第16話:消失点上の法務官


 例の一件について、板屋達は盛大に書き散らした。


 Bremsen誌に至っては、その日の夕方には号外を新技術であるパルプ紙に印刷し、バラまいた。その時点における号外の内容は不完全で、ひたすらに民衆の好奇心を搔き立てるように書かれていた。

 そして、翌日の有料の朝刊にて、事細かに事の顛末と当事者であるヤシマの見解を載せた。臨時で雇われた数多くの子供たちが動員され、ひたすらに売りまくった。その中には、あの聖なるセールスマンも混ざっていたとかいないとか。


 記事曰く、『今回の失態は騎士団の怠慢が全てである。あろうことか、武具も防具もつけずに玉砕し、収容者と看守は取り残された。看守長は収容者を魔法にて制圧し、工事中だった用水路へと身を隠し、二次災害を抑える以外の選択肢は存在しなかった。

 事実、取り逃がした囚人はチンケなポーション泥棒のギル・ストーナーのみである。騎士団がもう少しでも役に立っていたのなら、奴を取り逃がすことすらなかっただろう。

 収容者による奉仕活動という金山を崩落させたのは、まごうことなく無能な騎士と不埒な革命派である。』


 騎士側を擁護する記事を書いた板屋も数多く存在し、何であればそちら側の方が圧倒的に多数派だった。

 しかし、情報の緻密さと発行部数においてBremsenに圧倒的に分があった。まるで事前に事件を予見し、刷っていたかのような仕事ぶりだ。


 次の見出しは『偽聖書の求道者に恩赦。地方教会の深い愛に感服』というものだった。どうやら、マウリスの件も上手くいっている様だ。


 ヤシマはBremsen誌を眺め、薄気味悪い微笑を浮かべた。今から始まる不愉快極まる一時を乗り切る一助になりそうだった。

 現在、ヤシマは公爵の城にいた。瀟洒な扉の前に据えられた椅子に座り、紙面を広げていた。扉の向こうは愛し尊ぶべき上司である法務官の執務室である。

 召集の要件はまず間違いなく、治水工事の一件だ。頭が痛い。


 丁度、半刻を過ぎた頃。執務室の瀟洒な戸が開き、法務官の秘書が顔を覗かせた。彼はヤシマに無言で手招きし、慇懃に中へと迎え入れた。


 執務室は内装も変わらず瀟洒である。

 リース付きの壁一面の本棚。窓には熾天使のえがかれたステンドグラスがはめ込まれ、その下には長大な執務机が据えられている。絨毯には端正な刺繍が施されている。

 法務官は執務机に鎮座し、ヤシマをその冷徹な瞳で見据えていた。ご大層な口髭を生やし、ブランデーを並々と注いだカットグラスのカップを手元に控えていた。

 全身から身分の高貴さを押し売りしている様だ。


 名をスタンポール・R・クレッドという、この貴族はヤシマの直属の上司に当たる人物だ。実際の所、ミドルネームだけで一つの記事が出来上がるほど長ったらしい名前をしている。ヤシマはスタンポールと呼ぶことすら億劫であったので、もっぱら法務官と呼んでいた。心中で罵倒するにおいてはその限りではないが。

 

 法務官は地の底から響く様な声色でヤシマに問うた。


「ヤシマ看守長、これはどういうことだ?君に前任していたはずだが」


 文字だらけの羊皮紙を取り上げて、それをパシリと叩いた。

 ヤシマは苦笑いを浮かべ、法務官に倣い手元のBremsen誌を取り上げてパシリと叩いてみせた。


「此処に書いてある通りですよ。法務官殿」


 そう言って、執務机へと誌面を置いた。

 法務官はそれをクソを見る様な面持ちで睥睨し、愚痴を溢した。


「まるで訳が分からんよ。お前が良いアイディアがあると言い出し、我はそれに納得し、いつも通り認可と兵力を出した。此処まではいつも通りだったはずだが、結果はこうだ。問題点は何処にあった?」


「それこそ書いてある通りですよ。額面通りの兵力を渡されても、実際に使えないんじゃどうしようもありません」


 ヤシマは誌面を再び取り上げて、自身の書いたインタビュー記事を指した。


『スティーラーズ戦役が良い例だ。300万の軍勢が5千人に止められたことがあった。軍隊は生物である。頭を失えば、無為な痙攣をする他ない』


 法務官は大きく溜息をついた。


「君がその頭になり得るのではないのかね?」


「まさか。私はあくまで看守です。軍人じゃありません。第一、騎士の連中が私の言うことに耳を貸す訳ないでしょう?」


 まるっきりの嘘だが、説得力はある。連中とヤシマの日頃の関係性と行いの集大成だ。


「それに、手ぶらで生き残ったわけでは有りません」


 ヤシマは神妙な面持ちで宣った。


「『生き残ったことが成果です』などと抜かすつもりではないだろうな?ガブリエル.・デストレ」


 法務官のその言葉にヤシマは目を見張った。嵌められた革手袋の指先から火花が散った。


「その名前で呼ばないで頂きたい。サー・クレッド」


 法務官はヤシマの眼光を正面から見据えた。


「お前が誰の娘だろうが関係ない。此処では俺がルールだ。分かるか?」


 ヤシマは張り詰めた表情のまま法務官を見つめたが、突然、相好を崩した。


「ええ、完全に理解しておりますとも。完全に」


 朗らかにヤシマは続ける。


「だからこそ、連中のアジトを突き止めることに成功したのですから。法に背く与太者どものね」


 法務官は表情を固くした。


「連中というのは、革命派のことか?」


「ええ、革命派のアジトです。連中が盗んで行った馬車には噂蛾の巣が乗せてありました。ウチの蛾を使って逆探知したのです」


 大嘘だった。本当は間者を潜り込ませ、場所を伝えさせたのだ。だが、最もらしく、バレ用もない嘘だ。出先での情報のやり取りにおいて噂蛾以上のものは、現状のこの世界において存在しない。出来得るなら電信でも広めてやりたい所だが、私個人では困難だ。


「それで、何処にあるというんだ?」


 法務官は神妙な面持ちで問うた。


「言えません」


 ヤシマは淡々と何でもないことの様に宣った。


「何故だ?君は本当に自身が置かれている状況を理解していないのかね?」


  犬の交尾を眺めるかの様な目つきで法務官はヤシマを見た。ブランデーを持つ手は震えている。


「近々、其処を襲撃する予定だからです。それも、自前の兵隊で、ですよ」

 ヤシマは語気を強めた。ハッタリは何処まで行こうとハッタリだ。なればこそ、唯ひたすらに突き抜けなければならない。


「直属の上司にも言えないと?」


「失敗から学んだのです。今回の件から」


「嫌味かね?」


「唯の事実陳列です。計画が固まり次第報告します。汚名を返上させて頂きたい」


 法務官は落ち着きを取り戻そうとする様に、デスクを人差し指で叩いた。この世界にはdない筈の電信を打つときの様な仕草。

 現状とヤシマの功績の双方を鑑みる。感情を抜きに唯、合理的に。其処に幾らかの経験則と勘を加える。この女が隠し事をする時は本気の時だ。冒険者組合のストライキをぶち破った時もそうだった。

 法務官はブランデーを口へと運び、噛み締める様にそれを飲み込んだ。


「良いだろう。だが、期日だけは設定しろ。これだけは絶対だ。公爵の方には中隊長の失態だと伝えておく」


 ヤシマは貴族御用達の美しい一礼を見せた。


「イエス・サー。仮面舞踏会迄に、必ずや一掃してご覧に入れましょう」


 その姿は執務室に入ってきたときの狂人じみたものとは全く違って見えた。演劇台に登った熾天使の様ですらある。背後に聳えるステンドグラスは彼女の肢体に七色の光を落としている。


「なあ、一つだけ聞かせてくれないかね。君はやる気がないのか、それともないフリをしているだけなのか?」


 ヤシマは手袋のズレを直しながら微笑を浮かべた。


「教会の教えにはこういうのがあります」


 執務机の上に置かれたBremsen誌を取り上げ、折り畳み、小脇に抱えた。


「貪るなかれ、正不正の区別なく。あらゆる手段を尽くしてなお、手に入れるに能わざりしものを」


 法務官は決まりの悪そうな表情を浮かべた。


「えらくひねくれているじゃないか。訳の分からないことを宣い、煙に巻く。君の常套手段はいい加減うんざりだよ」


 ヤシマはその苦言に対し、これ以上ない苦笑で返答し、部屋から退散する。


 下準備は整いつつある。後は引き金だけだ。

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