小花と薬研公主

小花、冥界に迷い込むこと

 いまから十五年前のことさ。

 十五年前といや、遠州のこのあたりはまだ叛乱だのなんだの、焦臭いことは起きてなかったけど、皇都のもっとずっと北の方はまえからずいぶん危なっかしくてね。

 北の凶賊……北狄ほくてきの馬のいななきをよく聞いたもんだよ。遠州じゃ騎馬の民といや、波蝕はしょくが率いてた西戎せいじゅうのほうが悪名高いけどね、英州のあたりじゃ北狄のほうが嫌われてる。

 北狄はね、頭のてっぺんを丸く剃って、そのまわりの髪を長く伸ばしてる。伸ばした髪を細かく編んで、首のまわりに垂らして帷子かたびらみたいにしてるのさ。

 やつらは馬の扱いこそ西戎には劣ったけど、山越えと砦攻めが得意なんだ。遥か下から鉤付きの矢を砦に打ち込んで、蜘蛛の子みたいに壁に取り付いて登る。

 一度見たことがあるけど、あれには震えが来たね。

 戦語いくさがたりが好きな御仁もおおいだろうが、今日はそのあたりは控えめにしとくよ。

 なんてったってほんの三年前までお互い、本物を嫌ってほど見てきたんだしね。

 ちょっとだけ披露するなら、そうだな。

 砦の下、谷の底からヒョウッと風が巻くと砦の上で応戦してた兵士が、その風に煽られたみたいに落ちていく。

 北狄が下から射った矢が、砦の上にいる帝の兵士の顎を射貫くんだ。下から射るんだよ。矢の威力が違うんだ。

 もちろん帝の兵士も負けちゃいない。砦の上から狙いを定めてヒュンヒュンを打ち込み、蟻の子を蹴散らすみたいに北狄の雑魚をなぎ払うんだ。それでも埒があかなきゃ、軍団長の号令一下「落とせ!」で、煮えたぎった湯や油を壁に撒く。

 帝の兵の守る砦はたくさんある。山の峰は千里の城壁があって、さしもの北狄だっておいそれとは入り込めないようになってる。

 が、なにせ山だ。人馬一体、神出鬼没の騎馬の民には、百戦錬磨の兵士も手を焼いていた。時には砦が落ちることもあるし、手薄な場所から騎馬兵が入り込んで里が略奪されることも多かった。


 さてと。

 脇筋の話はこのくらいにしとこう。あとで北狄の話はもうすこしあるから、血湧き肉躍る話が好きな手合いはもうちょっと待ってくれよ。

 英州枇岳びがくの山の奥、陸丹りくたんの里……そう、あたしの故郷さ……に小花しょうかって十七になる娘がいた。器量は十人並み、身体は女にしては肉付きがよくなかった。あざなは小花だが、ひょろっと背が高い。まあ、雰囲気はほら、このあたしのようなね。

 声はよくとおるもののしわがれていて、里総出の収穫の時には女たちが鎌を持ちながら里歌を歌うんだけどさ、ひとりだけ目立つんだよ。ちゃんと歌ってるのに、どうにも調子外れに聞こえるのさ。

 根は真面目だったから、働き者ではあったよ。

 両親は娘が十五の時に流行病で亡くなってたけど、兄夫婦にやっかいになっていた。

 兄夫婦も妹が邪魔というほどのこともなし、小花がいればまだちいさい息子の世話なり里の寄り合い作業にも代わりに行ってもらえる。ちいさな里だったから、どこかに片付けるにも歳の合う男がいなかった。

 これで見目が良いとか、体つきが多産のそうをしてるとか、声が美しいとか楽器が弾けるとか特技でもあれば、妾を何人も養える土地持ちなり金持ちが何番目かの妾に、って話もあったかもしれないし、街に奉公に出る話も出たかも知れない。でも、小花はそんなんじゃなかったんだよ。

 兄夫婦も忙しかったからね、妹の縁談の世話をするのもついつい後回し、まあそのうちどこかに片付くだろう、そのくらいに思っていた。

 とくにこれといって良いところがない娘だったが、ひとつだけ目立ったところがあった。

 それはもう、おしゃべりだったのさ。

 生まれたときと言や、赤子あかごはふつうはおぎゃあ、と泣くもんだろ?

 小花は違った。泣くのも忘れて、わやわやなにか口を動かしていたらしい。口が動いてなきゃ、危うく死産かと思うところだったと産婆は言ってた。

 赤子のときは寝るか、乳を吸っていないときには、ほやほやはわはわ赤子言葉をしゃべってた。滅多に泣くこともなかった。いつも機嫌が良さそうだった。そして、ちゃんと言葉を覚えるとそれこそ水を得た魚のようにあれだこれだと、喋り始めた。

 娘の頭のなかには物語がいくつもあった。それは喋るはしから次々と浮かんできて、ひとつとしておなじ物語を語ることがなかった……というのはおおげさで、おなじ物語でもつぎに語るときにはいろいろ枝葉が増えたり減ったり、おなじ話に聞こえなかったってだけのことさね。

 たとえば……そうだな。

『むかしむかし、いんの時代のさらにまえ、の国に師門しもんってお髭の立派な色男が住んでいたんだ。師門は孔甲こうこうって夏の国の皇帝のお乗りになる龍の世話係を仰せつかったけど、その日から龍は孔甲の言うことを聞かなくなった。怒った孔甲は師門を殺して深い穴に投げ込んだ。龍は美しい師門の死に怒り、悲しみ、師門の死体を抱いて天に昇って嵐を起こしたのさ。孔甲は慌てて龍を祀りその怒りを鎮めようとしたけど、ようやく嵐がおさまったころには夏の国の国土の半分が水に流されちまってて、孔甲は天に咎められて死んだのさ』(※)

 まあ、こんな話を次から次へと話すんだ。

 なにかの書巻で読んだんだろうって?

 陸丹の里を見くびっちゃいけない。田舎も田舎、ど田舎なんだよ。書巻なんか里長が読みもせずに先祖の墓に祀ってる孝経か、胥吏しょりが法令を確認するのに使うのか、そんなのしかありゃしない。そもそも貧乏人の娘に学なんか授けようってもの好きはいないから、小花は字が読めなかった。小花の与太話はどこで覚えてきたものか、だれにも分からなかった。

 小花にも分からなかったよ。

 里の者はそんな娘のおしゃべりに呆れながらも、いつも面白おかしく語るんで、べつに娘を黙らせようって者はいなかった。山奥の里さ、冬は長くて楽しみもすくなかったから、娘の法螺話も耳の慰めくらいにはなったんだ。

 毎年のことだけど里に春が巡ってきた。あたしの故郷の山じゃ、真冬には小川も浅い井戸も凍り付いて、水汲みに難儀するほど冷えたから、一度降った雪は春まで解けない。一冬になんべんか雪が降れば積もった雪は人の背丈ほどにもなる。雪をかいて道は作ってあるけど、そんな里にわざわざやってこようなんて行商人もいないしね。うっかり道を間違えて遭難でもしたら死ぬしかない。閉じ込められたようなもんさ。退屈なんだよ。春はその雪がようやく融ける、そんな季節なんだ。


 小花は村のほかの女たちと山菜を採りに山に入った。

 こう、熊避けの木札を腰に下げて、竹籠を背にしてさ。

 木札には穴を開けて、五枚をひとまとめにして竹籤たけひごの輪に通してある。

 歩くとカラカラと鳴るんだ。その音が熊避けになるんだな。でも、娘といれば熊避けなんか必要なかったね。なにせ、娘が木札の音よりよく通る嗄れ声でひっきりなしに喋るんだから。

 山の中に入って春の恵み、わらびやたらの芽、しゃくなんかを摘んでいた娘は気がつくとまわりに人がいなくなっていることに気がついた。

 小花が喋るのに夢中だったせいで、ほかの女たちが場所を移したのに気づかなかったか、娘の無駄話に呆れ果てて、ほかの娘たちがこっそり場所を移したか、それは分からない。

 もちろん、勝手知ったる村の裏山だ。小花ひとりでも道には迷わない。

 いったん里に戻ろうか、と小花が歩き始めたとき、どうしたことかね……ふっと、穴に落ちちまったんだ。

 その場所は娘にとっては庭みたいなもので、穴が開いてるなんて考えもしてなかった。足場がぽっかりなくなって、ひゅううぅっと風を切って高いところから、まっくらな穴を、ずいぶん長いあいだ落ちていった。

 けれど、下の地面に足が付いたときには、ただ斜面を滑って尻餅をついただけのような、よく分からない感触だった。打った尻は最初こそ痛んだものの、すぐに痛みは引いてきた。

 娘の落ちたそこは、夜の河のほとりだった。

 娘が山にいたのはまだ夕暮れにも遠い真っ昼間だったから、滑って落ちたところが夜だったってところからしておかしいが、さらにおかしいのはどこにも彼女のいたはずの山が見えないところだった。斜面なんかどこにもない。ぼんやりと光る河の明かりで分かるのは、娘が生まれてこのかた見たこともなかった見渡す限り平べったい大地と、河の中州らしきところに建っているおおきな宮城の影だけさ。

 空は真っ暗で月も星もない。落ちてきた穴でも開いてないかと目を凝らしたけど、のっぺりした暗闇だけだった。

 なぜ光ってるんだろうか、と、小花が河のそばに近づいてみると、水の流れの中に蛍のような、星のようなちいさな光るものが無数にあって、そのせいで水が光っているのが分かった。

 娘は水に手を入れて、その光をひとつ、掬ってみた。

 光はひとつひとつがたまだった。よく見ると半分、殻を被ったような模様があった。ほら、陰陽、丸くて白と黒が半分ずつ塗り分けられた、あの太極図みたいなさ。

 驚いたことに手に取ってみると、声が聞こえてくるんだ。

 なに言ってるかはよくわからないんだが、嘆いてるようだったり、困ってるようだったり、怒ってるようだったり心配してたり。

 陽気なことは言ってないふうに思えたけれど、ともかく、なにか言ってる声が聞こえてくる。

 娘は気味悪くなって掬った珠を河に投げ込んだ。すると、そのときだよ。

「女、そこでなにをしている」

 娘のうしろで声がした。

 振り向くと、ぞっとするほど綺麗な青年が河原に立っていた。黒一色の深衣しんいまとって、腰に太刀をき、眼光鋭く娘をにらみ据えていた。

 ……そうさ、ほら、いまあたしのうしろに立ってる彼みたいな無愛想な剣士がね。

 娘は必死で自分の境遇を説明したよ。問答無用、太刀で切られちゃ敵わない。

 村の裏山で山菜摘みをしてたら、穴に落ちてここにいる、ってことをさ。

 悪気なんてこれっぽっちもない。自分だってもといた場所に帰りたいんだって。

 青年は納得したようだった。

「生きたまま人界の者がここにくるなど、にわかには信じがたいが、貴様はたしかに魂魄こんぱく分かたれず、肉にも血が通っている」

 なんて、わけの分からないことを言いながらもね。

「ついてこい」

 彼はそう言って、問答無用で娘の手を掴むと、河に入った。

 娘は足元でブツブツ独り言を言ってる光る珠の気配に総毛立ちながらも従うしかなかったよ。

 自分のおしゃべりも他人からしたらこんな感じじゃなかったかと思って、ちょっとだけ反省もした。まあ反省しただけで小花はやっぱりおしゃべりだったけどね。


※平凡社ライブラリー『列仙伝・神仙伝』師門の章

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