第7話 屋久島殺人事件
10月10日午後5時20分
永倉は黒狼駅近くの図書館にいた。
辞書でアルラウネについて調べた。
マンドレイクという花の亜種としてドイツにアルラウネ(Alraune)、アルラウン、アララウン、アルリュネケン、エルトメンヒェン(erdmännchen「大地の小人」)がある。
グリム兄弟『ドイツ伝説集』第84話によれば、盗族の家系に生まれた者、妊婦なのに盗みをしたりしようとした女性から生まれた者、実際には無実なのに拷問にかけられて泥棒の「自白」をした者が縛り首にされたとき、彼らが童貞であって、死に際に尿や精液を地にたらすと、その場所からアルラウネ、またはガルゲンメンライン(Galgenmännlein「絞首台の小人」)が生じるとされる。
アルラウネを引き抜く方法はマンドレイクと同じで、犬に引き抜かせる。そうして手に入れたアルラウネを赤ブドウ酒できれいに洗い、紅白模様の絹布で包み、箱に収める。アルラウネは毎週金曜日に取り出して風呂で洗い、新月の日には新しい布を着せなければならない。そうしてアルラウネにいろんな質問をすると、この植物は未来のことや秘密のことを教えてくれる。だからこれを手に入れたものは裕福になるのである。しかしアルラウネにあまり大きな要求をすると力が弱って死んでしまうこともある。
持ち主が死ぬと、末の息子がこれを相続する。そのとき父の棺にはパンの切れ端と一枚の貨幣を入れなければならない。しかし息子が父より先に死んだら所有権は長男のものとなる。このときも末の息子の棺にパンの切れ端と貨幣をいれなければならない。
アルラウネは必ずしも植物の根であるというわけではなく、家の精霊コボルトと混同されて「小さな人形」であったり「小動物」であったりすることもある。いずれにしても入手困難で世話も大変である。
ヤーコプ・グリムは、『ドイツ神話学』第37章「薬草と鉱石」において、アルラウネの語源はドイツ古代の女神アルラウン(Alraun)ではないか、と主張した。
館内に閉館を知らせる『蛍の光』が流れ出す。
10月12日
この日の朝早く、永倉たちは屋久島にやって来た。靖子は永倉を半ば強制的に屋久島に連れてきた。靖子は黒い玉を手にしていた。悪いことをすることで魔法を取得できる。殺人は1人殺す度に1時間不死身になることが出来た。
靖子は新たな魔法を取得したいが為に永倉を拷問した。靖子は虫責めという手法を使った。永倉を裸にして拘束し、身体に蜜などを塗り野外に放置し、蜂やカマキリに襲わせるのだ。
屋久島は1993年に青森県の白神山地と同時に、日本初となる「ユネスコ世界自然遺産」に登録されました。 九州で一番高い宮之浦岳などの山々がそびえ、森の中には樹齢1000年以上の屋久杉などの巨樹が見られる。 亜熱帯の植物や巨大な瀑布、清らかな渓流、澄んだ海など多種多様で美しい自然が、この一つの島の中に展開している。
永倉は海を眺めていた。フェリーが遠ざかり、やがて見えなくなった。
『フェリーはいびすかす』の最大のメリットは鹿児島から屋久島への料金が最安なこと。 片道3,900円、往復7,800円。 また、屋久島から鹿児島へ戻る場合は、朝8時10分に屋久島の宮之浦港を出て、谷山港へ14時40分の到着となる。 屋久島〜鹿児島の所要時間は6時間30分と、行きより短くなる。
一周を海に囲まれているが、海岸線は崖や磯になっている部分が多い。そのため、砂浜はごく僅かで、海水浴の為の施設は乏しい。
「あんな痛いことしなくたって、ついてきたのに」
「魔法を覚えたかったからさ〜」
「そんなことであんなことすんなよ。アナフィラキシーショックで死ぬかと思った」
「そんなことよりさ、温泉に行かない?」
「そんなことより!? 俺の命と温泉どっちが大切なの?」
「決まってんじゃん。温泉だよ」
2人は
混浴だと知って永倉はワクワクした。宮沢りえや鈴木保奈美みたいな美人がいたら超ラッキー❤
予想に反して誰もいなかった。
欲情した靖子は永倉のモノを撫でてきた。
徐々にその動きは早くなり、永倉は湯の中で絶頂に達した。
岩手県上閉伊郡上郷村(現・遠野市)の山女は性欲に富み、人間の男を連れ去って厚遇するが、男が精力を切らすと殺して食べてしまうという。
13時頃、ゲストハウス『アロ』にやって来た。アロは屋久島人の気質を表す。永倉たちはロビーにいた。
「ゲストハウスとホテルってどう違うんだろ?」と、靖子。
「ゲストハウスもホテルも、宿泊施設という意味では同じ括りになる。 大きな違いは、ゲストハウスが素泊まり専用の宿泊施設ということだ」
10月14日 - 交通博物館の後継である鉄道博物館がさいたま市の鉄道博物館(大成)駅に隣接して開館。
永倉たちは午前10時頃、
久坂はどことなく、『太陽にほえろ!』でゴリさんを演じた竜雷太に似ている。
鹿児島県肝属郡牛根村(現・垂水市)では山奥に押し入ってきた男を襲い、生き血を啜るという。信州(長野県)の九頭龍山の本性を確かめるために山中に入った男が、山姫に遭って毒気を浴びせられ、命を落としたという逸話もある。
屋久島では山姫をニイヨメジョとも呼び、伝承が数多く残る。十二単姿で緋の袴を穿いているとも、縦縞の着物を着ているとも、半裸でシダの葉で作った腰蓑を纏っているともいうが、いずれも踵に届くほど長い髪の若い女であることは共通している。山姫に笑いかけられ、思わず笑って返せば血を吸われて殺されるという。山姫をにらみつけるか、草鞋の鼻緒を切って唾を吐きかけたものを投げつけるか、サカキの枝を振れば難を逃れられる。しかし、山姫が笑う前に笑えば身を守れるとの伝承もある。
かつて屋久島吉田集落の者が、山に麦の初穂を供えるため、旧暦8月のある日に18人で連れ立って御岳に登った。途中で日が暮れたため、山小屋に泊まった。翌朝の早朝、飯炊きが皆より早く起きて朝食の準備をしていたところ、妙な女が現れ、眠る一同の上にまたがって何かしている。結局、物陰に隠れていた飯炊き以外の全員が血を吸われて死んでいたという。
1965年、鹿屋市輝北町上百引の神社内で遭遇。神社は、小学校の裏手に位置しているため学校帰りに10名ほどの友人達と立ち寄って、銀杏の実を落として拾っていたところ、社殿脇の藪からカサカサ ガサガサという音が聞こえてきた。構わず銀杏めがけて石ころなどを投げては落としていた。しかし、先ほどとは大きく異なる音が聞こえ、皆その方向に目を向けた。次の瞬間、先端から尾にかけて少し末広がりな、長さ1Mほどの白い布のように見えたそれが、俊敏な速さで弧を描いて藪上の宙を三度ほど飛んでは下に消えた。同時に、それが宙を飛んでる真下の藪もまた、凄まじい音と動きで右から左へと分かるぐらいの勢いで激しく揺さぶられていた。皆、一斉に声を発してその場から遠く逃げ出した。このことを帰宅後、母親に話すと山姫とのこと。母親の兄もかつて遭遇しており、聞かされた話があった。昼でもうっそうとした杉山に燃料の枯れ枝を拾い集めに行っていたところ、カサカサという音に鶏でも迷い込んだかと目を向けたところ、突然、眼前に真っ白なものがスッくと立ち上がり、見上げると小顔の女性であった。仰天して逃げようにも全く足腰に力が入らず、気づけば手だけで地面を泳ぐように漕いでいた、といった始末。帰宅して話すとやはり山姫であると祖母が語り、笑ったら殺されるそうだとも諭したそうだが、とてもそんな余裕などあろうはずもない。
「怖い話ね?」と、靖子。
「そうだな」
永倉の腹が鳴った。
「ご飯でも食べに行く?」
「うん」
レストランに入り、永倉はトビウオの唐揚げを頼んだ。想像以上に美味かった。
靖子は屋久鯖の塩焼き定食を頼んだ。
永倉は顔を顰めた。
「どうしたの?」
「俺、鯖苦手なんだ」
「鯖を食べないと生き残れないわよ?」
「どうせ、サバイバルとか言うんだろ?」
山姫神社の神主を務める久坂は、かつて持っていた仕事への熱情を忘れ去っていた。
神主は本来、神社における神職の長を指していたが、現在では神職と同じ意味で用いられる。
江戸時代までは物忌(伊勢神宮、鹿島神宮)、忌子(賀茂神社)などの名称で女性の職掌も存在し、他の職官でも女性の神職は存在した。しかし、儒教思想に影響を受けた明治政府の宗教政策により、女性神職は存在しなくなった。その後、第二次世界大戦後の1946年(昭和21年)に男女同権思想と、神社の後継者問題(主に出征した神職の戦死、長期未帰還など)の面から、再び女性神職が認められるようになっている。
神社本庁では、「階位検定及び授与に関する規程」により、以下の5つの階位区分がある。明階までは所定の研修を受けることにより昇進が可能である。なお、階位の名称は神道で徳目とする「浄明正直」(浄く明く正しく直く)から取られたものである。
階位の最高位で、長年神道の研究に貢献した者に与えられる名誉階位。
別表神社の宮司及び権宮司になるために必要な階位。この階位であれば、勅裁を要する伊勢神宮の大宮司以外ならどこの神社の宮司にもなれる。
別表神社の禰宜及び宮司代務者になるために必要な階位。
一般神社の宮司及び宮司代務者、別表神社の権禰宜になるために必要な階位。
一般神社の禰宜及び権禰宜になるために必要な階位。
ある日、久坂は体調不良のため休暇を取り、医師の診察を受ける。医師から軽い胃潰瘍だと告げられた久坂は、実際には胃癌にかかっていると悟り、余命いくばくもないと考える。不意に訪れた死への不安などから、これまでの自分の人生の意味を見失った久坂は、これまで貯めた金をおろして夜の街をさまよう。そんな中、飲み屋で偶然知り合った
久坂は一時の放蕩も虚しさだけが残り、事情を知らない家族には白い目で見られるようになる。
その翌日、久坂は神職を辞めて『アルラウネ』という宗教団体に転職した部下の
それから3ヶ月後の10月15日、久坂は死んだ。久坂の通夜の席で、神澤が久坂の最期を語り始める。久坂は『アルラウネ』の教祖からの脅迫にも屈せず、地鎮祭を開催させ、雨の降る夜、神社のベンチで息を引き取ったのだった。永倉も焼香に訪れた。いたたまれなくなった神澤が退出すると、永倉は怪しい人間だと眉を顰めた。
通夜の翌日、永倉と靖子は島を散策していた。
温帯最南部のほぼ亜熱帯に属する地域にありながら、2,000m近い山々があるため亜熱帯から亜寒帯に及ぶ多様な植物相が確認された。
海岸付近の低地はアコウ、ガジュマルなど亜熱帯性の植物相である。このガジュマル林は日本最北端のものとされる。
やや内陸の標高約500mまではシイ、ウラジロガシなど暖帯林、約500mないし600mから1,000mないし1,200mはウラジロガシ、スギおよびイスノキなどの混合林で移行帯となりスギの人工林もあり、約1,000mから1,600mは屋久杉、ヤマグルマおよびモミなどの温帯林となる。約1,600m以上はササに覆われ、ヤクシマシャクナゲなどが点在し、高山的様相を呈する。本州や四国などで落葉広葉樹林帯に相当するブナ林はなく代わりに屋久杉が分布し、同程度の標高である石鎚山脈、剣山地および大峰山脈とは異なり、南海上の島である屋久島はシラビソなどの亜高山帯針葉樹林を欠く。
島の中心部には、日本最南端の高層湿原である
14時頃、永倉と靖子は
海岸沿いにある露天風呂で、男女湯がパーテーションによって仕切られているのみ。更衣室はない。 映画『学校Ⅳ』で、パーティションで仕切る前、改装前の姿を見る事が出来る。
近隣の平内海中温泉に比べると、潮の干満の影響を受けない。水着の着用は禁止。野趣に欠け湯温もややぬるめのためか、人気は少ない。無人施設だが寸志として100円。
北島三郎に似た男性が後から入って来た。
彼は屋久島の歴史に詳しかった。
屋久島が初めて文献に出現するのは、中国の歴史書『隋書』大業3年(607年)、煬帝の代に「夷邪久国」の記述が見えるのが最初である、この「夷邪久」は屋久島を指す説と、南島全般(すなわち種子島・屋久島より南方)を指す説とがある。
『日本書紀』では推古天皇24年(616年)に掖久・夜勾・掖玖の人30人がやってきて、日本に永住したという記事が見られ、舒明天皇元年(629年)には大和朝廷から掖玖に使が派遣されたという記載がある。『日本書紀』で、
『続日本紀』には、文武3年(699年)に多褹・掖玖・菴美・度感から朝廷に来貢があり位階を授けたと記載がある。また同書には、種子島とともに多禰国との記述があり、大宝2年(702年)8月1日条に「薩摩と多褹が化を隔てて命に逆らう。是に於いて兵を発して征討し、戸を校して吏を置けり」とあり、薩摩国と多禰国が成立する。これ以後、大和朝廷は令制国として一国に準ずる多禰国に国司(嶋司)を派遣する。
多禰国からの税収はとても小さかったが、南島(南西諸島)との交流や、隼人の平定、遣唐使の派遣のため格は中国として扱われていた。実際、天平勝宝5年(753年)12月7日に鑑真、大伴古麻呂、吉備真備らを乗せた遣唐使船の第二船、第三船が屋久島に帰国し、鑑真が来日したは場所は屋久島である。屋久島で11日間の1日の滞在を経て第二船は12月18日に大宰府に向けて出港、20日に秋目、26日に大宰府に到着する。734年(種子島)と753年(屋久島)の二度、遣唐使が多禰国に帰国した。『日本書紀』では7か所に多禰、『続日本紀』では21か所に「多禰」または「多褹」と記述されている)
しかし、島民を兵として徴用しても動員が難しく、年貢として取り立ても少ないことから、天長元年(824年)10月1日に多禰嶋司を廃止し、能満郡・熊毛郡・馭謨郡・益救郡の四郡を熊毛郡・馭謨郡の二郡に再編して大隅国'に編入した。
1203年に鎌倉幕府から種子島氏に種子島を初めとした南西諸島が与えられ、屋久島も種子島氏の支配下に置かれることになる。1542年に大隅の禰寝氏が種子島氏の悪政を正すとの名目で屋久島に襲来し、島を占拠。宮之浦に城ケ平城を築城。1544年に種子島氏は屋久島を奪還すべく、城を攻める。禰寝氏は敗退し、再び島は種子島氏の支配下になる。このとき初めて火縄銃が実戦で使用されたと伝えられている。
1595年、種子島久時のとき、太閤検地に伴う所替えで薩摩国知覧に移され、屋久島は島津家の直轄地となる。また豊臣秀吉が京都方広寺の大仏殿建立用材調達を全国の大名に命じ、島津家にも用材の献上を命じられている。一説にはウィルソン株はその時に切り出された屋久杉の切り株ともいわれている。
江戸時代は薩摩藩の支配下に置かれる。島津光久に招かれ薩摩藩に仕えていた僧侶であり儒学者でもあり、屋久島の安房の生まれであった泊如竹は、島民の困窮を目にし、島民のため屋久杉伐採を藩に願い出る。また屋久杉伐採の指導などを行い島の経済復興に尽力した。このため屋久聖人と呼ばれている。今でも泊如竹の命日である旧暦5月25日に如竹踊りが如竹神社で行われている。
米作、畑作に不向きな屋久島の年貢は、屋久杉を伐採加工した平木で納めることになった。男子は年一人当り平木六束(一束は百枚で600枚)を納めることとなっていた。
1708年にキリスト教布教のため、鎖国下の日本に潜入しようとしたジョヴァンニ・バッティスタ・シドッティが、屋久島に上陸している。
明治時代に入り、地租改正により島の山林のほとんどが国有地に編入された。1891年(明治24年)には国有林監視所が設置され、盗伐の取り締まりが強化されたことをきっかけに、明治37年(1904年)には島民が国を相手取って訴訟を起こすに至った。この訴訟は16年に及ぶ長期の係争となったが、関係書類から元々は薩摩藩有であったことが確認されるとして島民側の敗訴となった。だが、この判決には批判が多く、国会議員やマスコミからの追及が高まった。世論を重視した国は大正10年(1921年)に屋久島の国有林を島民一般のためにのみ使用することを旨とする『屋久島国有林経営の大綱』を定めた。この処置は島民から大いに喜ばれ、『屋久島憲法』と呼ばれた。
大正11年(1922年)からは本格的なインフラ整備が開始された。
彼の話を聞き終えた永倉は、「あなた、もしかしたら蒲生さんじゃありませんか?」と話しかけた。
「バレちまったか」
「あなたの『駄作』はよく聞いていましたよ。『駄作はダメだよ〜ヘボヘボヘボヘボ〜♪』」
「音痴だな? 耳が腐る」
「失礼じゃないですか〜」
永倉は苦労が報われたと思った。
「蒲生さんってどこの宿に泊まってるんですか?」
「そんなことおまえに言う必要あるのか?」
温泉から出て、蒲生を尾行したが途中で見失ってしまった。
蒲生はサタニズムだ。一般的にサタニズムといえば、サタン(悪魔)を崇拝し、悪の力をもって善なる力に打ち勝つことにより世界滅亡を目的とするとされている。しかし、最大のサタニズム組織である「サタン教会 (Church of Satan)」は、この考え方を否定している。サタン教会は「サタン」が実際に存在するともしておらず、単にある概念を物質的に代表する名称として「サタン」の名を捉えている。
気をつけないといけない相手だ。
ヴェオは神主の久坂が死んだことを喜んでいた。
ヴェオはインドネシアの怪物だが屋久島にやって来た。久坂は凄まじいオーラを纏っていた。そのためにヴェオは行動が出来ずにいたが、久坂亡き今、目を覚ますときだ。ヴェオはインドネシアのリンチャ島で生まれた。体長3メートルの巨大な怪物だ。
全身は鱗に覆われ、細長い顔と鋭い爪を持つ。
丘の上で永倉はヴェオに遭遇してしまい腰を抜かしていた。
千葉はその後、高齢者の成年後見人を務めていたが、その本性は利他精神に満ちた好人物などではなく、狡猾な詐欺師である。千葉はパートナーの神澤と共に高齢者を搾取し、巨額の利益を上げていた。恐ろしいことに、その搾取の全ては法律に則って行われており、2人を罰することのできる者はいない。認知症という虚偽の診断によって強制的に高齢者向けケア施設に入所させられ、完璧なケアの代わりに半ば監禁状態にされた被害者は、骨の髄までしゃぶり尽くされるのを待つしかない。ある日、
千葉は度重なる詐欺によりパイロキネシスを覚えていた。千葉は黒い玉を手にしており、この玉は悪事を働くことにより魔術を発動する作用を秘めている。
千葉が口笛を吹くとヴェオは炎に包まれ、やがて黒焦げになった。
「危ないところをありがとうございます」
永倉は千葉に頭を下げた。
「アンタを助けたわけじゃない」
千葉の瞳の奥には
「あのおっさん、どこかで見たことがあるのよね……」と、靖子。
「あの人を味方に出来たら百人力だな?」と、永倉。
17時頃、ゲストハウスに戻って来た。
西の空には暗雲が立ち込めていた。
今朝のニュースで台風が接近してるって言ってたのを永倉は思い出した。
「本格的に天気が崩れる前に朱野の奥さんを探さないと」
ソファに腰掛け、靖子は言った。
「『アルラウネ』のアジトって本当に屋久島にあるのかな?」と、永倉は窓辺で鉛色の空を眺めていた。
靖子は父親の生首を思い出し、暗い気分になった。
靖子は朱野との会話を思い出していた。
《『アルラウネ』のアジトを見つけたぞ》
「どこなの?」
《屋久島だ》
「屋久島って鹿児島の?」
《それ以外にどこがあるんだ?》
「やっと父の仇を討てるのね?」
《そう簡単には行かないかもな?》
「何で?」
《敵の数は20以上だ》
「そんなにいるの?」
《それだけじゃない。ゾンビなどの怪物を飼っている》
「こんなときに冗談はよしてよ……」
《冗談じゃない》
「早く誰でもいいから殺しなさいよ」
靖子が言った。
大分県の黒岳でいう山姫は絶世の美女だという。ある旅人が山姫と知らずに声をかけたところ、山姫の舌が長く伸び、旅人は血を吸い尽くされて死んでしまったという。
永倉は靖子が一瞬、山姫に思えた。
「音恵、そう煽るなよ?」
音恵は靖子の偽名だ。
「ゾンビが襲いかかってきたら、喰われちゃう。あっ、思い出した。あのオッサン、経済ニュースに出ていた。千葉って介護事業の社長だ」
黒い雲が空を覆い、強風とともに降り始めた大粒の雨、飛び散る木の葉や枝が窓ガラスに激しく打ち付ける音が聞こえる。
10月17日
空は暗く、空気は蒸し暑く息苦しい。
元々は、熊本営林局下屋久営林署の管轄であったが、1969年(昭和44年)に運行を終了している。2007年時点では、荒川分岐点を境に、安房~荒川が屋久島電工株式会社の区間、荒川から先が屋久島森林管理署の区間となっている。安房~荒川は屋久島電工に払い下げられて発電所の維持管理に使用している。荒川から先は、有限会社愛林に運行委託されており、登山道にあるトイレなどの維持管理に必要な物資の輸送や、屋久杉の土埋木や昔の切り株などの運搬に使用している。世界遺産である屋久杉の伐採は原則として許されていないが、土埋木や昔の切り株は、民芸品、家具、建材として使用することが認められているためである。このように旅客用ではないものの、軌道が登山道の一部になっていることから、体調不良などによって自力で下山できなくなった観光客が出た場合は、搬送に活用されることがある。2007年7月に屋久島を襲った台風4号より軌道の損傷が多数起こり、被害を受けている。
呂宋はレインコートを着ていた。気温がかなり低い。どこかで温まりたい。地面は泥濘んでいる。
レールの上に死体が転がっていた。どことなくラサール石井に似ている。『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の両津の声を出していたのはラサールだ。
もしかしたら、殺人鬼がすぐ近くに潜んでいるかも知れない。そう思ったら震えが止まらなくなった。
呂宋には妖怪を見る能力が備わっていた。ついさっき、巨大な蜘蛛を見かけた。子犬ほどの大きさがあった。あの妖怪のせいかも知れない。
熊本県下益城郡にも山姫の伝説が伝わる。砥用から椎葉に帰る途中、山犬落にて目撃された。頭はウッポリ髪、地面につくほど長い髪に節を持ち、人を見ると大声で笑いかけるという。あるときに山女に出遭った女性が笑いかけられ、女性が大声を出すと山女は逃げ去ったが、笑われた際に血を吸われたらしく、間もなく死んでしまったという。 また、人里の人間を婿にしたり、大蜘蛛に化けたりするともいう。 熊本県菊池郡虎口村でいう山女の話では、この村に嫁に来た女が三年経って急に行方不明となったためその日を命日としていたが、三年忌をしているところに急にその女が現れてきた。これまでどうしていたのかと問うと、自分は深葉山から矢筈嶽のあたりに住んで人を食って生きている、これは山にいる時の姿です。と言って山女の本性を出した。身の丈は約一丈で頭に角があったという。砥用の近くの鉾尾という部落では、お婆さんが一人で留守番をしているところに山女が現れ、お産をするから小屋のツチでもよいから1週間ほど貸してほしいと頼んできた。1週間後その女がまた現れてお婆さんに礼を述べてこれから先あなたには小遣の不自由はさせないといった。それからというものお婆さんの財布には常にお金が入っていた。しかしその後お婆さんのむこが金を遣い込み、それから山女も金をくれなくなったという。
千葉は悪いことをして瞬間移動が使えるようになった。その悪いこととは屋久島の西にある廃墟に入ったことだ。多分、昔は病院だったはずだ。
廃墟等に侵入する行為 軽犯罪法第1条第1号には、廃墟となり管理もされていない建物等に理由なく潜む者を処罰するとの規定がある。
その為に呂宋から逃げることに成功した。
現場に鹿児島県警の刑事や鑑識課が駆けつけた。
司法解剖の結果、被害者の身元が神澤金太郎という宗教家であることが判明した。死亡推定時刻は10月16日から17日であり、死因は頭部の外傷か首の圧迫とみられ、首を絞められ瀕死の状態となった後に橋から突き落とされた可能性が高いとみられる。
この日は千葉を見つけることは出来なかった。 呂宋は18時頃、ゲストハウスに戻って来た。最初、コンビニで夕食を調達しようと思っていたが島内にコンビニはなかった。談話室でルー大柴に似た男性と意気投合した。
「アンタ、舘ひろしに似てるな?」
「よく言われる」
「クールスのファンだったんだ」
「俺も」
岩城滉一とともに原宿・表参道を拠点にした硬派バイクチーム『クールス』を総括。矢沢永吉がリーダーだったロックバンド『キャロル』の親衛隊として有名となり、キャロルの解散コンサートのDVDにも登場している。
近藤は部屋に閉じこもっていた。殺人鬼がその辺を彷徨いていると思うと怖くてたまらない。この台風でフェリーはしばらく来ない。殺人鬼も島からは出られないはずだ。
10月18日・午前5時
雨は小康状態だ。呂宋は、ゲストハウスの近くの雑木林で、絞殺されたルー大柴似の死体を発見する。彼は千葉が招待した手紙を持っていた。
野次馬の中にいた哀川翔に似た男は呂宋に、警察にすべてを話すよう助言する。
ゲストハウスに戻って来た永倉は蒲生が生きてないことを悟った。
蒲生の死体を発見するため、山狩を行う。呂宋が1人で崖のところにいると、千葉が近づいてきて、彼を突き落とそうとするが失敗し、首を絞めて殺そうとする。永倉は石鹸液の入った容器を持ってやってきて、彼の目に噴射して殺人の企てを阻止する。
「覚えていやがれ!」
千葉はどこかへ姿を消した。
「助けてくれてありがとう」
呂宋は永倉に深々と頭を下げた。
10月19日
靖子は永倉を拷問したことにより、妖怪を麻痺させることが出来るようになっていた。
神澤と近藤を絞殺したのは永倉だった。
彼は妖怪2匹を絞殺することが可能だ。
神澤は『アルラウネ』のメンバーだったのだ。
朱野悦子の居場所を問い詰めたが、白状しなかったから首を絞めた。
近藤を殺すように依頼してきたのは、白鳥鈴江だ。彼女の兄は近藤と同じ『マトリョーシカ食品』に勤務していた。
屋久島に来る前に、来宮駅近くのカラオケボックスで打ち合わせをした。
『兄は近藤に殴られたり、蹴られたりした挙げ句、会社に行けなくなり首を吊りました』
永倉は20万を鈴江から受け取った。
千葉になりすまして手紙を出した。
『パワハラの件をバラされたくなかったら1万よこせ』
案の定、近藤はやって来た。
午前8時、永倉と靖子は屋久島国立公園にやって来た。鹿児島県の屋久島の一部及び口永良部島の全域から構成される国立公園。指定面積は32,553ha。
高知県幡多郡奥内村(現・大月町)では山女に出遭うと、血を吸われるどころか出遭っただけで熱病で死んでしまったといわれる。
長い髪の女が木の上から現れた。
「化け物が笑いかけてきても絶対に笑うなよ?」
永倉は靖子に忠告した。
「分かってる」
靖子がドレミの音階で口笛を吹くと山姫の動きが止まった。
「永倉さん、今よ!」
永倉は山姫の背後に回り込み、首を強い力で絞めた。山姫は口から泡を吹きながら死んだ。
深夜、呂宋との銃撃戦で千葉は追い詰められてしまう。
建物の中に逃げ込んだものの、完全に包囲された上に手負いだ。腕から血が流れている。そんな絶望的な状況の中でも、屋久島を出て沖縄に行こうと最後まで生き延びることを信じ、千葉は銃を構えて外へ飛び出した。
10月20日
永倉は千葉の遺体を
永倉は、海岸部の永田集落付近にある杉の人工林に立っていた。
「背中を銃で撃たれている」
蒲生は島の東にある廃墟にて確保された。
鈴江は逃げようとして崖から落ちて転落死した。
空はすっかり晴れている。結局、悦子を見つけ出すことは出来なかった。
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