第5話:ビアホール一揆


 ジャックはむしろにくるまり、路地裏に積みあがったゴミ山に座り込んでいた。決して、彼が拘置所をクビになったわけではない。


 張り込みをしているのだ。


 彼の正面には、違法な掲示板が立てられている。領主公認の板屋は利用しない、潜りの掲示板だ。此処に革命派の情報誌が時たま掲載されるという話だ。

 だが、そんな曰く付きの掲示板であっても、張り込みというのが単調な仕事であることに変わりはない。

 眼前では、道行く人が時たま掲示板を一瞥し、立ち去るのというループがひたすらに繰り返されていた。それでも、ジャックは端から端まで余さず観察し、見張った。


 そして、日が傾き始め黄昏が染み出してきた頃。漸く、お目当ての人物がやってきた。


 その人物はなんでもないかのように、自然体で通りを歩いていた。だが、掲示板の前に通りかかったと思うと、一流のスリ師の如き手際で、掲示板にぺたりと一枚の羊皮紙を張った。

 藍色のローブで顔を隠した上背が百八十程の男だ。元の自然体で、通りを歩き去ってゆく。


 ジャックは筵からするりと抜け出すと、ローブ男の後を追った。兵役時代に身に着けた技術が大いに役に立った。気配を消し、視界に入らず、聴覚にも注意を向けさせず、喧騒に同化するのだ。木立の騒めきに紛れるより、遥かに容易い。

 気配を消していると、思い出したくもない密林の光景が脳裏にちらつく。意味の無い侵攻。虐殺。草の根まで掘り起こして行うゲリラ狩り。藪蚊の飛び交う沼地と敵の潜む穴倉。


 それらを振り払うように、男の後を着けてゆく。


 男は人気のある通りに出たかと思うと、酒場へと入っていった。巨大な時計のあしらわれた看板を捧げる場末の娼館兼酒場。『銀時計亭』。


 ジャックもローブ男を見失わぬよう、店内へと滑り込んだ。


 店内は騒然としており、怒号や歓声、酒を呷りすぎてえづく音が鳴り響いていた。


 内装は表の錆びれ具合に似合わず、退廃的な優美さを誇っている。店名にも冠される銀時計がダークオーク材の壁に良く栄えており、床は鈍色の石材が全面に敷き詰められている。

 客の多くは傭兵か冒険者。その他には放蕩者の学生たちが幾らかいる程度。


 ジャックは空いていたカウンター席に座った。太ったバーテンが不愛想に注文を問うた。


「注文は?」


 ローブ男の方に視線を送りながら、ジャックは注文した。


「アブサンはあるか?」


「あることにゃ、あるが、勃起不全インポテンツになっても良いのか?」


「仮になったとして、面倒ごとが一つ減るだけだ」


 そう言って一枚の銅貨を差し出した。

 店主は苦笑し、銅貨を受け取った。指の骨をパキリと勿体ぶって鳴らした後、戸棚の奥の方から緑色の小瓶を取り出し、グラスに注いだ。つんとしたニガヨモギの香りが立ち上った。


「ガラス製の容器とはずいぶん羽振りがいいんだな」


 ジャックはグラスを持ち上げ、眼前で振ってみた。琥珀色のアブサンがゆらりと揺れた。


「少し、臨時の収入があるのさ」


 どうやら、この酒場はクロのようだ。大方、このグラスにしても革命派から譲り受けたのだろう。連中はよく貴族の馬車隊や羽振りを効かせる商人を頻繁に襲う。その略奪品だ。


「そうかい。俺とは大違いだ。金も家もなく、ただプライドの為だけにこんな酒を呑んでいるのさ。笑えて来るだろう」


 ジャックは嘘と本心を混ぜこぜにしながら、話した。

 全てはヤシマの思惑の為だった。革命派の集まる場所を突き止めろ。奴らに取り入ろ。お前は退役兵だ。おあつらえ向きの方法がある。それを白昼堂々決行しろ。


 大振りのグラスを一気に呷り、ジャックは高らかに語り始めた。喧騒に呑まれぬのに十分な声量で。


「今のこの国はクソだ。そうは思わないか?」


 バーテンは口を半開きにジャックを見た。突然何を言い出すんだコイツは。


「憲兵共だって、神官共だって、拘置所の看守連中だってみんなクソだ。お互いのケツの穴を探し回ってグルグル回る犬どもだ。残忍に領民をなぶり殺し、騎士共の大半は下劣にして卑猥。脳には酒が溜まっている。権力を崇拝し、上にはお世辞をこれでもかと繰り返す」


 酒場の空気は一変した。誰一人喋っていない。ピクリとも動かない。皆がジャックを見ている。


「スティーラーズ戦役を覚えているか?溜まった鬱憤を他所に逸らすためだけに、行われたあの対外戦争だ。なんの意味もなく、あの熱帯雨林の広がる南部に侵攻し、多くの犠牲を払った。俺達は、どんな命令にだって従った。ごまんとあるトーチカを全て焼けと言われれば焼き、南部民のゲリラが潜む洞穴にナイフ一本で潜れと言われてもその通りにした。だが、地獄から戻った後。今は、ゴミ山に寝そべるだけだ」


 ジャックは一呼吸置き、そして心の底から酒場の人々に問いかけた。


「俺達は何を得た?」


 客たちは黙っていた。だが、数秒も立たずに誰かが声をあげた。


「何も得ちゃいねぇ! 失っただけだ!」


 叫びは伝播した。催眠魔法にかかったように、全員が熱狂した。

 それぞれに怒りの声を上げ、男も女も関係なく沸き立った。杯が飛び交い、酒が飛び散り、料理が宙を舞った。

 熟成しきったビール樽が炸裂したようだった。


 自分自身でも驚く結果だった。ヤシマが言った通りでもあった。彼女を信用していなかったわけじゃない。心のどこかで話半分に考えていたのだ。ある種において悲観的であり、また楽観的だったのだろう。

 ヤシマの依頼もタチの悪い冗談ではないかという悲観、大衆の沸点はここまで低くはないはずだという楽観だ。


 だが、どちらも杞憂だった。


 ローブの男が飲んだくれたちの大騒ぎの間を縫うように、ジャックに向かって歩み寄ってきた。


「名演説だな。一杯おごらせてくれ」


 上手くいきすぎている。何者かが行動規範を定め、全員がその通りに動いているかのように思えた。



「バーテン。この人に特別な一杯を」


 そう言って、男は銀貨を一枚放った。バーテンはそれを慣れた手つきでキャッチし、ポケットにしまう。そして、代わりに木製のジョッキを取り出し、何の変哲もないビールをカウンターの壁に設置されたビール樽から注いだ。


「おまちどう」


 バーテンはローブ男の前に、ジョッキを置く。ローブ男はジョッキの底に何か薄いものを挟んだ。ローブ男はジャックにジョッキを寄越した。


 ジャックがそれを確認しようとするや否や、ローブ男は席を立ち、出口へと歩み出した。ジャックはそれを追おうとしたが、店員がごつい手でカウンターを叩き、制止した。


「お客さん。他人の好意を無下にしちゃいけねぇよ」


 ジャックは再び座りなおした。これ以上怪しまれるのは得策じゃない。今の自分は、社会に不満を持つ退役兵の浮浪者だ。喜んで奢りに飛びつかねばなるまい。

 一息でビールを呷る。酸味がかったお世辞にも美味しくはない一杯。だが、やけにうまそうに見えるよう飲んでやった。少しの嫌味も交えて。


 底に挟んであった羊皮紙を確認してみる。それにはこう書いてあった。


『1984番地。第66地下墓所』


 残された手掛かりはそれだけだった。

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