⑫ それなりの幸せ

たいていのことはあきらめて暮らせる。あきらめろと言われれば気持ちを切り替えるまでもなく、与えられた状況の中で生きられる。

それが自分の特性だと、そう積極的に思えるまで長い年月がかかった。子供の頃、自分の一生はあきらめることで出来上がっている。一番得意なことといえば「あきらめるためにどうするか考える」ことだ。と思っていた。

昭和四十年代、高度成長期。家庭ごとの貧富の格差が目に見えて激しかった時代。どこの家にも同じものがあるはずが無い時代に育った。

ピアノの有る家と無い家。自家用車を持てる家と持てない家。綺麗な洋服の着れる家と着れない家。テレビがカラーの家と白黒の家。

家…親の意識の違いが如実に生活に反映する領域。

そういう時代の中で、あきらめることが自分の人生だと思って生きるしかなかった。自分の欲しい物、なりたいものが決して簡単に手に入らないことを肌で感じて大きくなった。

今の勝ち組と負け組みとは根本的に、決定的に違う格差。努力しても得られないものだらけ。

子供の頃、学校ではバレエ教室が流行した。少女フレンドやマーガレットなどの少女雑誌に華やかなバレエやテニスの漫画がキラキラと輝いて載り始めた時代…

友達のピンクのレオタードを憧れで見つめた。

多分、今いる場所から違う場所に飛びたかった。

自分の本当の場所は此処ではなく、もっと他にがあると考えたかった。

可愛い友達が欲しかった。ゆとりのある暮らしが何なのかのぞいてみたかった。

小学校一年の時、勇気を出してバイオリンが習いたいと親に頼んだことが有る。親も賛成して教室を見に行ってくれた。それから楽器店へ出かけバイオリンの値段を確かめた。

すると、突然親は色々難癖を付け始めた。

「毎日練習出来る筈が無い」とか、「この夏はおばあちゃんのところに行くから無理だ」とか…それがバイオリンの値段のせいだということが直ぐにわかった。

無理は言えない。言える暮らしぶりでもない。物分りのいい子を演じることが、傷つかない一番の近道だった。

その道を幾黙々と歩き続けた。

自分の努力で変えれる範囲の変革はささやかなものでしかなかった。

…そして今の暮らしにたどり着いた。

小さなことで感動できる毎日。

多くのものを手にしなくても満たされる心。

夫の優しさに素直に答えられる感謝。

自分の中にある不思議な世界に気づく…傷つくことの無い世界。欲しがらない世界。それに耐えて生きた自分にとってほどほどに物があり、ほどほどにやりたいことが出来る生活は幸せな人生だった。

これこそ幸せだ。と思った…慣れてしまえばあきらめは形の違う可能性に変わった。そこから見た世界は、ささやかな幸せをもたらした。

無理をしない、求めない性格は穏やかな、競争のない家庭を作ることに役立った。

幸せな結婚…

そういう幸せに行き着いた。それは長い道のりだった。



※私の作品の中に何度もリフレインして登場するバイオリン教室。相当行きたかった  んだな。と今になっても思う。私は今幸せにもバイオリン教室とコーラスの会に参加している。後、毎月一回レザーの会にも…

本当に幸せだ。

だが、しかし私の一番やりたいことは執筆活動で…

と長年思っていたら…これもなんとなくやれるようになってきている。

この上ない幸せに、そろそろ運も尽きるかなと…不安になる。

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