第8話:過剰防衛な墓守り


 66番地下墓所カタコンベは、貧民街の真っただ中にあった。


 それもそのはず、この地区には数多くの地下墓所カタコンベが点在し、浮浪者たちに寝床と雨風をしのげるシェルターとして、大いに有効活用されている。

 恐らく、地下墓所カタコンベは教会の貧者救済活動の百倍は浮浪者の命を救っている。おまけに死んだ後まで面倒を見てくれるというのだから、文句のつけようがないだろう。


 だが、此処が、墓地があったから貧民街になったのか、貧民街があったから墓地が出来たのか、今となっては誰も覚えてはいない。


 いずれにせよ、この場所が胡乱うろんであることに変わりはないだろう。


 66番地下墓所の入り口は石造りの小屋になっており、結構な大きさがあった。ガーゴイルの彫刻が施されていた形跡があるが、今では見る影もなく錆びれ、ツタに覆われている。

 敷地の周囲は背丈を追い越すばかりに生い茂った野薔薇に囲まれ、周囲の建物からは断絶されている。刈り取った跡を見る限り、誰かが意図的に刈りそろえている様だった。


 件の地下墓所を訪れたジャックは、少し後悔していた。


 懸念は自身の服装についてだ。もしかすると、もう少し草臥れた服装の方が良かったかもしれない。

 少なくとも、現在のジャックの服装は此処では浮いている。今の恰好は、軍時代のフィールドコートと長ズボンだ。ヤシマはその恰好がふさわしいと言ってくれたが、不安しかない。

 貧民街では、擦り切れたり穴が開いていないようなシャツと長ズボンを履いている。それだけで、小綺麗に値するのだ。


 ジャックは一抹の不安を胸に、墓所の重厚な鉄扉を前にする。そして、扉を叩こうと、腕を伸ばした。その瞬間だった。


 鉄扉が独りでに開かれ、中から巨大な影がまろび出てきた。


 ジャックは思わず、背後へ飛びのく。コートの裏地のシースから愛用の手斧を引き抜き、構える。全てが一連の動作。不可避の反射行動。兵役時代に染みついた感覚がそう脅迫したのだ。


 影は小屋の暗がりからゆっくりとその身を現す。


 不気味な大男。背丈二メートル超。浮浪者のような襤褸衣のポンチョに身を包み、潰れ切った貴族御用達の狩猟帽をかぶっている。山羊髭を生やし、帽子の暗がりには黄色く濁った瞳と馬鹿でかいイボが覗いている。

 おまけに、肩口に背丈ほどもある巨大なショベルを担いでいる。柄までが金属製で、傷だらけ、所々が血や汚泥で黒く変色している。

 大男はジャックを睥睨し、しゃがれた声で言った。


俗悪中流階級プチブルが何の用だ?」


 ショベルの刃先が石畳に落ちる。鈍い金属音が反響する。


「赤い紙を渡されたんだ。だから、此処に来・・・」


 ジャックが言い切る間もなく、大男の怒号が飛んだ。


「嘘吐きめ!」


 大きく踏み込み、ショベルを叩きつける大男。驚異的な殺意と速度。粉砕してやるという覚悟が込められている。

 迫りくるまさかりじみたショベル。ジャックは一歩引き、それを躱した。空を切り裂き、地面を揺らす刃先。


 だが、大男もそれを端から読んでいたようで、すぐさまショベルを引き戻し、突きを放った。爆発する筋繊維、力強い踏み込み。当たれば、小柄なジャックなど両断される威力。

 ジャックは体捌きで躱す。そして、膝蹴りで突き出された柄を蹴り上げる。力を無理に捻じ曲げ、態勢を崩しにかかる。


 上へと突き上がるショベル。二の足を踏む大男。浅く、態勢は崩れ切ってはいないが、明確な隙。


 ジャックは間合いに飛び込む。大男の左脇へ。手斧を持ち直し、刃の後部を左膝に叩き込む。巨木を切り倒しにかかる。

 腐った幹に金槌がめり込んだような音が鳴る。大男が膝をつく、苦悶の声をあげる。


 頭の中で声がする。鰐の如く食らいつけ、猿の如く痛めつけろ。戦争天国ヴァルハラはすぐそこだ。武器を握りしめろ。ヤレ、奴をヤレ。

 ジャックは素早く大男の傍らに立った。断頭台にひざまずいた大男。執行人の如く斧を携えたジャック。大きく得物を振りかざす。


 だが、脳に静電気じみた痛みが走った。そう、電撃だ。そういう錯覚だったのかもしれない。それでも、ジャックは手を止めた。

 脳裏にあの皮肉気な微笑がチラつく。倦怠に包まれた看守長。嘲笑か、落胆か。どちらにせよジャックを責めている。そんな感じがする。


 手斧をくるりと回し、刃先を逆にした。大男の巨大な後頭部に、手斧の刃の無い後部を振り下ろした。聞き飽きた鈍い音が鳴り、男の体が崩れ落ちる。

 そして尻を天に突き上げ、性行為のし過ぎで失神した輩のようにうずくまる大男。ポンチョが地面に広がり、帽子がパサリと落下する。

 ショベルは仲良く彼と添い寝だ。


 ジャックは幻聴の名残と厭味ったらしいヤシマの微笑を頭から振り払いながら、手斧をしまおうとした。


「感無量だな。さすが南部帰りだ」


 カタコンベの入り口から声が響いた。目線をやると、其処にはあの時のフード男が佇んでいた。

 ジャックは周囲に視線を走らせた。囲まれている。弩銃の矢先が覗いている。魔法使い共の囀るような詠唱が聞こえる。鎖帷子くさりかたびらがこすれ合い、息遣いが波打っている。

 久しく聞いていないオーケストラだ。


「試すような真似して悪かったな、そいつ頭が少し足りていないんだよ」


 ローブ男は声色を切り替え、威圧的に続けた。


「とはいえ、その手斧をマジで振り下ろしやがったら容赦なく袋にするつもりだった」


 声色を再び切り替え、親しみがまた込められた。器用な男だ。


「嬉しいことに、アンタは思いとどまってくれた。本当にアンタは話し合いに来てくれたようで恐悦至極さ。ビアホールの英雄さん」


 ジャックはたわごとに付き合うつもりも起きず、手斧を地面に捨て、両手をあげた。


「憲兵が来る前に、早くどうにかしてくれ」


 それを聞いたローブ男は楽し気に鼻で笑い、合図を送った。

 茂みから十数人男たちが現れ、ジャックを取り囲み、そのまま地下墓所の中へと連行した。


 頭の中では、ヤシマがいたずらっぽく火花を散らして遊んでいる情景がチラついていた。

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