第23話 ロンリーナイト

鷹司たかつかささん……どうして? いやまさか、あんなことが現実に起こるわけ……しかし……」

 一人で悩んでいてもらちは明かない。彦坂ひこさかはそう判断したらしかった。正面から鷹司に問い掛ける。


「教えてくれ。もしかして僕は何かとんでもないことをしたのか?」

「仰る通りですね。私の顔に剣で傷をつけたり、レイプしようとしたり、ユリアちゃんと武大ぶだいくんを斬り殺そうとしたりしましたから」

「……すまない。実に無責任な話だが、はっきりと憶えてないんだ。だが自分にできる範囲での償いはさせてもらう。警察に通報するというなら、僕に止める権利はない」


「そうしたいのはやまやまですけど」

 鷹司は吐息をついた。

「でも何をどうやって説明したらいいか。単なる心神喪失状態とはわけが違いますし、警察には荷が重いんじゃないかしら。たぶん悪霊退治は管轄外でしょう。ユリアちゃんはどう思う?」


「私はあなたの友人ではないし、この先もなるつもりはない。馴れ馴れしく呼ぶのはやめてもらおうか」

「大丈夫。すぐ慣れるわよ」


「……とにかく、その男が純粋に自分の意思で行動したのでないことは間違いない。だが悪しき竜のかけらを宿す素地があったことも確かだ。それを以て罪とすべきか否かは私には分らないが……我が君のお考えは? もし討ち果たせとのご命令でしたら、今すぐにでも」


 ユリアは剣を取った。彦坂がぎょっとする。ユリアに荒々しい気配などはなく、だがそれゆえにいっそうの凄みがあった。もし竜仁たつひとがやれと言えば、ためらわずそうするだろうと思わせる。


「だからそれは駄目だって。黒騎士バージョンの時ならまだしも、今はどう見たって普通の人間じゃないか。先生に取り憑いてたやつはもう滅ぼしたんだろう? だったら……」

 何もしなくていい、と竜仁が言うことはできない。被害者は鷹司なのだ。


「それでは、彦坂先生には割ったガラス代の弁償をお願いします。あと今回の件については一切他言無用ということで。いいですね?」

「分った。だけど本当にそれだけでいいのかい? 後になってやっぱり、みたいなのがありそうで少し怖いな」


「そんなのは当然です。何かの時には最大限協力してもらいますから。二人とも、それでいい?」

「我が君の御心のままに」

「鷹司さんとユリアがよければ、はい。僕はいいです」


 彦坂は真摯な態度で頷いた。

「約束するよ。秘密は守る。今後のことについても誠意を持って応じよう」

「結構、ガラス代は後日請求しますから。速やかにお引き取りを。ああ、今さらですけど、玄関に出るまでは靴は脱いでおいてくださいね。常識です」

 男二人はそそくさと言い付けに従った。ユリアも竜仁にならう。


 彦坂が出て行ったあと、竜仁はそのまま玄関口でいとまを告げることにした。まだ深夜というほどの時間ではないが、女性の部屋に用もなく長居はできない。

「お邪魔しました。僕達もこれで」

「待って」

 鷹司が引き止める。野暮なジャージ姿にそぐわない、妙につやっぽい雰囲気だった。


「今夜は泊まっていって」

「え……や、と、泊まってって、その、どういう」

「だって窓があんな状態でしょう。女一人だと物騒だから。そう思わない?」

「それは、そうですけど、でも」


「それにあんなことがあった後だもの。一人で寝るのは怖いし、淋しいわ。頼りになる人に一緒にいてほしいの……子供っぽいわがままかもしれないけれど」

 鷹司の方がいくらか背が高いはずなのに、上目遣い気味に見つめられ、断ろうという選択肢が急速に揮発していく。竜仁は唾を呑み込んだ。


「冗談ではない! 我が君、なりません!」

「あら、どうして?」

「当り前だろう! 男女が共に夜を過ごすなど、もし間違いが起きたらどうする! 絶対に駄目だ!」

「そう、なら大丈夫ね。だって泊まっていくのはユリアちゃんだもの」

 鷹司はにこりと笑った。


「……何? どうしてこの私が貴方のところに泊まらなければならない。何の筋合いもないではないか」

「このマンションの入居者は女性限定なの。男性は立入厳禁ってわけじゃないけど、歓迎はされないわ。どうかしら、武大くん。ユリアちゃんとは一晩だって離れていられないっていうなら、仕方ないからあきらめる。その代わり、あとでどんなだったか聞かせてね」


「いやいや、僕は全然平気ですし。ユリア、泊まっていけば。一晩と言わず何晩でもさ。僕もその方が安心できる」

 ユリアはいかにも渋々といった様子で頷いた。

「承知しました。我が君の仰せとあらば」


「ありがとう、ユリアちゃん。武大くんも。今度改めてお礼をするわ。希望があったら考えておいてね」

「そんなのいいですって。鷹司さんみたいな人の役に立てるなら、僕はそれだけで嬉しいんです。ユリアだって同じ気持ちのはずで、だっ、いてててっ」

「申し訳ありません、我が君。久し振りの戦いで疲れたのか、少々よろけてしまいました。すぐに足をおどけしますので」


 言葉とは裏腹に、ユリアは竜仁の足の甲をますます丹念に踏みにじる。軽く意識が遠くなりかけた頃、ようやく小さな重石から解放された。

 鷹司が同情するような視線を向ける。但し、竜仁にではない。


「無理もないわよ。その小柄な体であれだけ頑張ったんだもの。お風呂入れるから一緒に入りましょう。マッサージしてあげるわ」

「結構だ」


「残念。じゃあ代わりに武大くんと……」

「えっ」

「なりませんっ!」

「いだっ」

「……っていうわけにもいかないだろうし、やっぱりユリアちゃんとにするわ」

 ユリアはため息をついた。足の甲をさする竜仁にじろりと一睨みをくれてから、鷹司に向き直る。


「せっかくだ。貴方の厚意を受けよう。お手柔らかに頼む」

「ええ、任せて。体と髪も洗ってあげる。あ、武大くんはもう帰っていいわよ。今日はどうもありがとう。おやすみなさい」

「あ、はい、おやす」

 みなさい、と言い終わらないうちに、玄関ドアが閉められる。続いてがちゃりと頑丈そうな鍵が掛けられる音がした。


「これでいいんだ。これで……」

 今夜は録り溜まっている深夜アニメの消化に専念できそうだぜ、ふっ。

 竜仁は独りハードボイルドに笑った。

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