聯星が陸丹の里のために剣を使うこと

 小花と別れた聯星は北狄の騎馬兵が迫ってくる里の西側にやってきた。

 蛾碌がろくの砦に一番近い人里が陸丹りくたんで、陸丹からは砦ののろしがときおり見えていた。

 一昨日は砦の方角に炎が立ち、焦げ臭い風が吹いた。それで里人さとびとには「砦が落ちた」と知れたんだが、それと同じように、砦からは陸丹の炊事の煙が見えていたことだろうね。

 里の西、里から三里のそのあたりはなだらかな斜面だった。木は生えてないんだ。幾度となく攻撃を受けては改修、増築されてきた砦の築造にそのあたりの山の木が伐採されて、ほとんど丸裸さ。

 ただし、あまり見通しは良くなかった。

 斜面のところどころに湧き水があってね、湿地がおおくて丈の高い葦や野生のひえが群落を作ってた。

 陸丹の里じゃ、干魃とかで喰う物に困ったときはそこまで出かけていって野生の稗を収穫していて喰ったもんさ。ちょっとばかり脱穀に手間がかかるうえにモソモソしてるからね、大麦と蜀黍しょくしょのじゅうぶん実る歳には使わないが、お救い飯ってやつさ。

 飢饉のときには四の五の言ってられないが、普段のことなら炒ったのを麦粉に混ぜて団子にして喰えば結構美味い。香ばしくて、ぷちぷちしててね。

 秋には人の背丈を超える群落になるが、まだ春だ。とはいえほら、この臨京の河原みたいに人がちょくちょく入って手入れしてるわけじゃない。昨年の葦の倒れ残りと今年芽吹いたのとで、やっぱりかなり見通しは悪い場所だった。

 馬に乗ってりゃ上背があるんで視界は確保できる。けど、足元は覚束おぼつかない……泥濘ぬかるんでるところと、しっかりした地べたの見分けもつかない、そんな場所さ。


 聯星は葦原に紛れて熊避け札で騎馬兵を『視』てた。日が沈むにはまだ早いが、山の『日暮れ』は早い。山の稜線に陽光は遮られるし、草丈は長いしで、草叢くさむらは結構、暗かった。

 北狄は里を目指していた。五十騎。得物は弓と剣だ。深い泥濘みに足を取られないよう馬に慎重に足場を選ばせながら進んでくる。

 足場についちゃ聯星は有利だった。

 彼は泥に足を取られる、なんてのはないのさ。『死人の足は速い』って言うだろう? これは『死人の祟りからは逃げ切れないぞ』って意味のことだけどさ、聯星の足は物の喩えでもなんでもなく速いのさ。

 もちろんいろいろ考え合わせたら聯星は不利だった。いくら彼の剣の腕がたしかだとはいえ、五十騎は多勢に無勢だ。

 聯星が北狄兵にやっつけられるってわけじゃない。例えば十騎を相手に勝ったとしても、そのあいだに四十騎が里に辿り着いたら意味がないってことさ。

 加えて相手を殺すわけにはいかなかった。殺せば怨恨が生まれる。北狄兵は陸丹の里の者が自分たちの仲間を殺したと思うだろう。そうなれば今日、里人たちがうまく難を逃れても、後々まで目を付けられて酷い目に遭わされるのは間違いない。

 砦に都の兵が戻ってきて、北狄を押し戻すまでは陸丹は陸の孤島だからね。

 殺しは悪手あくてさ。

 今日のところは時間を稼ぐだけで良い、それだけのことなんだが、それがなかなか難しいのさ。


 聯星は鳥をんだ。

 熊避けの木札に精気を籠めて、空に放ったのさ。

 ほら、あたしが最初に話した『ふたつの冥界』の話を覚えてないかい? 光凜帝こうりんていとの戦いで、冥耀君めいようくんは劣勢を覆すために、白鳥に魂魄を宿して光凜帝の背後を突いたっていうやつ。

 そう、聯星はそれとおなじことをしたんだ。

 ただし死者である聯星は、肉体から魂魄が剥がれてないだけで生者とおなじような魂魄が宿ってるわけじゃない。伏羲ふぎの血筋、冥界に君臨するために生まれた冥耀君とは違うんだ。

 聯星だって冥界にいるならもっと凄い術が使える。あそこはもともと死者のための世界だから、死者がなにか術を使いたければ、その場の気を寄せ集めてなんだってできる。

 けどさ、生者の世界ではそうはいかない。生者の世界の気は、生者のものさ。

 もともと魂魄の力が陰にかたよってる死者がこの世界で術を使おうとすると、陽の気がすぐに足りなくなってこんが弱る。身動きとれなくなるのさ。

 だから、どこかから精気を借りて魂魄を鳥に宿す必要がある。そのために彼はちょっと小花の血を拝借したわけさ。

 ほんとうは薬研公主の丹薬を使うつもりだったんだろうけど、そっちは小花に譲っちまったわけだしね。それに生き血のほうが効きがいいって話だ。

 なぜなのかね? そっちのほうが新鮮ってのはあるんだろうけどさ。気になるやつはあとであたしのうしろに控えてる剣士殿に聞いてみとくれよ。もしかしたらなにか教えてくれるかも知れないよ。

 と、まあ冗談はこのくらいにしておくとして――

 聯星の声なき声に応えて、枇岳びがくの山の鳥たちが集まってきた。

 その数は数百羽。百舌もずはときじ烏骨鶏うこっけいからす啄木鳥きつつきたか……

 白鳥はいなかったね。季節じゃなかったからだと思う。陸丹のあたりじゃ、白鳥は南の越冬地から帰ってくる夏の鳥なのさ。

「済まない、手を貸してくれ」

 そうして聯星は人里を目指してる北狄の騎馬兵に鳥をけしかけた。

 騎馬兵は不意を突かれて慌てたよ。敵襲かってね。

 もちろん百戦錬磨の兵士たちだ。いくさを忘れて緩みきったどこぞの衛兵とは違う。ずっと殺し合いをしてきたやつらさ。

 すぐに自分たちを襲っているのが鳥だと気がついた。理由なんかわかりゃしないが、矢が降ってきたわけじゃない、鳥なんだってね。

 それも人間を狙ってない、馬を狙ってることにも気がついた。

 馬は賢くて、気の優しい、臆病な生き物さ。飛び交う弓矢、炎、雄叫び、石礫いしつぶて。斬りかかってくる敵……馬を戦に連れ出すためにはそりゃあ、いろんなことに慣らしていく。

 波蝕はしょくの乱、せんだっての西戎との戦で、恐れ知らずに突っ込んでくる馬の姿、怖いと思った人も多いだろう? 中原にだって馬はいるけどさ、比べ物にならないほど恐れ知らずで情け容赦ない生き物に見えたはずさ。

 でも本来、あの足の速さは逃げるためにある。

 馬は怯えちまったら逃げ出すものさ。

 聯星が剣を構えた。ただし鞘ごとだ。

 葦と稗の生い茂る草原を吹き渡る風のように駆ける。

 鳥に尻だの脇腹だのをつつかれて驚く馬をなだめるのに忙しい騎馬兵の背後を取る。

 バシッ

 剣の鞘で馬の尻をしたたかに打った。

 ヒヒンって馬は悲鳴をあげて竿立ちになる。さしもの北狄兵も馬から振り落とされないようにするのに必死だ。

 いや、実際、振り落とされるやつも出てきた。

 鳥の襲撃から逃れた騎馬兵は、鳥に、そして草叢に見え隠れする黒い影に狙い定めて弓を引いた。

 ビシッ

 北狄の長弓が唸りをあげた。矢の射込まれた地面がおおきくえぐれる。

 だが鎧でかためた士大夫の胸を鎧ごと射貫き、飛鳥すら射落とす北狄の矢も、馬の腰が引けてるのと足場が悪いので巧くあたらない。

 そうこうするうちにもまた鳥に囲まれる。ベシン、と背後で酷い音がして馬が狂奔する。

 繰り返すうちに半分の騎馬兵が馬から振り落とされちまったんだ。

 騎馬の民は、馬をうまく操れないことを恥とする。あたしらは都の士大夫殿が落馬したって気にもしないがね、向こうじゃいい笑いものさ。

 よちよち歩きの頃から馬を操ってたんだからね、まあ当然だな。

 鳥に囲まれて馬から振り落とされ、馬がどこかに行っちまったなんて恥ずかしいこと、仲間に言えるわけない。今日のことはいまここにいる五十騎、ここだけの秘密ってことにして、かろうじて馬に乗ってるやつが逃げた馬を探しに行った。

 鳥が襲ってきたり馬が混乱したのは山霊の不興を被ったせいだと思ったんだろうな、落馬したやつらは矢を天に放って山霊を慰めるまじないを始めた。

 矢に精霊笛を付けて射ると、ピョウゥゥっと長く音を引いて飛んで行く。

 北狄はまあ、野卑なやつらだけどさ、神々を敬うこころはあたしらとおんなじだよ。馬鹿にしちゃいけない。

 今回は聯星の仕掛けたことだが、枇岳には山霊だっている。白地にところどころ黒の毛をした、おおきな熊の姿をしてるんだよ。

 もちろん遠州のここらでも旅をしてるやつは分かるだろうが、山に無作法をすると山霊の怒りを買うのも間違いない話なのさ。

 だから北狄兵のやったのは、礼にかなってることだ。

 あたしら陸丹の里のまじないとは違うけどね。

 矢笛の音は、山霊の苛立ちを慰めるだろう、切々とした美しい音だった。

 

 逃げた馬を追いかけてたやつらが戻ってきて、北狄兵が元通りに隊列を組んだ頃には、陽は稜線の向こうに消えていた。

 聯星の時間稼ぎの作戦は図に当たったってわけさ。

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