第24話 もういちど

「……以上です」

 竜仁たつひとは自分に割り当てられた報告を終えた。一応最低限の基準は満たしたつもりだ。テキストの指定範囲を読み込み、パソコンで作った資料をちゃんと全員分用意したうえで配布してある。内容の要約に加え、重要と思われる用語には注釈を付けておいた。


 これまでのところ、特に文句は出ていない。ある人は静かに資料を眺め、また別の人はテキストをぺらぺらとめくっている。

 やがて沈黙を破ったのは教官の彦坂ひこさかだ。


「今の報告に関して何か疑問や意見はないかな? ……うん、なさそうだね。武大ぶだいくん、ご苦労様。席に戻っていいよ」

 妙に盛り下がった空気の中、竜仁は自分の席に着いた。長机を方形に並べた一番奥の角である。隣は空いている。竜仁がいる側の辺と、直角に接した辺の両方ともだ。

 ちなみに鷹司たかつかさはほぼ対角線上の位置にいた。両隣は二年の男子がいささか詰め気味に占めている。


「発表者は、本の内容をただ抜き書きするのではなく、自分なりの考察や分析を加えるようにしてほしい。荒削りでも構わない。少なくとも議論の取っ掛かりにはなるからね。じゃあ次、二年生お願いします」


「はーい」

 明るい声を上げ、華やかに着飾った女性が席を立つ。それだけで部屋の空気が入れ換わったような印象だ。

 花見沢はなみざわ恭子きょうこが前のホワイトボードの位置まで行くと、皆の視線も自然と集まる。といっても別に浮ついたものではなく、真面目に発表を聴こうという雰囲気だ。


「先週の鷹司ちゃんとは比べないでね。これでもあたしなりに頑張ったんだから」

 花見沢の前置きに、軽い笑いが生じた。鷹司の報告の見事さは、一週間を経てもなお全員の記憶に強い印象を残しているようだった。今さっき竜仁が喋ったことなど、きっともうほとんど忘れ去られている。


 これが現実だ。非日常の戦いの経験は、日々の面倒事をやりこなす役には立たない。事情を知らない他の人達はもちろんのこと、鷹司や彦坂の態度も以前のままだ。まるで特別なことなど何も起きていないかのように。


 本当にそうなのかもしれない。

 このあとゼミが終われば、竜仁は誰に誘われることもなく一人でアパートに帰るだろう。すると白金の髪と瑠璃色の瞳を持った美少女フィギュアが、勇ましく剣を構えた格好で机の上に飾ってあるのだ。命を持たぬはずの幻影は、想像の世界で竜仁に向かって呼び掛ける。


「我が君!!」

 まるで頬を張られたみたいな心地がした。

 どうやら竜仁は自分で考える以上に重症らしい。夢と現実の区別がつかなくなっている。


 だって異世界の天剣騎士がこんなところに現れるわけがない。

 幻聴にしては鮮烈に過ぎたし、姿もまざまざと見えていた。

 おまけに変なところでリアルだ。身に纏っているのは、いかにもファンタジー作品から抜け出たような美々しい瑠璃色の鎧ではなく、平凡な男物のデニムと綿シャツだった。竜仁の持っている物とそっくりだ。色落ち具合まで忠実に再現されている。


 そのくせ腰にはやたらと見事な剣を差していた。

 小教室の戸を問答無用で開け放ったとんでもない美少女は、竜仁の存在を一瞬で認めると、固まった部屋の空気を切り裂くようにして真っ直ぐに歩み寄る。


「我が君、弱いながらも悪しき竜とおぼしき気配を感知しました。またかけらが何処いずこかに宿ったのかもしれません。すぐに確かめに参りましょう!」

 唖然とする竜仁の手首を、ユリアは容赦なく掴み取った。見た目は華奢きゃしゃで可憐だが、中身は竜をもひしぐ豪の者だ。最近少しばかり体を鍛え始めたぐらいで太刀打ちできようはずもない。


「待って、今僕ゼミ中だから」

 我に返って抵抗しようとしたが、ぐいと引かれて立たされる。足に掛けて倒れた椅子が、けたたましい音を響かせた。


 気付けば室内の全員から注目されていた。いったい何事だ。このものすごい美少女は誰なんだ。そんな無言の問いが、圧力を持って迫りくる。

 異世界を飛び出したユリアが、今この場の主役になっている。そして相手役の位置に据えられているのは、他ならぬ竜仁なのだ。


「あー、えっと、これはその……」

「我が君? 何をぐずぐずしているのですか」

 ユリアが苛立たしげに振り返る。周囲のことなどまるっきりお構いなしだ。これから己の向かう先しか見えていない。その道はきっとどこまでも真っ直ぐなのだろう。


 けれど竜仁は迷う。ユリアと共に行く? 完全におかしな奴の仲間入りだ。果たして皆にどう思われることか。適当にごまかしてここにとどまる? 無難だし、これまで生きてきて馴染みのあるやり方だ。おそらく自分にはその方が合っている。

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