③ 結婚はしたほうが良いのか?
結婚はした方が良いのか、しない方が良いのか?
と、聞かれたら、私は即答でした方が良いと答えたい。
「一人じゃ食えないけど、二人なら食える」
と言った、一見乱暴な母親の言葉に惑わされて勝負に出たわけじゃないけれど…
確かに「二人なら食える」と言う名言は正しいような気がしている。
結婚し寿退社して以来、私は一度も正社員で働いたこともないし、家でゴソゴソするだけでこれといって副業もしていない。でも、今まで飢えもせず生きてきた。
相棒がそれほど凄い月給を貰っていたのでもないけれど、3人育て上げられる。工夫すれば生きられる。生きられるという感覚は戦国時代並で潔いい。
贅沢したいという気持ちなど当時は微塵もなかったし、フワフワ浮かれて結婚に憧れたわけでもない。
所謂セレブではないのだから月の給料はたかが知れている。到底、贅沢できる予想も妄想も持ちようがなかった。
行き当たりばったりの毎日を若さで乗り切った日々は、嫌なことが記憶に残らないほど無我夢中だった。
ようやっとここまで来たんだな~と、還暦を前にして改めて感慨にふける。
他人事でなく、人任せでなく、生活して愛を育んで家庭を営むという、現代人が忘れがちなホモサピエンスさながらのサバイバル的キラキラ感が家庭経営には満ち溢れている。
家庭経営って良いもんだ。面白い。大冒険だ。人類最後の二人になって無人島で暮らす感覚だ。そういう意味なら浮かれて幸せにここまで来た実感はある。
とはいえ、良い事ばかりではない。私たちは結婚して3ヶ月で見事に挫折した。
親との同居で脛をかじってのんきに暮らせば良かったのに、マインドの脆弱な私は、予期せぬ物音や親切すぎる家訓、『いたれりつくせり』な毎日に心が折れて…
今では慣れきって何でも頼ってしまう程度の事が(今だからこんなに昇華された言葉で言ってしまえるが、当時の一日一日はかなりシンドかった…はずだ)その当時の閉鎖的な懐疑的な私には耐えられなかった。
名古屋の結納は全国的にも有名なほど派手だ。トラックを何台も連ね、新車も紅白の襷を架けて行列に並ぶ。結婚ともなると出発時には屋根の上からお菓子を撒いて近所に大々的に、娘が嫁に行くことを知らせるのが習慣。
我が家は両親とも名古屋の出ではないのでそこまでの嫁入り行列はしなかったが、家具屋にトラックを借りてささやかに一台、なけなしのお金で揃えた荷物に紅白の幕を巻いてちゃんと仲人を立てて、威勢良く婚家まで運んだ。さすがに菓子投げまではしなかったが(姉より先に結婚しちゃったからね)…
その荷物も、せっせと調えた着物も全部相棒の実家に残して、必要最低限の荷物をまとめて、逃げるように県営住宅に引っ越した。
今時の若者なら平気で姑に下着も洗ってもらえただろうか?
食事のしたくも仕事から帰ったら出来ている。
何もしなくていいと手を出させてもらえない。
やってもらうことに慣れてない私は、息苦しくて精神状態を崩した。
彼が家を出ようと言ってくれて、私たちは引っ越した。
家賃二万8千円。月給8万弱の私たちにはかなりな痛手だった…
結婚は二人でするものじゃなく家どうしの結びつきだと、これほど多様化した現代にもそんな考え方は残っているのか、あの当時が最後の境界線だったのか、なかなか自分たちだけではどうにもならないジレンマが次々と押し寄せた。
細かいことを思い出そうとしてももはや思い出せない。嫌な記憶は案外簡単に海馬から消え失せてしまうものらしい。
わずか3ヶ月で挫折したメンタルの弱い自分だったはずなのに、そんな私でも乗り越えられたあの現実は彼の英断が全てだったと思う。
私の体を気遣って家を出ようと言ってくれた。6万円で生活する茨の道を選んでくれた。
元々親との同居は私たちからの申し出ではなかったので二人で暮らす覚悟はあった。と言うより親から同居が条件と言われるまで、本当は二人で暮らすものだと思っていた。
時代が違う。
当然いつの時代も過ごしてしまえばその時代は、今とは比較にならないほど違うものだ。
携帯も、ゲームも、派手なアトラクションも、信じられないことかもしれないけれど映画館も地方には少なく、休みの日に行く所なんか何処にも無かった時代。今と比べれば掛かる経費が格段に違う。
お弁当を持ってって、コンビニも惣菜屋もない時代、当然手作り。のどかな時間を過ごしに公園に行くことが本当に楽しかった。給料は僅かづつでもだんだん上がる。子供が独立した頃には貯金もできるようになる。
少しの我慢と慎ましやかな生活で幸せになれる未来がある。
家財道具も一つで済む。トースターも二ついらない。冷蔵庫もひとつでいい。当然車も仕事に使わなければ一台でいい。光熱費の基本料が一軒分。もちろん家賃も…
当たり前なことだけど一時的、年次的、一生分のこれらの値段を考えたら、お互い別々に暮らす方が恐ろしくなるくらいの経費はかかると思う。
私は極度のケチなので当然それだけでも本気で結婚を考えることができる。
どんなに湯水のように収入があったとしても残すことに異論がある人はいない。いざという時のためにお金は大切である。
合理的という考え方だけで結婚を選ぶのもそれはそれで悪くわない。二人がひとつの所帯で暮せば非常に効率的でエコで省エネなのだ。
ただ一つ条件がある。お互い慎ましく生活する知恵があるか…そこは時代が変わっても不可欠だと思う。
なぜ結婚するのか?
その昔、世の中には適齢期というものがあって人はそれに従って結婚を考え実行できた。世の習い。その力は普遍に強くて嫁に行くことは人格肯定の極みだった。だから、結婚できた。人口減少の問題もなかった。人は結婚しないといけない存在だったから…
考えられないよね。それを学校で教わらなくても身に付いて行動できたんだから。子供を持つことも育てることも抵抗なく受け入れられた時代。私のひと世代前は、それを会ったこともない人と出来たらしい。(母は写真で気に入られて一度会ってそれで結婚したらし)今ならそんなこと考えられない。いや、またそんな時代は来ようとしているのか…アプリで会って結婚ってあるもんね。
長くなってなんだか愚痴っぽくなってきた。
自由が勝って道理がなおざり。好みが複雑化して的が絞れない。誰だって自分を大事にしたい。やりたいことを思いっきりやれる環境に居たい。
でも、結婚しても子供がいてもやりたいことができる。理想も有っていいと思う。
大好きな人がいてこそだよね。それはそう思う。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます