小花、皇都を見物すること
ほら、
臨京じゃ、せんだっての
どこでもそういうときに最初に使われるのは
こっちの冥界には昼と夜があって、夜は出歩くのが禁じられてた。壁の外にも化け物が出るが、内側にもまたべつの化け物が出るのさ。小花ははっきりとは見なかったけど、黒い影のようなのが通りを歩いてるんだ。それを衛士がね、追い払ってる。
夜はそんな具合でぞっとしないが、昼間はのんびりしたもんさ。桃園には冥界の住民らしいのがよく花見に来てた。恋人どうしみたいなのや、茶飲み婆さんたちの集まりや、なんとなく偉いさんっぽいやつとかさ。
訪れるやつらの着てる服はいろいろだった。
なんといっても小花はど田舎の生まれだ。都の流行なんて知るわけないし、服は地方によっても時代によっても違う、なんてこと、そんときゃ知らなかった。でも、訪れる人がいろんな服を着てる、なんだかまとまりがないな、そのくらいは分かった。南国みたいに薄物の人もいれば、獣の毛皮を羽織ってるやつもいる。もちろん、小花みたいな麻のぺらぺらの服のやつはたくさんいた。髪型だって結ってるやつもいれば
あ、気づいたね? そう、月震宮のある冥界とはずいぶん違う。
光凜帝の冥界じゃ、人は生きてたときのように暮らしてるのさ。
なんて言うのかね、あっちとこっち、張り合ってるんだなって思ったよ。というか、一方的に光凜帝が張り合ってるんだろうなってね。証拠はないけどね。
おなじ死んで来るなら、こっちのほうがいいだろう? って言ってるみたいだった。化け物は出てくるが、お役人がやっつけてくれるしね。
小花たちは桃園に閉じ込められてたわけじゃない。
だけど里社爺が「なるべく出ない方がよろしい」と言ってたのもあって、里のみんなは桃園でじっとしてたね。腹も減らないし、昼も夜も暑くもなければ寒くもない。桃園に来るやつらは陸丹の里人には目がいかないみたいで、話しかけられることはなかった。家財一式持ってきてたから、生活に必要なものは揃ってる。
それに、綺麗なところだけどやっぱりちょっと気味も悪いからね。
小花は二日ほど熱を出してた。
腕の傷が腫れあがったんだ。血まみれの服は着替えを借りたし、傷薬やら水やらを持ち込んだ里人に分けてもらって傷も手当てしたんだけどね。
寝込むほどじゃなかった。血はすぐ止まった。
でも、左腕は右腕の倍ほどの太さに腫れて、身体の熱が退いたあとも、腕はずうっと熱っぽくてね。聯星には怒られたよ。いや、声高に非難されたわけじゃない。あの無愛想な剣士殿が向きになって怒るところなんざ想像できないさ。
「押さえておけばすぐに塞がると言った」
そうぼそりと言われただけだよ。
でもそのころになると小花だって慣れたものさ。
聯星が困惑してるのがありありと分かるようになってたんだ。
困惑して、腹を立ててたのがね。
そりゃもう最初は切られたことすらわからないほどの見事な剣傷だったからね、早めに手当てすりゃピタリと塞がったろう。
聯星の言うとおりなんだけど、無理なものは無理なのさ。
おとなしくしてた里人と違って、小花はじっとしてなかった。おおかた熱がおさまったところで、都見物さ。
門番には薬研公主の名を出したけど、光凜帝からはなんの音沙汰もなかった。
「追い出しはしない。だが、薬研公主に連なる者に会いたいわけではない、そういうことだろう」
と、聯星は言ってた。
実際のところ小花には、分かったと言えるほどなにが分かってたわけでもないけど、光凜帝にしてみりゃ、薬研公主がいろいろ気まずい相手ってくらいは分かる。
嫁に行け、って嫁がせたあとすぐにその国を攻めたんだからね。
「要するに……むつかしいお年頃ってやつだね?」
知ったふうに頷いた小花に、聯星は
あ、そんな嫌な顔しないどくれよ。さすがに陸丹が田舎だって、蛙は生きたまま喰いやしない。ありゃ塩と山椒振って焼いて喰うんだよ。
おいおい、どうしてみんなうへえ、って顔するんだい? 臨京のここらじゃ蛙は喰わないのかい?
美味いよ? 鶏肉みたいでさ。
それはともかく都は広大だったよ。果てが無いと言ってもいい。都のなかにおおきな河も流れていたし、草原も、山もあった。
建物もいろいろだ。
河縁に建った建物の裏手には、船から直接、部屋に出入りできる戸口があった。
四方を壁で囲んだ小さな城塞みたいな家や、一階が家畜小屋でみんな二階以上で暮らしてる家もあった。岩山の壁を掘り抜いて部屋を作り、外側に材木で作った家をくっつけたのとかね。
小花はもっとずっとあとになって、そのいろいろな建物がこの国の東西南北、さまざまな土地の建物を写した造りになってるってことを知ったけど、そのときは見慣れない建物に面食らうばかりだったね。
光凜帝の宮城は見当たらなかった。大道りの果てが見えないんだよ。この臨京でもそうだけど、都の外壁の南の門、
そんなふうに、なにかにつけ広い都だったけど、たとえば小花が「ここの市場ってどんなだろ?」なんて思いながら街の角をひとつ曲がると、そこは市だったりする。
そろそろ桃園に帰りたいな、と思えば、通りを抜けたところが桃園の入り口だったりする。
冥界ってなあ不思議なものさ。
光凜帝の都の
人の往来だけを取ったら向こうの方が断然多いとも言えたね。ちょっとあちこち見て回ったら、人とすれ違うので着物の袖がすり切れちまうほどさ。
そのとき小花ははじめて街ってものを見たんだ。
正月や秋の祭りのときじゃなくても肉を焼く匂いがする。饅頭はいつもできたてで、果物を干したのも食欲をそそられる香りのする調味料も、砂糖や米粉、麦粉を贅沢に使った菓子もある。昼間から博打を打つ人がいて、祭りとか誰かの結婚式でもないのに酒を飲んでるやつがいる。自分で作らなくても、道具もなんでも売ってる。
本を売る店があり、物を売り買いするのに契約書を取り交わして、それが真実のものだと登記する仕事もある。
騎馬の民の商人が毛皮を売りに来てもいるし、小花がそれまで会ったこともなかったような、目の青くて鼻と背の高い人々や、髪が縮れて肌の茶色い人々なんかもいた。臨京でもいろんな国の人々が出入りしてるだろう? いまこうやってあたしの話を聞いてくれてるひとのなかにも、蒼い目の人もいりゃ、南の方、肌の色が濃くて顔立ちがここいらの人より面長の人もいる。
道行く人を眺めりゃ、どこの国から、どこの地方から来たんだろうって変わった服を着てる人もいるし、顔立ちもいろいろだ。
光凜帝の都もそうだった。そういうのは陸丹じゃ考えられなかったんだよ。
なにもかもが真新しくて、物珍しくて、胸が躍った。
食い物はいくら美味そうでも喰っちゃいけないから見ない振りをしてたけど、小花が一番、気になったのは本屋さ。色とりどりの挿絵が入ってて、戦の絵の入ってるのや、偉い人が官吏に傅かれてる絵、白髭の老爺の絵、老若男女の、ちょっといかがわしい絵もあった。
いかにも奇想天外、面白そうだったけど文字の読めない小花にはなにが書いてあるのかさっぱりだったよ。
月震宮の
それでも小花は腕が熱ぼったいのも忘れて、見て回ったんだよ。
都見物を始めて四、五日経った頃だろうかね。
ご機嫌で街を観に行ってた小花が桃園に帰ってくると、兄夫婦が泣いてたんだ。
兄夫婦と、あとご近所の延さん夫婦、男手ひとつで奥さんの忘れ形見を育ててたやもめの
槐爺さんと里長が必死に慰めてたけど、どうにもおさまらない。
なにかと尋ねてみれば、兄夫婦の洪々と近所の仲良しが親の目を盗んで連れ立って街に行き、物を喰ったんだと。
冥界のものは食べちゃいけない。何度も槐爺さんから言われてたことだけど、孺子なんだ。美味そうな食べ物は市に行けばなんでもある。陸丹なら特別の日に、有り難がって食べるものが無造作に売られてる。
小花は市場見物をしたとき、冥界の孺子たちが、団子売りや肉売りの婆さんから蜜のかかった団子の串やら香ばしい香りのする焼き肉の串をもらうのを見たことがあった。
そんな感じで洪々ももらっちまったんだなと分かった。で、喰ったんだと。
小花はすぐに走ったよ。光凜帝に会わなけりゃ、そう思った。
なにも聞かずに聯星もついてきてくれた。
どうやって会うのか、会ってどうするのか、自分になにができるのか、なんて考えなかったね。
「わたしは薬研公主に近しいがゆえに、おそらく光凜帝の皇城、太極宮には入れない。おまえの言うとおり、光凜帝は……『むつかしいお年頃』だ。だができる限りのことはしよう」
聯星はそう言った。小花はなにより心強かったよ。
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