第17話:ビル・アケム村の惨劇


 ビル・アケムはちっぽけな村だ。人口は50人に満たない。平屋や納屋が十数軒立ち並び、森と麦畑に挟まれている。村民たちは小麦の栽培や狩りで細々と生計を立てていた。


 村では、ひたすらに同じ日常が繰り返されていた。朝早く畑に出て、日暮れまで農作業し、家に帰り、寝る。そうして育てた作物の半分以上を徴税官に持っていかれる。国と領主、地主、それぞれの徴税官へ別々に。

 そういうサイクルだ。面白くもなく、代わり映えもしないが、満たされてはいた。他に何が必要だと言えるのだろうか。


 だが、どんな物事にも変化は訪れるものだ。


 それは二年前のある日のことだった。村に一人の女がやってきた。灰色髪で男装をした風変わりな女で、村長に面会を申し出てきた。

 彼女はこの村の権利を買い、自分の荘園にしたいと言ってきた。領主の許可は代理人が既に取ってある。後は村民の同意だけだということも告げた。


 御上の人たちのご意向に『村民の同意』なんてものが意味があるなんて、初めて知った。


 彼女の話を聞いた村長は土地の権利の譲渡をあっさりと認可した。権利書にサインをした。意外でもなんでもないことだ。彼女の提示した条件で悪いことなど何一つなかったのだから。

 灰色髪の女は法外な金貨を即金で払い、税金を重複して納めることが無いよう取り計らうという契約まで結んだ。


 こんな馬鹿げた話があるだろうかと、誰もが思った。それでも、この契約を蹴ったとして彼女が引き下がるとも思えず、むしろ悪化するのではという懸念の方が強かった。


 更に、彼女はおかしな取引を持ち掛けてきた。麦角病にかかった麦をその年の市場の末端価格で購入するという話だ。

 それを聞いた村民たちは彼女が冗談を言っているものだと考えた。

 麦角病を罹った麦を食べれば、手足が燃えるような感覚を覚え、全身が締め付けられていくように壊死していく。

 聖オスティスの火と恐れられる奇病だ。救世の聖女だってそんなものは欲しがらない。食えば死ぬのだ。


 だが、冗談ではなく、彼女は買い取った。贋金一つ混ぜずに公正に代金を払った。恐らく、彼女は聖女ではなく悪魔の類だったのかもしれない。

 悪魔は取引には忠実だと云うではないか。


 とはいえ、村の日常がそう変わったわけでもなく、むしろ良くなったほどだ。食卓に肉類が並ぶことも増え、一枚のパンの厚みも増した。

 灰色髪の女は定期的に麦芽病に感染した穂を回収に来る以外には、村には干渉しなかった。あの日までは。


              ☻


「えー、村民の皆さんには秋の刈り入れが終わり次第、南部の方へ避寒旅行へ行ってもらいます」


 麦の穂が金色の絨毯を広げている中、灰色髪の女は村民へ金を配りながら宣った。今回の彼女は一人ではなく、隊商とその護衛を引き連れていた。


「旅に必要なものは全て揃えてあります。馬車も、馬も、旅具も、食料も、護衛の冒険者まで着いてきます。貴方がその一生においてビル・アケム村というこの小さな世界の外を覗き得るのは今をおいて他にないでしょう」


 馬上から彼女は高らかに演説した。預言者じみて、何一つ疑うことを知らず宣うのだ。大蛇の如き牛追い鞭をゆらめかせながら。


「ろ、老人がこの村の殆どだ。おまけに村の外へ出稼ぎに行ったことすら無い。無茶です」


 村民の若い男が意見した。誰一人として徴税官にすらそんな事をした事は無かった。何もせずいることこそが最善だと弁えてしまっていたから。それでも、この狂人じみた灰色髪なら例外だと考えてしまったのだ。


 だが、灰色髪の女はいつもの人を食った様なニヤケ面を止めた。冷徹で、感情の無い、下手くそなフレスコ画の様な表情に変わった。いや、戻ったと云うべきなのだろうか。恐らく、それは誰にも分かりはしない。彼女自身にも。


「良い心掛けね。心中は口に出さねば誰にも伝わらないわ。でも、タイミングが悪かったわね。これまでのは取引だったけれど、今回は命令なの」


 彼女は鞭を振るった。高らかに雷鳴の如き鋭い音が鳴った。比喩では無い本当の稲妻が麦畑へと落ちた。黒と橙路の燻ぶりは瞬く間に業火へと変わってゆく。

 灰色髪の女は村民達へと歩みよる。


「これで収穫は不要ね。今すぐに荷物をまとめて来なさい。服と金とそれに準ずる貴重品だけよ。家具なんて持って来たらその場で燃やすわ。良い?」


 彼女の声は雷鳴の後の豪雨の様に耳障りに響き渡った。村民達は蜘蛛の子を散らす様に、其々の家へと走って行った。


 後に残されたのは灰色髪の女と隊商のリーダー。そして、燃え盛る麦畑のみであった。

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