小花と光凜帝

小花、冥界の門番に賂を渡すこと

 ここから、話は小花しょうかに戻る。

 里社爺りしゃじいやしろから、薬研公主やげんこうしゅわりふをくぐって辿り着いた先は明るい丘のうえだった。低い丘だ。下に広がる小麦畑には金の穂並み。

 冬小麦だったね。小花の住む山里じゃ育たない。行商人の話じゃ平地は雪もすくないって聴くし大麦よりこっちのほうがいいのかね、なんてのんびりした気持ちであたりを見回したもんさ。

 畑には収穫の農夫たちが出ていて、楽しげに麦を刈っていた。

 おんなじ冥界でも人の気配がほとんどなくて薄暗い月震宮の聯河れんがの光景とはひと味違ってた。

 麦畑の向こうに、おおきな都の城門があった。都の城壁は見渡す限り視界いっぱいに広がっていた。どれだけおおきな都なのか見当もつかなかったよ。

 小花たちの一団は、里社爺が先導していたんだ。小花がほとんど一番うしろさ。

 槐爺えんじゅじいさん、日暮れまえにあの城門に辿り着かねばならない、そんなことを言ってたね。

「日暮れ……?」

 空を見上げても陽は出ていない。ただ灰色の明るい『天』があるばかりだった。


 小花たちが畑の畦をぞろぞろ歩き続けて、ようやく城門の近くにやってきたときだ。そうだね、もうあと半里ほどってとこだったか。

 都のほうから、ドオン、ドオン、ドオンとを拍つ音が聞こえてきた。

 するとだよ、麦刈りしてた農夫たちが一斉に顔を上げ……ふっとが消えるみたいに姿が消えてしまった。

 里社爺は目に見えて慌てだしたよ。急げ急げとかしていた。相変わらず『天』は明るい灰色で、暗くなる気配はなかったけど、小花は急いだ。

 農夫のいなくなった畑には、どこからともなく人面の獣が姿を現した。

 ――やまいぬのような身体。

 小花の頭のなかにまた、『物語』の切れ端が浮かんでくる。

「ほほう、間抜けな顔がぞろぞろ歩いておるなあ……けひゃひゃ、ほうれほれ、馬腹ばふくに喰われてしまうぞな」

 ――北山に獣がいる。人面に豺の身体。よく物を投げ、人を嗤う。

 山揮だ、と小花は思った。(※)

「馬腹も来るぞ、窮奇きゅうきも来るぞ。ひゃひゃひゃ」

 ――中山ちゅうざん伊水いすいのほとり、人面にして虎の身体、赤子あかごの泣き声をした獣がいる。馬腹といいこれは人を喰う。

 ――海内の北、鬼国があり、獣がいる。窮奇はそのすがた、虎の如くにして翼があり、人を喰うに首から始める。

 どこからともなく、おぎゃあ、おぎゃあと泣く声がした。こんな見たこともない場所に来たって、赤子が泣いてるって思えば気になるものさ。親がさっきので消えちまって取り残されたんじゃないか、腹すかせてるんじゃないか、ってね。

 里社爺に追い立てられるように進んでた里人の気がそれて、赤子の泣き声の聞こえるほうに向いたのがわかったよ。

「違う! ありゃ馬腹の声だよ! 空から窮奇も来る! 人喰いの獣なんだ、走って!」

 小花はうしろのほうにいたから、前を行く里人の背中に向かって叫んだね。

 そのときさ。

 バッサバッサと遠くで羽ばたく音が聞こえた。それも、ひとつやふたつじゃないんだ。

 まず、連れてきた牛が慌てだした。小花の声に怯えたんじゃない。獣の気配にてられたのさ。

 牛に牽かれるように人も走り始めた。

 うしろからド、ド、ドと重い駆け足がする。

 小花が走りながらも首を捻ってうしろを見た。牛よりもおおきな身体の虎がこちらに向かって突進していた。いや、身体は虎なんだが、人の顔をしてた。そんなのが悪鬼の形相で涎を垂らし、小麦を踏み倒しながらはしってくるのさ。

 小花は死に物狂いで走ったよ。「荷物を捨てて逃げるんだよ!」とも叫んだ。

 でも、慌ててるとね、『捨てる』なんて単純なことさえできなくなるのさ。小花だって背負子しょいこを捨てることを忘れてた。

 里人の走る列のうしろのほう、小花の五人くらいまえを走っていた孺子こどもけた。

 小花もつんのめるように転んだよ。

 背に、人面の虎の生臭い息を感じた。

 ――喰われる。

 そう思った。

 そのときさ。

 背で、風が巻いたんだ。

 目で見たわけじゃなかったけど、重みのある、黒い風だと思ったね。

 銀光一閃

 血飛沫を噴いて、馬腹がどう、と倒れる。

「間に合った」

 小花が倒れた身を起こしながら振り返ると、そこには玄河げんかを抜いた聯星れんせいが立っていた。


 聯星に守られながら小花たちは城門へ急いだ。

 聯星が三頭倒したところでほかの獣は警戒したようでね、じりじりと詰め寄ってくるけど飛びかかってはこないんだ。振り返れば、一刀両断された馬腹の死骸を喰ってる窮奇の姿もあった。

 里人がみな息を切らしながら城門に辿り着いたときにはあたりはもう暗かった。三段に重ねられた基壇きだんを登ったところにあるくろがねの城門は閉まっていて、守衛がずらりと立っていた。

 手には槍、背には弓、いかめしい面構えの門番さ。

 里社爺と里長の李角りかくが「どうぞなかに入れてください」と身を折ってお願いしていたが、門番はうんとは言わなかった。それどころか城門のまわりから立ち去れってさ。

 すでに陽は暮れてる。いまのところ城門には近づいてこないが、まわりには人喰いの獣がうろついてる。

「あたしらさ、薬研公主のお招きで来たんだよ」

 小花は思い切って里社爺と話をしている守衛に言ってみた。

 里社爺に預かってもらってたわりふを見せてさ。

 本当はこんな交渉ごとに小花みたいな嬢子こむすめ出張でばるのは良くないんだろうけど、いまここでこの世界の『事情』が分かってるのは里社爺と聯星と小花しかいない。

 守衛はすこし気持ちが動いたようだった。薬研公主の名前は知ってるんだね。まあ、そうだろう。何千年もまえのこととはいえ、光凜帝の妹君だ。

「城門をぜんぶ開けてくれって言ってるわけじゃないんだ。こう、牛が一頭、通れるくらいでいいんだよ」

 お役人ってのはどこでも、二種類だ。

 四角四面、なにごとも律と令に照らして定規と分銅で量らなきゃ気が済まないのか、包んだ付け届けの重さで白か黒か決まるのか。

 どっちか選べってんなら、四角四面のがいいんだろうけど、小花は目の前の門番の『頭が柔らかい』ほうに賭けた。世の中、そっちのが多いんだしね。冥界もきっとそうだと思ったのさ。

 薬研公主のいらっしゃる冥界は、ありゃちょっと人が少なすぎてよく分からないが、小花の頭に浮かぶ物語のなかの冥界は金次第ってとこがある。実際、そのために弔いのときには冥銭めいせんなんてのを柩に入れたり焼いたり、供えたりするんだしね。

 で、後生大事に持ってた酒の壺を差し出したんだ。

「どうぞお収めください。十七年寝かせた蜀黍しょくしょの酒でございます」

 ってね。

 しかったさ。なんたって親の形見だ。でも物惜しみして命を失っちゃ世話ないしね。

 小花の両親だって、胥吏しょり衛建えいけん相手によくやってたものさ。

 はてさて――門番は受け取ったよ。


※山揮:正しくは「揮」は「犭」

山揮、馬腹、窮奇はいずれも『山海経』に出てくる獣

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