⑭ 領域
田のあぜをひたすら歩いた。田圃は、先がかすむほど果てしなく、その向こうまで行けばきっと何かがあると信じていた子供の頃。
自分の世界が、家の前の生垣と、無花果の木と、その向こうの細いどぶ川、遠くまで広がる田圃。それだけだったあの頃…
実家は、大きな土地持ちの家の借家で、今では細い路地となった旧東海道に面して、母屋であるお屋敷の玄関が有る。屋敷の裏に広がる農機具小屋と畑の向こうに、昔は小作の家として使っていたらしい借家。私の家があった。
その当時、その町には、旧東海道に張り付くように並ぶ家と、その裏に各々が所有する田圃と畑があるだけだった。
表の井戸(男井戸)と裏の井戸(女井戸)、二つの井戸を持つこのお屋敷は、この辺りでは有数の資産家。母屋の庭には、長い廊下のついた雪見障子から眺められる落ち着いた美しい日本庭園があった。
借家は全部で六軒。そのうちの二軒は土蔵のような造りで母屋から続いている。私より一つ年上の兄弟がいる家と、うんと小さな女の子がいる家の二軒。
畑をはさんで離れて建つ、純和風の二軒長屋には私の家があり。後の二軒は新しい造りの二軒長屋で、若い夫婦が二組住んでいた。
私はこの家で中学の二年の夏まで過ごした。月に一度母家に家賃を収めに行く。私の役割だった。
裏から回るとお屋敷のたたきはひっそりと静まり返り『すみません!』と呼ぶ声が、ひんやりとした土間に響いた。静けさに耐え何度も叫んで大人の登場を待った。
春になるとイチゴが出来。夏になるとダリヤが咲く。私の家と二軒長屋の隣りの家は、大家である母屋の親戚筋で、寡黙なおじさんがいつも畑仕事をしていた。
私がつまむくらいのイチゴは誰も怒らなかったし、他にもイチジクやざくろの実がなった。隣の兼ちゃんは自由奔放に、あちこちの木に登って実をもいでくる。兼ちゃんにしてみれば、屋敷内に生える柿の木も無花果の木も、自分の家の木のような物で遠慮がない。私は木登りが苦手なわけではないが、人の家の柿の木に登ってはいけないので、いつも猿蟹合戦の蟹のように下から眺めるしかなかった。
子供の頃、私はよく悪さをした。父親のバイクを触って倒したり、家のお金を持ち出して古瓦の下に隠したり。それもあっけなく姉や兼ちゃんに見つかって告げ口され、その度にこうして田のあぜを黙々と歩いて向こう側まで行こうとした。
あぜ道道中は、現実逃避の小旅行だった。子供の足で田んぼの向こうは遠かった。気落ちしてうつむきながら歩く道は険しい。田んぼの周りをぐるりと囲むどぶ川沿いを歩き、途中で右に折れてあぜ道に入る。
大きな爆弾池を左に見ながら行くと、キンポウゲや芹の群生する場所がある。この辺りまではせり摘みに来たことがある。子供には飛び越えにくい小さな水路が今も記憶の中におぼろげながら存在する。
もう少し行くとそこからは、ついに前人未到の地となって、不安を感じながらも振り返ると、自分の家はもはや小さな芥子粒のようになっている。ひたすら顔を強張らせ歩いて行くと、春になると毎年家族で土筆採りにやって来る向こう岸の土手に出た。
そこを駆け上がる。そこから先は、また踏み込んだことの無い世界だった。思考はここで止まる。
そこから先は夢の中でもシュミレーションした事の無い場所。ここまで来ると字名もかわり、見たことの無い人種に出会う気がした。
その狭い世界で暮らした子供の頃。田んぼのあぜ道は、人生そのものだった。そこを何度も堂々巡りして克服した恐怖心。
思い返せば、それは小学校に上がる前。その年ですでに存在した、人生を考えて悩み、生き抜く私の哲学の道だった。
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