く味つけされているので使用しない方がいい。


○ パクトラリス 

  英語で大胸筋の事をPectoralis majorと呼ぶらしい。大胸筋とは胸の表層についている面積が広く筋肉。鍛えた結果が見た目にわかりやすい。


○ 金本位制

  中央銀行が発行紙幣と同額の金を保有し、紙幣と金を交換出来ることを保証した、金を通貨の価値基準にした制度。19世紀初頭にイギリスではじまり各国へと広がった。

 しかし最終的に1971年のニクソンショック以降、先進各国は徐々に変動相場制へと移行。1976年1月のIMF暫定委員会により変動相場制と米ドルの金本位制廃止が確認され、先進国では完全に姿を消した。


○ ブレトン・ウッズ体制

  1944年に開催された連合国通貨金融会議で締結されたブレトン・ウッズ協定(正確には国際通貨基金協定と国際復興開発銀行協定)による仕組みのこと。

  具体的には

   ① 金1オンスを35ドルとして、金兌換を保証する

   ② ドルと各国通貨の為替レートを一定に保つ

という体制で世界経済安定を目指した。


○ セルジオ・オリバ

  キューバ出身の伝説的なボディビルダー。


○ スグル マユミ

  キン肉マンの主人公の名前が『キン肉スグル』でその父が『キン肉マユミ』。元は往年の野球選手(江川卓、真弓明信)から取ったものらしい。


○ バーピー

  此処に出てくるのはバーピージャンプのこと。自重によるプランク、プッシュアップ、スクワットを組み合わせたトレーニングのひとつ。次の4ポーズをリズミカルに繰り返す。

  ⓪ まっすぐ直立からスタート

  ① しゃがんで両手を床に付ける

  ② 足を後ろに伸ばして腕立て伏せの姿勢になる

  ③ 足を戻して②の状態になった後、

  ④ 身体を伸ばしてジャンプし、直立姿勢へもどる。

 かけ声の1,2,3は上記①、②、③と対応している。ハイ! でジャンプして直立に戻る。  

 これを概ね30回1セットで2~3回行う。やってみるとわかるがすっごくきつい。

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