第33話:家族と仲間

「相棒いうたら、このみさんもですねえ」


 彼ばかりに話を振り続けても嫌がるかな、と思ったのは逃げかもしれない。

 その真相をさておけば、的外れなことを言ってもなかった。僕でも海太くんでもなく、このみさんには立派な相棒が居る。


「あっ、カンタです?」


 いつもの簡易的なリードでなく、がっちりとしたハーネスに繋いだロープが手繰られた。

 全身に真っ黒なわた菓子を貼り付けたような毛むくじゃらの犬が「何か用? 遊ぶ?」とばかり、このみさんの脚に絡みつく。


「です、よう懐いとりますよね。十五歳でしたっけ」

「正確には分からんですけどね。あたしが小学生の時に拾われて、ずっと一緒です」

「拾われて? このみさんが拾うたんかと思うてました」


 彼女がしゃがんだのより大きな体躯。散歩が好きなようで、今も跳ねるように歩く。

 見るからにシュナウザーそのものだけど、拾ったのなら雑種なのかもしれない。誰が、とはそういえば聞いていなかったか。


「お兄ちゃんです」


 答えるのに、このみさんの眉尻が下がった。

 それとは比較にならないほど、周囲一キロくらいの温度が下がったように感じる。ミシミシと音を立てるような氷河期だ。


「あっ、ええと。へ、へえ、そうなんじゃ」


 まったく平静を装えず、助けを求めた。

 前を行く海太くんは振り返らない。このみさんとは反対に首を向ければ、同じ方向に竹中さんも気を取られて・・・・・・いた。


「行きよった高校の近くの田んぼで、一人で散歩しよったらしいです。辺りの人に聞いても誰も知らんいうて、ほいで連れて帰ってもろうたんよね?」


 拾われた状況の解説は、途中からカンタへの語りかけになった。撫でられた当人も気持ちよさそうに、「へっ、へっ」と息を弾ませた。


「じゃけえ、この子が元気にれるように。毎日お散歩するんです。もし立てんようになっても、ちゃんとお世話します」

「相棒いうか、家族ですねえ」

「うーん。どっちも正解です」


 歩きながら、しばらく背中を撫でていた。「気持ちええ?」と問う笑みに、寂しいとか悲しいとかは見つけられない。少なくとも僕の目には。


 良かった、のか? 疑問を残しながらも胸を撫で下ろし、楽しげなカンタとの思い出を聞かせてもらった。


「——ええと、他にはそうですねえ。いっつものんびりさんじゃけど、いざという時には頼りになるんです」

「なんかあったんです?」

「五、六年前ですかねえ。風ばっかりひどうて、雨の降らん台風があったでしょ」


 あった、か? 台風となると交通機関が止まらないかとかばかりで、どんな様子だったかの意識に乏しい。


「あの時、ハウスから変な音しとったんで見に行ったんです。ほしたら猪が中へ入っとって。お父さんとあたしと、近いとこまで行ってしもうとって」

「それをカンタが?」

「聞いたことなあ、低っくい声で唸りよったです。猪もやる気まんまんいう感じじゃったんですけど、カンタが粘り勝ちしました」


 猪とシュナウザーの睨み合い。僕はどちらとケンカしてもコテンパンのはずだ。想像だけでも震えそうな、ヤバいシーン。


「カンタは強いんよね。でも怪我するけえ、無茶したらいけんよ」


 ガシガシと首を掻かれ、褒められた当人も嬉しそうだ。気まずい空気が欠片もなくなり、僕も嬉しい。

 海太くんはまだ来ていないころなのか、振り返りぎみにこのみさんを見つめていた。僕が見ていることに気づいて、さっと前に向き直ったが。


 やれやれ。

 どうしたものか。どうなったら解決なのか。やれやれとしか言いようのない気持ちがむくむくと膨れ上がる。




 それから車の転回場所でバーディーを置き、さらに登った。先を行く人たちが枝葉を鉈で落としてくれて、二人並べるくらいの道が確保される。

 実際はおよそ一列になり、左右の足元を踏みつけて進んだ。


 聞いた通り、ゆったりとした傾斜がそのまま続いた。もう一週間を超えた畑仕事のおかげもあって、僕も休憩なしで山頂へ辿り着いた。

 十一人中、追随を許さないほどの息の切れ方だったが。


「ほしたらなあ、みんなで草抜きしょう。海太くんは修繕するとこぉ、見ちゃって」


 輝一さんの号令一下。あらかじめ知っていたように、みんなバラバラに散らばった。

 たぶん手近な草を抜けばいいのだろうが、まごまごする僕の手をこのみさんが引いてくれる。


 少し斜めだが、三十メートルほどの円形に平たい山頂。縁まで檜の立ち並ぶ中、突然に開けた真ん中にお宮はあった。

 鳥居は見当たらない。一面、腰までの草が伸び放題だが、人ひとりが歩くだけは道がついている。


 正面に賽銭箱と階段。小さな縁と格子戸の向こうは四畳半くらいの木造。

 苔の臭いのする床下を覗くように、このみさんは屈みこんだ。僕も倣って、小さな鍬を地面に下ろす。


「輝一さん。本気で直しゃあ、きりがなあけど」

「できるだけでええけえ。雨漏りやら、大ごとになるんは教えてぇ」


 頭の上の辺りから、海太くんの声が響く。お宮の中まで入って、カンナや金槌の音をさせていた。

 途中、何やら手を貸してくれと。手招きされたのは竹中さんだった。


 持ち場が違う。専門が違う。適材適所という概念も知っている。拗ねることでないと分かっているけれど、ちょっと寂しいのは否定できない。


 昼食はこのみさんが用意してくれていた。から揚げや卵焼き、おにぎり。運動会に持って行きたくなるようなメニューが、お重にぎっしりと。

 久嬉代さんと二人で作ったにしても、かなり時間がかかったはず。それこそ味見くらいしか、僕にはできそうにないが。


「海太ちゃん、お茶も飲まんと」

「なんや、ビールじゃなあんか」


 ひょいひょいっと。自分の食い扶持を蓋に載せ、竹中さんと階段で食べる海太くん。追いかけ、紙コップのお茶を押し付けるこのみさん。


 輝一さんは他のおじさんおばさんたちと、なんだか盛り上がっている。海太くんではないが、紙コップの中身はビールじゃないかと疑った。


「ええところじゃ——」


 久嬉代さんも居たら言うことはなかったが、仕方がない。

 空に近い森の中、ぽかぽかと照る陽射し。冷たいお茶というのに、ほっと温かい息を吐く。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る