第4話:聖なるセールスマン


 焦げ臭い詰問室。普段通りの事情徴収が始まる。その予定だった。


「貴方は神を信じますか?」


 街から連行されてきた修道者は開口一番に言った。看守長のヤシマに対して、そう問うたのだ。おおよそまともではない。


「世間体的にはイエス。本心では恐らくノー」


 ヤシマははきはきと答えた。面接なら満点をくれること間違いなしの快活さ。少し不気味なほどだ。


「では貴方は神をご覧になったことが有りますか?」


 修道者は再び問うた。


「ええ勿論、有りますよ。この目で、ありありと、目と鼻の先で、はっきりと」


 ヤシマは嬉し気に答えた。その一方、看守の快活な語り口と話す内容に、修道者は口をへの字に曲げ、返答に窮していることを表情で伝えた。


「もしかして、神をその目で目にしたコトがないと?修道者ともあろうものが?」


 ヤシマは切長の眼を目一杯に見開いた。対比のせいかグロテスクなほどに大きく見える。


「その程度で、大衆に説教して周り、あまつさえ聖書の紛い物を売り歩いたと?どうなんです?マウリス・エルゴーグさん」


 ヤシマは更に威圧的に問うた。電撃魔法の火花まで散らしてやろうかという勢いだ。

 それを目の当たりにし、マウリスという名の修道者は大いに困惑していた。看守がここまで頭のおかしい奴だとは思っていなかったのだ。

 何とかしてペースを取り戻そうと、今迄の説教と口論の経験を総動員した。


「神の姿はどのようなモノでしたか?本当に見たならば答えられるはずです」


 どんな答えを返してきたとしても、兎に角、否定してやれば良い。存在しないものを主張し合う水掛け論なら、此方に一朝一夕の優があるはずだ。生まれてこの方、口先と少しの閃きだけで生きてきたのだから。

 だが、ヤシマはあっさりとこう返答した。


「神はこの様な姿をしておりますよ」


 そうのたまうと、ヤシマはポケットからぐしゃぐしゃの糸屑の塊を出して見せた。


「糸屑の塊か、茹ですぎたパスタのような見た目です。それがプカプカと宙に浮き、私たちの理解し難い言語でこういうのです」


 ヤシマは其処で口をつぐんだ。気まずい沈黙が流れる。ヤシマが机上に付いた黒い焦げを削る音だけが鳴る。

 先に沈黙に音を上げたのは、マウリスの方だった。


「良い加減にして下さい。パスタの怪物は何と言ったんです?」


 ヤシマは指先についた焦げをこ振り落としながら答えた。


「転生したら人生イージーモードでウハウハハーレム生活送らせてあげるだってさ」


 マウリスは耳を疑った。眼前の女が何を言っているのか、これっぽっちも理解できなかったからだ。この女との間に越えられない透明な壁が聳え立っているような気さえした。

 戸惑うマウリスを傍目に、ヤシマは続けて言った。


「正直な話、貴方。神なんて全く信じてないでしょう?」


 ヤシマは先程までの気狂いじみた態度を急変させ、至極真っ当な看守前とした厳格さで問うた。躁病の患者の様な気分の上下だ。

 だが、その問いは何処までも的を射たものだった。全く持って図星。マウリスは生まれてこの方、神なんて信じたことはない。農民共から徴税をした時も、神官共からも徴税した時にすら、これっぽちも神が脳裏をちらついたことはなかった。


「貴方の前歴を少しばかり調べさせてもらったけど、相当面白いわね。ああ、此処での“面白い”は愉快と興味深いの両方の意味ね」


 楽し気にヤシマは資料を読み上げ始めた。


「この街のお隣の公爵領の出身。父親の職業は商人。で、領主の連中ともそれなりのコネがあった。三男坊だった貴方は家業を継ぐことなく、コネを利用し、徴税官に着任。家無しの似非修道者に落ちる要因となったのは、神官の荘園から徴税しようとしたから。不文律として、免税特権があるのを知っているにもかかわらず、徴税した。農民達と同様に鞭と恫喝、法の大義を用いて」


 ヤシマは微笑んだ。


「ある意味では金にがめつく、ある意味では公平ね」


 マウリスは諦めたように、大きな溜息を一つ付いた。そして、再びヤシマに向き直った。俗世を棄てた聖人のような面持ちだ。おまけに口調は場末のポン引き並みに下劣に変わった。


「俺は唯、奴等のやり口が気に入らなかったんだ。徴税官は嫌われるのを分かったうえで、法に乗っ取り、職務を全うする。だが、宗教家の連中は道理の合わない神の存在を吹聴し、綺麗ごとを宣いながら奪っていく。おかしな話じゃないか?」


 ヤシマはにやにやと笑うだけだ。


「だから、俺は法律通りに事を進めてやったんだ。神と違って、法律には実態がある。勝てるはずだったんだ。だが・・・」


「上手くいかなかった?」


「ああ。実態のないものは往々にして、実態のあるものよりデカくなる。その事を思い知らされた」


「法律だって、解釈の仕方によっては幾らでもデカくなるけどね」


「アンタが言うと言葉の重みが違うが、それでもだ。法は簡便だ。海を割っただの、大きな洪水で世界が洗い流されただの、訳の分からない与太話から読み解くわけじゃない。後になって、弟子を名乗るやつが出てきて新しい戒律を敷くわけでもない」


「だから、法律の方がマシだと?宗教に乗っ取って生まれた法律だってあるのに?」


「道理に合わないものが、自浄作用もなく、野放しになっているのが、おかしい。そう言っているんだ」


「あら、そう。じゃあ生まれる時代を間違えたわね」


 マウリスは苛立たし気に顔をゆがめた。


「アンタはどう思うんだ?」


 ヤシマはポケットからパルプ紙を結った筒を取り出した。薬草を詰め込んだ紙煙草だ。


「さあね、知ったこっちゃないわ。私は預言者じゃないのよ?」


 指先から火花を散らし、ヤシマは煙草に火をつけた。


「ただね、パスタの化け物を目の当たりにした身から言わせてもらうならね。“神がいる”と仮定するなら、間違いなく碌なもんじゃないわ」


 タバコを咥え、紫煙を穴という穴から吹き出しながら、ヤシマは語る。


「そうじゃなきゃ、世の中ここまで酷くは無りはしないでしょう?スズメの一羽が落ちることを知っていても何もしやしないんだから」


 煙草を深く吸い込む。焼け焦げる野原の如く、燃えてゆく。三分の一まで焦げ落ちてゆく。


「酷くなればなるだけ、神の人気が増すってんだから不思議なもんよ」


 燻ぶる煙草の先端を革手袋でもみ消した。


「とはいえ、ちっぽけな私でも一つだけ貴方に御宣託を下すことは出来る。上手くいけば、貴方の欲した全てが手に入る。金と地位。名声は微妙かもしれないけど・・・まあ、兎に角、望むもの大体は手に入るわ」


「呆れた宗教勧誘だな。安っぽすぎる」


「そう? 鍵は既に貴方が持っているはずよ。天国の扉の鍵をね」


「何のことだ」


「貴方が、の聖書を、、書き写した手段よ。まさか、百十近くを一人で写本したわけじゃないでしょ?普通に考えて、面白い小技があるはずよね。一度に何枚も同じ文字を写す事のできる、海を割るぐらいに画期的なヤツが」


 マウリスは目を細めた。眉間にしわが浮かんだ。分かりやすい男だ。


「貴方の売り歩いた聖書の多くは私たちが押収させてもらったわ。聖書とは名ばかりで、麻布に墨を沁み込ませただけの代物。おまけに、全て同じ筆跡で書かれていた。寸分狂わず全く同じ。不思議ね」


 マウリスは押し黙っている。


「これは勝手な私の妄想だけど、その秘密の技術って大体こんな感じじゃないかしら?あらかじめ文字それぞれのハンコを作り、インクを染み込ませ、何枚もの麻布をその上に重ねて、上から強力な圧力で押さえつける。そうすれば、インクは裏写りし全く同じ書類が出来上がる」


 ヤシマはゆっくりと言葉を組み上げていく。活字を組む様に手間を掛けている。


「事の正否はどうでも良いの。兎に角、この技術のノウハウが仮に有るとすれば、全てをひっくり返せるかもしれない」


 上目遣いでマウリスの顔を覗く。マウリスは長い熟慮。沈黙。そして、マウリスは口を開いた。


「仮にあったとして、アンタはその見返りに何を出すんだ?」


 ヤシマはにんまりと笑った。


「今、火炙りの刑に処されそうな可哀想なセールスマンを助けられるかもしれない。おまけに、デカいことを為すコネと別の技術も教えてあげちゃうかも」


「コネと技術とは?」


安紙パルプ虚言フィクションよ」


「は?」


「貴方、板屋を知ってる?」


「ああ、あの野次馬の上位互換のような連中か」


「言いえて妙ね。で、コネっていうのは、アイツらに引き合わせてあげるという意味よ。あいつらなら盛った犬みたいに貴方の技術に飛び付く。連中は教会を強請ゆすれるネタを腐る程、溜め込んでる。発信能力も十分」


「法務官は私が何とかできるけど、教会に関しては連中の手を借りなきゃいけない。そのための交換材料に貴方の技術がおあつらえ向きって話」


 そう言って、ヤシマは燃えかけの煙草を机に置き、ほぐし始めた。


「貴方が売り込むのよ。『私の製品は当業界に革命をもたらします!算出した数値によれば大衆への求心力は百万倍!ぜひ!』てな感じにね」


 マウリスは何かを考えこむように天井の焦げを睨んだ。ヤシマは紙を広げきり、上に乗った薬草の葉を取り払った。


「仮に、パンチが弱いのだとしたら、私の技術も譲ったげる。有料でね」


「その技術とは?」


「コレよ」


 ヤシマは煙草の巻紙をマウリスに寄越した。マウリスはそれを手に取り、つねったり、引っ張りした。


「やけに薄い羊皮紙だな。良く曲がる、手触りも悪くはないし、強度もある」


「パルプ紙よ。貴方の技術と相性抜群だと思うわ。安く、大量に生産でき、インクの移りもいい」


「ペンは無いか?」


「収監者に凶器に成り得るものを渡すわけないじゃない」


「取引相手じゃないのか?」


「まだ違うわ。今はまだ、全て仮定の話」


「分かった。良いだろう。確証をやる。お前の言う印刷技術は実在する。俺が開発した。だが、お前の取り分は何だ。それが無けりゃ、信用できない」


「じゃあ、貴方が聖書を印刷した動機を教えてくれる?私はスムーズに調書を完成でき、貴方は再起のチャンスを得る。win-winの司法取引というヤツよ」


 マウリスは腑に落ちない表情を浮かべた。今までの話が全て嘘だったとしたら。唯、此方を弄び、突き落とすためだけの猿芝居だったとしたら。

 神はいないが、悪魔はいるのかと、どうしても疑ってしまう。眼前のこの女がそうなのではないかと。


「取引するの? しないの?」


 ヤシマは煙草のカスを指先の電撃魔法の火花で燃やしながら、問うた。

 この女が悪魔にせよ、何にせよ自分に選択肢はないことに変わりない。結局は、この女の胸先三寸だ。

 マウリスは返答した。


「俺が聖書を売り歩いたのは、神を貶し、冒涜し、神官の連中の面を蹴り飛ばしてやるためだった。タチの悪い冗談だ。安っぽい復讐さ」


 ヤシマはにんまりと笑った。


「オーケー。取引成立ね」


 灰色の瞳がマウリスを捉える。白い歯が唇の間から顔を覗かせ、天井のランタンの火がそれを不規則に明滅させた。

 マウリスの顔に脂汗が浮く。『取引成立』。その言葉を聞いた後でも、マウリスの背筋は冷え切ったままだった。次の瞬間には、蹴落とされるのではないかと考えてしまうのだ。

 そして、恐怖は奇妙な欲求を生んだ。恐怖を紛らわせるために、冗談を聞きたくなってしまった。とびきりくだらない冗句で良い。苦笑、嘲笑、含み笑い、何でもいい。どうにか気分を変えたかった。


「なあ、あのパスタの化け物の話は本当なのか?」


 マウリスは咄嗟に浮かんだ最も馬鹿らしいことを口にした。「冗談よ」その言葉を期待した。


「冗談よ」


 確かにそう言った。だが、女看守はこう続けた。


「パスタの化け物が宣ったセリフに関してはね」

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