第7話:パルプ・クリエイション


 地下は詰問室の二倍程の広さだった。

 だが、所狭しと並べられた用途不明の機材とパルプ紙のロール。鉱石やなめし革などが詰め込まれた木箱によって、ずっと狭く感じられた。

 空気は澱んではいなかったが、酸や油の匂いが酷く臭った。


「酷い場所だ。女のいる場所じゃない」


 トレイシーは鼻をハンカチで抑えながら、愚痴をこぼした。


「産業革命時代の英国よりはマシよ。いずれ、この王国もそういう時代が訪れるわ」


 ヤシマは訳の分からないことを宣いながら、二人を招き入れた。ガラクタの山から木箱を二つ取り出し、二人へと勧めた。


「トレイシーさん。確かに、肥溜め並みに此処は酷い場所だが、何も詰まってるのは死体でも堆肥でもない。大いに価値がある。俺が保障する」


 フォローになっているか分からないフォローを述べるマウリス。


「似非修道士に保証されてもねぇ?」


 そう言いながら、ヤシマはパルプ紙のロールを持ち出して来た。もう片方の手には硝子ペンとインク瓶が握られている。


「そいつは何だ?馬鹿でかい羊皮紙か?」


 最初に羊皮紙を目にしたマウリスの様な表情を見せるトレイシー。


「あなた私が前に渡したカードってまだ持ってる?」


 八島はパルプ紙を机上に広げ、ペンをインク瓶に挿した。


「ああ、事務所の引き出しに大切に取ってあるが…」


「そのカードと同じ素材よ。前々から貴方が知りたがってた代物よ」


 トレイシーは合点がいった様に目を瞬かせた。


「そうか!アレか!余りにサイズ感が違うから、全く思い至りすらしなかったな」


 トレイシーは早速、ペンを手に取った。物書きとして、どうしても書き心地を確かめねば気が収まらないのだ。


「書いてもいいけど、その紙買い取って貰うわよ」


 ヤシマは冷たく言った。白々しい冷たさだ。


「構わん。幾らだ?」


「青銅貨三枚」


 トレイシーは目を見張った。


「安いな、この広さの羊皮紙なら銀貨十枚はするぞ」

 

 仕入れの伝手のあるトレイシーですらそうなのだ。馬鹿正直に市場で購入するなら、どれだけ値が張るか推してしるべしというやつだろう。

 トレイシーは訝しげにペンを走らせた。


『本日午後未明。ヤシマと拘置所の収監者マウリス・エルゴーグと商談を行った。』


 その一文を書き終えると、トレイシーは顔を上げた。


「これで、青銅貨三枚か?」

 

 飢えたブルテリアの様な表情を浮かべ、続けた。


「余りに破格の性能だ。新手の売掛金詐欺じゃないのか?」


「マウリスの時は、あんなに簡単に信用してくれたってのに、私の時は何でそこまで頑ななのよ」


「何処の世界に笑顔で電撃を浴びせてくる拷問官を信用する輩がいるのか、是非とも知りたい所だ」


「拷問官じゃない、看守長よ。それに今はあくまで一介の取引先。建前は大切でしょう?」


 ヤシマは愚痴りながら、立ち上がり、二人に手招きした。


「信用できないなら、証拠を見せてあげるわ。それが一番早い」


 二人は立ち上がり、ヤシマの後について部屋の端へと来た。


 そこには奇妙な台が据え置かれていた。梁が建てられ、そこから頑丈な革紐で長方形の笊が垂らされていた。その隣には、洗濯板の様な木製の乾かし台。木屑や麻、穀物の茎などが満載された籠が据え置かれていた。

 

「此処にあるのが、貴方に見せたパルプ紙の原料と作成のための機材よ」


 興味深げに、それらを覗き込むトレイシーとマウリス。


「原料は麻や木屑やらの植物のカスというわけか、通りで羊一頭潰すより安上がりな訳だ」


 トレイシーはパルプ材を眺めて、合点がいったように顎髭を摩った。


「おまけにインクの吸収も速乾性も遥かに良い。何より、ペンが引っかからない」


 マウリスは一流の技師の様な手つきで器具を触り、トレイシーは商売人の目つきでヤシマを見た。


「良い取引材料だ。対価は何だ?」


 ヤシマはパルプ材を摘み取り、吟味する様に見つめて言った。


「本当は、マウリスの売り込みが上手くいかなかった時のダメ押しに使おうと思ってたんだけどね」


「言っておくが、貸しはなしだぞ。お前に貸しなんて怖くて作ってられるか」


「OK。じゃあ、マウリスをBremsenで雇ってあげてよ。きっと、良い仕事するわよ」


「言われなくてもそうするつもりだ。他にないのか?お前の取り分がもっとハッキリする様なモノは?」


「別に得がない訳じゃないんだけど…」


 ヤシマは地下室の暗い天井を仰ぎ見る。数瞬の後、可愛らしい咳を一つつき、続けた。


「この紙によって生まれた利益の3%。それと、貴方の誌面の一部を好きな時に使わせて欲しい」


 トレイシーは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、指を鳴らした。


「それで結構だが、急にガメつくなったな」


 ヤシマは微笑した。


「こっちの方が貴方が信用してくれる様だったからね」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る