筋肉至上主義世界
栗亀夏月
筋肉のために生まれた男と女
俺の名前は小沼雅隆。
中学3年まで野球部だった。
身長は低く、ガリガリ。食事は頑張っていた方だが、線は細かった。
中3の部活引退後。俺は友達の誘いで市民体育館のウエイトルームに通い始めた。
初めは5kgのダンベルすら重いと感じた。
なんとなく知っているベンチプレスやスクワットを軽くやっているだけだ。
高校野球に向けて体力の維持、それが目的だった。
しかし、ある人物を見かけて俺のハートに火がついた。
40代くらいの男性だろうか、ありえないほど腕が太く、その脚には見たことのない筋肉が隆起し、でこぼこしていた。
雄叫びを上げながら、1レップ1レップに全力をぶつける。
その姿に憧れた。
気づくと俺は有名な筋トレ雑誌を定期購読していた。
食事を一新して、炭水化物とタンパク質中心にした。
貯めてきたお年玉を使い、プロテインを購入し、適切なタイミングで飲むことも欠かさない。
高校野球は辞めた。もちろん筋肉のためだ。
この頃になると、自分の秘められた才能に気づき始めていた。
対象筋に効かせる技術。マインドマッスルコネクションが強く。
関節も強いため、高重量を持つことができた。
回復力にも優れていた。激しい筋肉痛も適切な栄養補給と睡眠ですぐに回復した。
日々、伸びる重量と増える回数。
確実に重くなる体重。脂肪では無く筋肉である。
俺は、筋肉のために生まれたのだと実感した。
高校3年の時。
高校生ボディビルで、優勝を飾り。定期購読していた雑誌の表紙を飾った。
それからは全てが思い通りに進んだ。
これは異例なのだが、高校卒業と同時に大手ジムがスポンサーがついた。
ジムでのトレーナー勤務の傍ら、素晴らしいサポートの元でトレーニングに打ち込んだ。
初出場の県大会で新人部門と一般部門で優勝し、様々なオープン大会も優勝した。
高卒1年目にして、全日本大会に出場した。
全日本。
そこには化け物が集っている。
還暦を超えてもなお進化し続けるビルダー。
恐竜や怪獣の名を冠したビルダー。
完璧なビルダー。
そこに、19歳の男が挑んだ。
筋肉の祭典。日本一を決める舞台。観客の熱気。筋肉から上がる蒸気。減量で薄くなった皮膚から見えるはち切れんばかりの血管。血走った瞳。
武者震いが止まらない。
この瞬間に燃えていた。
全てをぶつけた。
結果から言おう。
2位だった。しかし、歴史的な事であった。
採点を確認してもほぼ互角。
来年は優勝確実と言われた。
そして翌年、20歳という歴代最年少で優勝を飾った。若すぎる新チャンピョンにはある疑惑もついて回った。
ステロイドの使用疑惑である。
ボディビル界隈にはタブーがある。
ナチュラルという、薬物使用を一切しない状態と、ユーザーと呼ばれるステロイやインスリン、成長ホルモンなどの薬物を使用している状態があるのだ。
もちろん、世界のトップ選手達は薬物の使用をしている。
明言はしないが、使っているのだ。
でなければ、人間を超えた筋肉を作り出すことは出来ない。
その概念があるため、雅隆は禁止薬物の使用を疑われた。
しかし、もちろん使用していない。
これは遺伝子の爆発であり、筋肉に愛されている故の身体なのだ。
だから、雅隆は禁止薬物使用の疑惑を向けられることに異論を唱えたり、反対することはなかった。
自分の潔白は自分が信じているからだ。
さて、運命の日。
雅隆はいつものジムに向かった。
その日は胸トレの予定であり、特殊なマシーンの置いてあるジムを利用したのだ。
トレーニングが開始された。
雅隆は基本に忠実だ。
対象筋から負荷を逃がさず、1レップを大切にする。そして、限界まで追い込む。
これは、初めて見た市民体育館のマッチョから学んだ事だ。
トレーニングは佳境を迎えた。
楽しい。この感情の裏には、己の筋肉への肯定が含まれている。
ラストの種目はインクラインダンベルプレスである。
大胸筋の上部を狙って、片腕36kgのダンベルを使用する。
収縮、ストレッチ、収縮、ストレッチ。
筋肉を感じる。身体は悲鳴をあげる。しかし
それは精神的限界。
それを超えた先に、肉体的限界が待っているのだ。
越えろ!肉体的限界を越えろ!
その時、雅隆の視界に美しいトレーニング女子が見えた。
ここでひとつ言わなければならない事がある。
雅隆は女性に目がない。そして、女性に弱い。
腕の力が抜ける。とっくに限界を超えている腕に、片腕36kgのダンベルは支えられない。
ちょうどダンベルが顔面の真上にプッシュされている姿勢だった。
鉄の塊は雅隆の顔面に落下した。
そして、雅隆は暗闇に吸い込まれた。
同時刻。
水垣メグミは脚のトレーニングを終えて、帰宅しようとしていた。
脚トレ後は歩く事もままならないほど、筋肉が痙攣し、時々つる。
そして、帰宅前最後の難所に辿りついた。
数十段の階段である。
しかも、下りなので危険度は増す。普段は友人が車で送迎してくれるのだが、今日は違う。
己の力で下りきらなければ。
1歩目を踏み出して。人生終了を覚悟した。
身体が宙に舞ったのだ。
これまでの事が走馬灯のように脳に投影される。
好きな大学の先輩の通っているジムに通い始めたこと。
想像以上にトレーニングが楽しかったこと。
いつの間にか先輩のビックスリー(ベンチプレス、デッドリフト、スクワット)の記録を超えていたこと。
ジムのオーナーに勧められた大会で優勝したこと。
いつの間にか、全日本女子フィジークのチャンピオンになっていたこと。
そして三連覇したこと。
あーあ。虚しい。
メグミは頭を強く打ち。意識を失った。
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