第23話:陳腐、偏執、輪廻


 法務官は嗚咽と共に叫んだ。


「お前も殺されるんだぞ⁉蛮人共の手によって凄惨に!」


 背後では終わることを知らない酒池肉林の馬鹿騒ぎが繰り広げられている。何も知らず、無邪気に、飽食と淫靡の限りを尽くしている。仮面は既に脱げさり、肉や美酒と同様に互いの肉体を貪り合っている。


「本望ですよ。終劇と行こうじゃありませんか。好きでしょう?演劇」


 ヤシマはシェリー酒を呷った。高ぶり嘶きをあげる山羊の如く、仮面は上を向く。法務官を睥睨する。


 階下では民衆の怒りと憎悪と嫉妬と、凡そ七つの大罪を全て網羅する感情の込められた叫びが聞こえ始めていた。パーティに興じる貴族たちの嬌声と対を成し、また一方では全く同種の代物だ。


 ただ、我を忘れ、法務官は叫んだ。彼のフクロウの仮面は既に脱げ落ちていた。叡智と静寂の象徴はパルプ紙のクズとそう変わらぬものへとなり果てていた。


「何も変わりはしない。奴らが新たな君主の座に置き換わった所で、裏切り、殺し合い、血みどろの恐怖政治テロルが巻き起こるだけだ」


 ヤシマは眼前の上司だった男を憐れむような眼で見た。憐れみの一方で、満足気で、慈しむようでもあった。


「ええ、私もそう思います。全面的に賛成でありますよ。人というのは大きな問題に兎角、簡単な答えを見つけたがるものです。世界の端を見た者すらいない広大な世界で、思い通りにならないことが山ほど在っても何ら不思議ではないことを、理解できない連中がいるのです」


 ヤシマは卑屈に笑って見せた。握っていたグラスをバルコニーからぽいと捨てた。


「ですが、それがどうしたと?結局はこうなる定めです。私はそれを早めたに過ぎません。這いずるように腐って死ぬより、手早く死んだ方が、葬式の見栄えもよろしいというもの。まだ、この国に余力があるうちに頭を挿げ替えてやるべきです」


 群衆が進軍する音が響いてきた。跳ね橋は城の中に潜んでいた革命派の手によって降ろされ、城門はワニの魔物に踏み倒された。

 

「何も最初からこうしようとしたのではありません。王の御付きの錬金術師であった父のように蔓延る無知蒙昧を正し、この国を救おうとすら考えておりました」


 ヤシマは呆然とする法務官に滔々と語った。


「ですが、父が不審にも窓から身を投げて以来、ひたすらに考え直しました。彼がどうして死んだのか、何がまずかったのか。どうするべきだったのか。そして、何処の馬鹿な法務官が父にその仕打ちを敷いたのか。考えに考え、ある結論を得たのです」


 黒革手袋を法務官へと向けるヤシマ。燭台の灯りに明滅する銀糸の紋様。カーテンの向こうで揺れる貴族たちの影。


「堰を切り、逃げ出すのです。」


 電光が閃き、法務官の脳天を稲妻が突き抜ける。肉は焦げ、髪が燃え上がった。オゾンと肉と酒と焦げた臭いが立ち込める。私怨を満たし尽くすように。


 ヤシマは法務官の死体を横目に、バルコニーの柵へと座り込んだ。窓の向こうの饗宴を眺めた。何も知らず、唯、幻想に酔いしれる人々。笑いと下劣さ。

 そして、それを嘲笑う様に、現実、現実がなだれ込んでくる。


 大ホールの扉が蹴破られた。新聞紙マスクの暴徒たちが中へ中へと押し寄せてくる。咆哮を上げ、足を踏み鳴らし、血だらけの棍棒や硝煙燻ぶる散弾銃を握りしめている。身勝手な義憤と暴力への渇望に溢れている。

 招待客たちは泥酔と快楽に溺れ、彼らの積み重ねた悪徳のツケを揺れる視界の中で捉えることとなった。全くの無防備で、猛獣の群れに相対するになったのだ。


 棍棒が振るわれ、鼻が削げ、血が飛び散る。散弾銃が発砲され、太鼓腹をミートパテに加工する。美食の数々は下劣な安物のミンチ料理に汚されてゆく。仮面は剥ぎ取られ、ただそこには獣性だけが存在した。奴らをヤレ。それだけだ。


 ヤシマは煙草を取り出し、火をつけた。狂宴と共に紫煙が揺れる。自分の為した悪行をその眼で、一挙手一投足逃さぬよう見据える。

 窓の向こう。暴動の背後。ヤシマと同様に、惨劇を正面から見据えている人影。平静と冷酷さを併せ持つ瞳。小柄な体躯。軍服。ジャックだ。

 自身がこれから背負うことになる。責務と辛苦を真っ向から対峙しようとしている。何一つとして計り知れないものだろう。


 だが、堰は切られた。止まることはない。


 自分の物語は此処で終わりだ。此処からは、時代の流れに任せる外ない。そうだ、神との約束もこれで一旦は履行した。下らない私怨も果たされた。何を悔やむことがあろう。


 後に待つのは、断頭台だけだ。傲慢者の末路はいつだって同じだ。さようなら、異世界。


 バルコニーの扉窓へと歩み寄ってくる仮面の一団。それを傍目に、ヤシマは紙煙草の紫煙にて降参の狼煙を上げた。

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