第10話:平等主義な道化師


 非常に珍しいことに、ヤシマは街へと出ていた。


 革のリュックサックをからい、ずぼらな麻のジャケットと亜麻のタイトなズボンを着ていた。好みではなくとも、溶け込むにはこの服装の方が適していた。

 買い出しは殆ど完了し、リュックサックには大量の品物が詰め込まれている。後は、フライドフィッシュを片手に目当ての見世物を見物しに行くだけだった。


 ヤシマは意味も無く『ジョニーの凱旋』を口ずさみ、当ても無く露店を物色した。


 それぞれの天幕の下では、エプロンを着込んだ店主たちがそれぞれに大なべや鉄板に向かい合い、単純だが奥深いC級料理を作るべく格闘している。油、肉、血。いつまでも変わらない生の本質が溢れている。


 食欲を刺激して止まない香りにつられ、一軒の露店の前に至った。


 看板には『Jaws』と銘打たれ、お品書きの書かれた板にはでかでかと『フライドフィッシュ』とだけあった。店主は髭を生やした老人で目の下には皺が傷のように刻まれていた。

 モツも抜かれていない粗野な揚げ魚に心が高なった。


「一つくれない?」


 店主は太々しく言った。魚と酒瓶だけに視線を注ぎ、ヤシマには目もくれていない。


「青銅貨一枚」


「酒はないの?」


 老人は黙ってお品書きを指さした。載っていないだろうと暗に言っていた。


「そう、残念」


 ヤシマは青銅貨を店主に放り、店主は不愛想に串に刺さった揚げ魚を渡した。丁寧に一礼し、オーバーサイズのジャケットを翻して、その場を去ろうとした。


「なあ、アンタ。そいつは何だ?」


 店主はぶっきらぼうにヤシマのジャケットを指差した。


「唯の麻のジャケットよ。ヴェトナム・ルックね」


「何を訳の分からないことを。俺が言ってんのは、ジャケットの下だ。その弩銃みたいなやつのことさ」


「ああ、これ?」


 ヤシマはジャケットの裏に隠していたものを白々しく取り出して見せた。それは、この世界には存在しないはずの代物だった。

 二本の金属製の銃身。木製の先台と銃床。西部劇御用達の水平二連式散弾銃だ。

 だが、奇妙なことに撃鉄と引き金が存在しない。これでは弾は込められても、発砲は不可能だ。

 老人は当然の疑問を口にした。


「引き金がなくちゃ弩銃は打てねぇだろ。そいつは唯の鉄屑かい」


 八島は揚げ魚を一口齧り、次のセリフを考えた。よく噛んで、よく考え、それから飲み込み、言った。


「魔法の杖よ。爆発杖ブームスティックね。こういう形の方が狙いが付けやすいでしょう?」


 おおよそ間違っていない。だってそうだろう。パースエイドもマスターキーにも使えるこれが魔法じゃないなら、何が魔法だ。全米ライフル連合は間違っちゃいない。銃こそが自由と平等をもたらす。多少のコラテラル・ダメージがあるにせよ。

 老人もその説明に納得したようで、感心したように言った。


「へえ、そいつは大したもんだ。俺はこうして魚を売ってここまで過ごしてきたが、魔法使いの友人は一人もいねぇ。死ぬ前に一度でいい、間近で魔法って奴を見たいもんだ」


「見せたら、貴方の持ってる焼酎を譲ってくれる?」


 店の裏手に積まれている空き瓶の山を指差す。キツいエタノールの香りが漂っている。老人はぶっきらぼうに鍋の置かれた台の下から、陶器の小瓶を一本取り出して置いた。


「見せてくれたら、やる」


 ヤシマはニヤリと笑い、銃口を店の裏手に向けた。照星の先には焼酎の空き瓶。


「自分の耳を押さえて」


 老人はサーカスに来た子供のように無邪気に持ってる耳を押さえ、ヤシマと杖を見た。

 ヤシマは魔法を放った。いつもの電撃魔法だった。火薬は炸裂せず、代わりに空中放電が生じた。陶器の小瓶に稲妻が落ち、黒焦げにした。


「爆発しないじゃないか!」


 老人は抗議するように言った。童心を裏切られたようだった。


「稲妻も格好いいでしょ?じゃ、もらってくわ」


 有無を言う間もなく、ヤシマは小瓶を掴み取り、踵を返した。老人の飽くなき非難を無視した。酷いことをした思わなくもない。だが、しょうがないではないか。街中で銃声なんて響かせるべきじゃない。少なくとも、そうすべき時がくるまでは。


 今度こそ、広場の方へと向かった。

 日は落ち掛け、人通りはピークを迎えつつあった。喧騒と黄昏の街並みだ。そして、瓶焼酎を呷り、揚げ魚をぱくつきながら、広場へとやってくる。目当ての見世物を発見する。


 広場の雑貨屋前にて、赤い衣装に身を包んだ道化師が腹話術芝居を演じていた。

 赤い衣装に身を包んだ中肉中背の男。お決まりの白いドーランに笑顔を強調する口紅。パンダのような隈取りも入れられている。

 人形は等身大の女性型だ。流麗な赤毛。真っ白な肌。夜道で出会えば誰しもが口説き始めるだろう耽美さと精巧さだ。一抹の不気味さをはらむほどに。

 彼らの芸名はスター&ジェシー。男がスタインベック。女がジェーンだ。


 丁度、二幕目が始まる段だった。


 甲高い女声「ハロー・スタインベック。さっき、憲兵の連中に突然、呼び止められたのよ」


 安定さに欠ける男声「口説かれたっていうのかい!ジェシー?」


「違うわよ。馬鹿ね。ダッチワイフを求める程、連中が女に困ってるとでも? “拘置所にぶち込むぞ”と優しく口説けば、どんな子だってやらせてくれるに決まってるでしょうが」


「フーム。それはその通りだ。じゃあ、どうして呼び止められたんだい?」


「この辺で、梅毒が流行ってる娼館は何処だと聞いてきたのよ」


「そんなの知ってどうする。行きつけにするのをやめるのかな。だとしたら、多分もう手遅れだろうけど」


「私もそう思って言ってやったら連中、性病に侵された娼館を焼いて浄化するんだとぬかしやがったのよ」


「ひゃー、そいつはヤバいな!いつかやると思ってはいたけど。今すぐ逃げなきゃ!」


「そうよ。で、私は問題を根本から解決しなけりゃ、と思ったわけ。連中にどこを教えてやったと思う?」


「ふーむ、銀時計亭かい?あそこは場末も場末だからなぁ」


「不正解。貴方、道化をやりすぎて、おつむが緩み過ぎたんじゃない?」


「メイクの下からしか、この酷い世の中は見据えられないもんさ、ジェシー。そいで、そういう連中がこの世界をどうにか取り繕おうと必死こいている。最高の喜劇だよ」


「あら、冴えてるわね。本当は答えも分かってるんじゃない?」


「ハー、ハー、ハー。勿論さ。答えは数か月先に控えた仮面舞踏会だろう?あそこに火を放てば、梅毒まみれの連中も消え失せるってもんさ。歌劇の『赤死病』の如く一網打尽だよ」


 スタインベックは有名な歌劇の演目を引き合いに出して罵った。決して、E・A・ポーの小説とは関係ない。そうだろう?此処は異世界だ。


「そうよね、だから私。憲兵の連中に遠目に聳える公爵の城を指してやったのよ。あそこは梅毒まみれじゃないんですかってね」


「手痛いね」


 拍手喝采。笑いの嵐。聴収の憤懣を刺激し、不満の溜まった皮袋に穴をあけた。

 民衆は自分より上のものをいじるのが好きだ。Bremsen誌の書き立てる低俗な記事が大人気なのと同様だ。誰しもが暗い喜びを望んでいる。


 そして、似たようなネタが幾つも続いた。彼と彼女はある種において至極平等だった。敵国、徴税官、王様、何でも貶した。平等にネタにした。

 滑ったネタもないわけではなかったが、おおむね上々だった。


 楽しい時間というものは早く過ぎるものだ。


 スタインベックは深々と一礼し、ジェシーに袋を被せ、お伽噺の人さらいのような恰好で広場を去っていった。路地へと消えて行った。


 ヤシマも彼に倣って道化師の如くひょこひょこと彼の後を追い、路地裏へと消えた。

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