第9話
このベンチ、寝っ転がるには少し狭い。そのため沖宮さんは俺の隣に座っており身体を預けている。足だけ俺の膝に乗せる形でマッサージをしている状態だ。
この体勢は色々と問題があるような……。とにかく密着しすぎている。言うのもはばかられる柔らかい箇所が俺に当たっていた。それに沖宮さんは練習後なのに良い香りがするんだよな……。
……頭がクラクラしてくる。
ってダメだ。オーディションに向けて練習しなきゃいけないのに俺がこんな調子では……。
このままではまずいと思い、俺がひざまずいてマッサージをすると言ったのだが大友君にそんな恰好はさせられないと断られてしまう。
「あの……、嫌とかじゃないんだけどちょっと離れてもらえると嬉しい……。少し当たってるから……」
「当たってるって何が?」
「俺の口から言わせるつもり……? それとも本当に気づいてないの?」
「うーん、大友君が何を言っているのか私には難しくてよく分からないなぁ」
そう言う沖宮さんの顔が少しほころんでいた。口角が上がっており俺の反応を見て楽しんでいるように見える。でも確信が持てない。だって沖宮さんは少し抜けている所があるから……。もしかしたら本当にこの体勢のおかしさに気づいていない可能性だってある。俺はツッコミを入れるべきか迷っていた。
すると遠くから俺を呼ぶ声が聞こえる。この声は近衛ことはだ。
「唯友さ~ん!!」
「ことは、こっちこっち」
「大友君、なぜ近衛さんが?」
「俺が呼んだんだ。歌の練習に付き合ってもらうにはやっぱり現役アイドルがいたほうが心強いかなって」
「そっか。確かにそうだね(ふたりきりだったのに……)」
何故か沖宮さんが少し寂しそうな顔をしている。だがことはが駆け寄ると表情が元に戻った。一体何だったのだろう……?
ことはがこちらに着くと同時に俺にこの状況の説明を求めた。
「お二人で何をされていたんですか?」
「ダンス練習の後にクールダウンもかねてマッサージをしていたんだよ」
「なんだかあんまり密着していたものですから声をかけちゃいけないのかと思いましたよ」
「あはは……」
確かにはたからみればあの体勢は色々と誤解を招きそうだったよな。
「あの……杏子さんって呼んでいいですか?」
「好きに呼んでくれて大丈夫だよ」
「今日は唯友さんに杏子さんの歌を見てもらうように言われてきたのですが、さっそくみせてもらってもいいですか?」
ダンスの方はもう既に他の追従を許さないレベルに達している。正直言って今の沖宮さんと張り合えるのは現役アイドルでさえトップ中のトップだけ、そういうレベルだろう。
そうなると次は歌だ。歌の方はまだ未知数。オーデションに向けて歌を集中的に練習していく必要があると考えた。そこで今日は、ことはを呼んで現役アイドルの目から見てもらうことにした。
早速、沖宮さんが課題曲を歌って見せる。
「いいですね、お腹からしっかり声が出てますね」
最初は緊張していた沖宮さんだったが徐々に自然体で歌いだす。褒め上手だ。やはりことはは人をやる気にさせるのがうまい。
「よし、お次はダンスも同時にお願いします」
「分かったよ」
「えっ……。すごい……。ダンスのレベルは佳音さん以上かも……」
ことはが驚いている。歌と同時でもダンスのキレの良さは健在だ。だが沖宮さんの表情が何故か不満げだった。
「沖宮さん、なんだか不満そうだね?」
「やっぱり笑顔を作るのがうまくいかなくて。表情コントロールって難しいね」
「表情の作り方にはコツがあるんですよ」
そう言ってことはがカバンから何かを取り出す。
「それは、割り箸?」
「そうです。これを口にくわえるんです」
割り箸トレーニングか。聞いたことはある。確か口にくわえることで口角を自然に上げるものだったような。
「こ、こうかな?」
「ふふ……。それを習慣づけてくださいね。そうすれば自然と口角が上がって癖になってきますから」
「それに、この割り箸、表情作りだけではなく滑舌のトレーニングにも使えるんです」
そうか、割り箸をくわえて舌の動きを意識して発声することで滑舌の向上に繋がるというわけか。
流石、現役アイドルだ。ためになる情報をいくつも持っている。もう一度、表情も意識して歌とダンスを通しで行う。
「さっきよりも良くなってきてます。呑み込みが早いですね」
沖宮さんがどんどん上達しているのが目に見えるレベルで分かる。やはりことはに頼んで正解だった。
「きっとオーディション通ると思います。応援してます」
「ありがとう近衛さん。私、頑張るね」
「ことは、今日はありがとう」
俺たちのためにわざわざ時間を作ってくれたことはにお礼を言う。
現役アイドルによる歌のお墨付きももらったことで沖宮さんは自信もついているようだった。俺たちはこの後もことはが指導してくれたことを意識して一層厳しく練習に取り組んだ。
◇
遂に本番当日、俺は沖宮さんの付き添いとして一緒にオーディション会場へと向かった。
オーディションは審査員五人によるひとり持ち点20の100点満点での評価だ。その点数の上位五名がユニット参加の権利を得られる。
最初の参加者が壇上に登りダンスと歌を披露する。傍目にはかなりレベルの高いパフォーマンスに見えたのだが審査員の表情がどこか険しい。最初のひとりがこのオーデションにおける点数の基準となる。そのため誰もがその点数に注目していた。
そして採点、12点。
会場が騒然としている。あのレベルで12点……。厳しすぎる。
今回のオーデション、かなりレベルが高いと予想していたが想像以上だった。他のオーディションなら合格になるような水準でもこの点数とかなり厳しめだ。審査員の目が肥えているということか。
そして次々と壇上に登るがやはり10点台。20点の大台を超えられる者すら一向に現れる気配がなかった。
「ふん……。この程度の手合いしかいないの? 期待外れもいい所だわ」
駒家さんが自信満々にそう言ってのける。この状況にプレッシャーを感じていないのか?
そんな嫌なムードの中、沖宮さんの番が来た。
壇上にゆっくりと登る。『何、あの美少女……』そんな感嘆とした声がどこからか聞こえてきた。明るい髪色が多かった今回のオーデションの中、今までの参加者とは異なる飾らない美しさ。ナチュラルな存在。審査員がどこか期待の目で彼女を見ているのが分かる。
審査員五人の目が沖宮さんのビジュアルに釘付けだ。
それでも駒家さんたちは余裕の微笑を浮かべている。まるで自分たちの勝利を確信しているような顔だ。だが曲が始まった直後にその表情は崩れ去る。
「な、なによこれ……」
「ありえません……」
自然に言葉がこぼれ出る。今回のオーデションのダンス、曲の特徴から皆が力強さを重視しているようだった。にも関わらず彼女のダンスは繊細さから始まった。曲の序盤は丁寧で繊細な動き、そこから徐々に曲が盛り上がるにつれて解放するように力強さを押し出していく。そのギャップがよりダンスの力強さを印象付けた。ダンスに対して引き出しの多い彼女だからこそできる動き。唯一無二だ。
明らかに今までの参加者を見ていた時と審査員の表情が異なる。
自然に目を奪われる。繊細なダンスと清廉な印象の美しい黒髪との親和性が高い。
またダンスだけでなくことはが教えてくれた甲斐もあり表情コントロールもうまくいっている。持ち前のリズム感をいかんなく発揮しており歌も問題ない。
「あ、ありえないわ……」
駒家さんから先ほどまでの不敵な笑みが消えた。余裕がなくなっているのが分かる。焦り、緊張、不安。そんなものが伝わってくる。
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