第6話:三流ジャーナリスト


 詰問室。安っぽい四脚の椅子に、草臥れた燕尾服を着た男が、足を組みながら座っている。


 肉付きの悪い痩身で、彫の浅い顔立ちをしている。困ったようにその見事な禿げ頭をさする様は栄養失調気味のブルテリアのようだ。

 向かい合うように座るヤシマへ、彼は呆れと非難混じりの問いかけをした。


「どうしてこんなところで話し合う必要がある?狭く、暗く、おまけに少し焦げ臭い」


 彼の眼前には紅茶の注がれた白磁のマグカップと数個の角砂糖が置かれている。それらは彼が罪は犯していても、責められはしない立場にいないことを物語っていた。


「声高に叫ぶだけが得策じゃない。悪名高い板屋の編集長の貴方なら、よく知ってるでしょう。トレイシー?」


 ヤシマは楽し気に言った。この世界で生き残る秘訣の一つだ。全てが楽しい事だと思い込ませるのだ。


「沈黙と雄弁の天秤か、聞き飽きたよ」


 トレイシーと呼ばれた男はマグカップを口に持って行き、紅茶を啜った。ただ、紅茶とは名ばかりで、実際はそれらしい薬草や香草を混ぜ合わせ、発酵させたヤシマのお手製だった。


「美味しくないな。このお茶」


 トレイシーが顔をしかめた。それはそうだ。事実、美味しくない。ヤシマもそう思う。百倍に薄めて、酢酸を混ぜたハイネケン・ビールのような味だ。


「発展途上ということで勘弁してよ。その代わり、今回は貴方に耳寄りなネタを提供することが出来るわ」


「この糞紅茶と同程度だったら承知せんぞ」


「正直、比べるのもおこがましいぐらいよ」


 ヤシマも紅茶を一口すすって顔をしかめ、言った。


「最初のネタはポーション泥棒の件ね。耳ざとい貴方なら知ってるでしょう?広範囲の睡眠魔法で客と店員を眠らせて、高級ポーションを三ケース盗っていった冒険者の話」


「嗚呼、聞いてるさ。高級ポーション三ケースなんて、軽く宿屋が二軒立つような値段だ。笑えるな。冒険者ギルドとしては相当頭にきただろう」


「彼の動機は知ってる?少なくとも、建前上のね」


「どこかの誰かが、取材対象を塀の中に囲い込んでなければ、すぐにでも知れたんだがな」


「あら、そのおかげで独占取材が出来るんでしょう。トレイシー?」


「嫌味を嫌味で返すな。俺達の性格じゃ、堂々巡りだ。で、その動機っていうのは?」


「中々、道義に適った動機よ。新米冒険者の死亡率がバカ高いから、水で薄めて無償で大量に配ってやろうという魂胆だったみたいよ」


「義賊か。いかにも大衆が好みそうなネタだな。悪くない。法務官に送る書類の内容としては不適切かもしれないが」


 トレイシーは目ざとく手元の羊皮紙にペンを走らせメモを取った。彼の黒いネタ帳には、これでもかと醜聞が詰まっている。同量の金よりも価値がある。


「で、ここからが本題。貴方のご同類の話。猿の如く手を打ち鳴らしながら、金・金・金と叫び散らすような輩。例の偽の聖書を売り歩いていた奴の話ね」


「お前もそいつも罰当りだ」


「彼も私も、貴方にだけは、そう言われたくないと思うわ」


 そう言いながら、ヤシマは背後に立つ扉へと振り返り、声を掛けた。


「入ってきていいわよ」


 鉄格子で補強された戸が開き、マウリスが入ってくる。手枷も足枷も付けていない。清潔なシャツとズボンを身に着けている。上質な革の鞄を持っている。その様はまるで、小綺麗なセールスマンだ。


「ずいぶんとした恰好じゃないか。こいつは収監者じゃないのか?」


 トレイシーは肩眉をあげた。面白がっているようだ。


「今、この場所においては、彼は公正な取引相手よ。敏腕なるセールスマンなんだから、それ相応の恰好をさせなくちゃね」


「そのセールスマンってのは、なんだ?」


 また、このくだりをやるのか。そう、ヤシマが後悔しかけた時だった。マウリスが代わりに受け答えた。


「セールスマンというのは、個々人やそれぞれの世帯に向けスペシャライズした商人ですよ。孤独な未亡人、移民、困窮した家庭。どこであろうとそれぞれに合った理屈をこね回し、商品を売り込んで回る。そういう職業であります」


 表情はにこやか、口調は流暢だ。ミッド・アメリカン・カンパニーもご満悦の出来だろう。トレイシーも中々興味深げに聞いている。『売り込み』という言葉に反応しているように見える。


「その通り。大体そんな感じ。流石は現代社会の嘆きを代弁する修道者さんね」


 ヤシマは嬉しくて拍手すらしてしまった。正しく、お客様をヤッチマエというような感じだ。


「それで、驚きのネタとは?」


 トレイシーがマウリスに問うた。


「ええ、勿論です。すぐにでも、ご説明させて頂きますよ。では、まずはこれを見て頂きたい」


 マウリスは鞄から文字の書かれた二枚の麻布を取り出し、トレイシーの方へと丁寧に押しやった。トレイシーはそれを手に取り、落ちくぼんだ目をぎょろつかせた。

 書かれている内容は預言書じみていた。


『悪い月が昇るのが見える。暴風雨が吹き荒れるのが聞こえ、終焉が間近に来ていることを知る。川が氾濫するやもしれない。猛威と崩壊の足音だ。』


「異教徒の経典か、何かか?」


 トレイシーは顔をしかめた。腹を空かせたブルテリアみたいだ。この世界にブルテリアはいないが。


 マウリスがにこやかに言った。


「私が書いた聖書ですよ。正しくは“印刷した”、ですが」


 ヤシマが茶々を入れる。


「よく、二枚を見比べて頂戴よ。それでも貴方、編集者?」


 マウリスは抗議の視線をヤシマへと送る。ヤシマは肩をすくめ、口の前でバツ印をつくって見せた。桜色の唇に黒い指先はよく栄えた。沈黙は金だ。

 二人の寸劇を無視しながら、トレイシーは二枚を熟練の編集長の視線で見比べた。そして、ヤシマがジェスチャーを崩した瞬間に、麻布から顔をあげた。


「多少掠れているところはあるが、寸分違わず同じだ。裏写りさせたのか?」


「いいえ、違います。確かに発想としては近いですが、規模が段違いです。看守長殿、私が売り歩いた麻布聖書の冊数はいかほどでしたかな?」


 今度は懇願の視線を向けるマウリス。ヤシマはそれを素直に受け取った。


「ざっと、百二十件ね」


 トレイシーの目玉がひん剥かれる。文章を生業にするものとして、その労力がどれほどのものか容易に想像できた。彼の会社を総動員しても、一年近く掛かるだろう。おまけに全く同じ筆跡、同品質で仕上げるなど、不可能だ。


「どうやったんだ?」


 トレイシーは焦る気持ちと欲望を押さえつけ、言った。紅茶で口を湿らせた。今となっては、このゴブリンの小便みたいなお茶ですら有難く感じるものだ。


「大変にご興味を抱かれたご様子ですね。ここからが、商談です。私どもも慈善活動を行っているわけではありません。それは偽の聖書を売り歩いていたことからもよくわかるでしょう」


「何が欲しい?」


「話が早くて助かります。流石、町一番の板屋の編集長」


「お世辞も御託もいい。そんなのはそこの変態女で間に合ってる」


 ヤシマはいたずらっぽく笑いながら、ピースサインをつくり、二本の指先を折り曲げ、あいさつした。常にジェスチャーゲームでもしているのだろうか、この女は。

 マウリスは一呼吸置き、トレイシーの落ちくぼんだ目を見て言った。


「地方教会を強請れるネタが欲しい」


 身構えていたトレイシーの緊張が一瞬にして解けた。鼻から息が漏れ、風船のように態度がしぼんだ。期限が治った犬のようだ。


「本当にそれだけでいいのか?てっきり会社を共同経営にしろと言ってくるのかと邪推していたぐらいだ」


 マウリスも拍子抜けしたようだった。口調も表情も一流セールスマンのものから一変し、三流のポン引きのものへと変わった。


「本当にそんなのがあるっていうのか?」


 トレイシーは爆笑した。


「ないわけがないだろう⁉連中を百辺は地獄に落とせる程に溢れてる!」


 呆然とするマウリスを傍目に、ヤシマが問うた。


「例えば?」


 トレイシーは楽し気に捲し立てた。


「地方神官長の少年性愛。証人の少年と、証拠の精液が付着した神官長の法衣までそろってる。こいつで脅せば、奴は玉まで縮み上がる」


 マウリスが我に返って問うた。


「どうして、おおやけにしないんだ?」


 トレイシーは皮肉気に笑う。


「売り込みの腕は一流でも、政治の潮流を操るのには慣れてないようだな?醜聞というのは溜め込むのが先決なんだよ。溜め込みに溜め込んで、とびきりの悪臭を漂わせるんだ。そうすれば、だれも手の出せない禁忌タブーになれるんだ。不可分アンタッチャブルにな」


 ヤシマが楽し気に聞いた。


「私の醜聞も持ってたりする?」


「今のこの商談が正しくスキャンダルだろう? とはいえ、お前は強請っても確実に殴り返してくるから、強請る気も起きんが」


「か弱い乙女にそんな言い草はないでしょう?」


「五月蠅い。俺は、今、このマウリス・エルゴーグと話しているんだ。それで、マウリス君。我々は醜聞を十分に用意できる。引き換えに君の技術を売ってくれないか?」


 マウリスは押し黙り、ヤシマの方を見た。ヤシマは微笑し、割って入った。


「判子を押すのはまだ早い。私もその話に一口噛ませてもらうわ」


 ヤシマはそう言いながら、席を立ち、詰問室の部屋の端へと向かった。一枚の広い石畳に近づき、しゃがみこんだ。


「何がしたいんだ?」


 トレイシーは困惑の表情を見せた。


 ヤシマは鼻歌を歌いながら、石畳の隙間に指を入れ、思い切り引き上げた。その下に現れたのは狭い螺旋階段だ。壁面には細い糸が張り巡らされ、其処に沿うようにランプとも蝋燭とも似つかない灯りがチラついている。


 膠で覆われた銅線。小さなガラスの球体に内部で光る鉄心。灯りの正体は電球だ。


「三社連合と行きましょうか」


 背後へと向き直り、ヤシマは灰色の瞳を商談相手へと向けた。

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