勝鬨

「なんとか国を守ることができたわね。貴重な人材を失ったことは残念だけれど」


 右手のスカーフを解いたフローリアが遠い目をしていると、鼻を鳴らした或鳩からエアヴェルメンを取り上げられてしまった。驚く暇も与えられず、鉄剣を押しつけられる。


「憂うなら、この国の人事体制について考えてくれないかな。ラーゼンは珍しくまともな部類に入る宰相だとは思うけれど、魔王が入り込んでいたことに誰も気づかないとか冗談じゃない」

「うっ…………ごめんなさい」


 兆候に心当たりはあったと、フローリアは首を竦めた。


「ねぇ、アルク? 最後の作戦って、オルカーンの技を応用したものよね?」


 あの時、半ば朦朧としていた意識の中で見た彼の顔。戦いを終えて洞窟から出た時にはすでにいなくなっていたのだが、あれは嘘ではないのかと、信じていいのねと、目で訴える。

 そんな視線に、或鳩は自慢げに指を立てて、


「僕様が囮になって、君という本体が叩く。啄木鳥作戦とかけてみたんだ。鳥繋がりでね」


 名案だったろ? と笑って見せたが、フローリアは難しい顔で目を瞬かせていた。


「キツツキ? 何度も攻撃するってこと……かしら?」

「ぜんっぜん違うよ!」


 うがー、と詰め寄ってきた或鳩に、思わず一歩後退る。次いで飛んできた長嘆息の追撃に、フローリアは小さくなりながら、半泣き状態の上目づかいを返した。


「……もしかして私、馬鹿にされてる?」

「それも違う。この場合には君たち……つまり、フランドルフの人間全員を馬鹿にしてる」

「……一応私、王女なのだけれど?」


 相変わらず絶好調の嫌味口撃に、わざとらしく拗ねたように唇をすぼめて見せる。


「ぷっ、ふふふふふっ」

「はははははっ」


 たまらず噴き出したフローリアに、或鳩もつられて腹を抱えた。

 ひとしきり笑い合った後で、目尻を指で拭いながら顔をあげると、向こうからナタリーとソフィアが駆けてくるのが見えた。彼女たちの隣にはそれぞれ、彪と星呉も一緒である。


「ソフィ! ナタリー! 良かった、無事だったのね」

「まぁね。セーゴのおかげで」

「わたしも、アキラさんに助けてもらいましたから」


 笑顔で紹介され、彪たちは気持ち悪いくらいにもじもじと照れくさそうにしている。


「……彪はまだしも、星呉がどうして女子と一緒にいられるのさ?」


 目を丸くしている或鳩に、星呉は無声映画のようなパントマイム付きで、勇ましい顔、死にそうな顔、驚いた顔、泣きそうな顔、そして恥ずかしそうな顔と百面相の説明をして見せる。


「……或鳩、翻訳を頼む」

「僕様でもヴォイニッチ手稿の解読は難しいよ」


 さすがにお手上げだと、二人は首を振っていた。


「ねぇアルク、三人は知り合いなの?」

「ああ、友達だ」


 袖を引くフローリアへきっぱりと即答した或鳩に、彪と星呉が愕然と開いた口を震わせる。


「まさか、或鳩の口から友達なんて言葉が出るなんて」

「(こくこく)」

「ちょっと、僕様をなんだと思ってるのさ?」


 彼も照れ臭かったのだろう、口ぶりは怒りながらも、まんざらでもなさそうに微笑む。

 温かい笑顔を見せる横顔に、彼らの家族同然の絆を感じたフローリアは、目を細くして。


「――あっ、いけない!」


 はっと声を上げる。王都襲撃を報せてくれた騎士に、身内の報告など後でいいと強がっていた手前、大切なことをすっかり忘れていた。


「私、お父様の様子を見てくるわ!」


 駆け出そうとした彼女は、またもあっと声を上げ、慌ただしく引き返す。


「ソフィ、ナタリー、アルクたちにお礼をしたいから、城の中に通してあげてくれる?」

「フローラの部屋でいい? ……すいません調子に乗りました」


 馬鹿なことを言っているソフィアは半眼で黙殺。仕方なしにナタリーに視線を送ると、彼女はソフィアの発言に苦笑しながらも頷いてくれた。

 しかし、再び走りだしたフローリアは、手首を掴まれてしまう。


「ちょっと待った、君にはまだ仕事が残っているよ。怯えている国民に勝利を告げないと」


 そう言って、或鳩は王城の最上階に突き出した扇状のテラスを指で示す。

 完敗だった。自分は戦いを終えて安心していたというのに、彼はまだ気を抜かず、姫である自分よりも遥かに国の全体を見ている。


「もちろん、ソフィアとナタリーもね。黒龍を倒した勇者が勝利を宣言するなんて、こんなに盛り上がることはないよ。ほら、行った行った!」

「わっ、ちょっと!?」


 ぐいぐいと背中を押され、フローリアたちはたたらを踏む。勇者という立場まで考慮している或鳩の慧眼に感服しながらも、彼女は同時に寂しさを感じていた。

 黒龍との戦いは、彼らなしには語れない。いや、黒龍どころかオルカーンとの戦いでさえ、自分たちだけでは成し得なかった。或鳩こそ、あの壇上へと立つに相応しい人物だと思う。

 伝えなきゃ。フローリアは、きゅっと下唇を噛みしめた。スカートの裾を握る手が震える。


「あのっ、アルクたちも一緒に来てくれないかしら!」


 意を決して振り返る。

 しかし、目の前にあった光景に、彼女ははっと息を呑んだ。


「あれ……どこ行った?」

「いなくなっちゃった、ね……」


 きょろきょろと辺りに目を凝らす仲間たちに、フローリアはそっと瞳を閉じて、


「……仕方ないわ。彼はそういう人だもの」


 城の中へと踵を返しながら、少しだけ残る切なさに頬を染めた。






    ★    ★    ★






「ふぅ、ここまで来れば大丈夫だろうね」


 凄惨な爪跡の残る街並みを抜けたところで、或鳩は額を袖で拭った。


「なぁ、逃げる必要はあったのか?」

「それ本気で言ってる? もしフローラが僕らを国王に面会させでもしたらどうするのさ?」

「どうして面会させる必要があるんだ? 彼女はお礼をしたいって言っていただけだろ」


 肩で息を切らせながら、抗議の視線を向けてくる彪に、或鳩は盛大なため息をくれてやる。


「まったくおめでたいね、君は。ナタリーに『お礼』される妄想でもしてた? エロゲ脳乙」

「あ……、そうだよ悪かったな!」

「星呉もだ。妄想乙」

「おっぱいのことを考えてるってどうして分かった!?」


 分かりやすい反応を返してくれる彪たちに、或鳩の眉尻がいっそう下がっていく。


「はぁ。アインシュタイン曰く『異性に心を奪われることは、大きな喜びであり必要不可欠なこと』。これは意味不明な迷言だと思うけれど、でも同時に彼は『それを人生の中心事にしてしまったら、人は道を見失う』とも述べている。反省することだ、童貞諸君」


 ぐうの音も出ずに俯いた二人を尻目に、歩き出す。


「おい、どこ行くんだ?」

「ひとまず今日の宿を探すよ。当面は、僕ら自身で帰る方法を探さなきゃならないしね」

「ラーゼンは?」

「死んだよ」

「「マジで!?」」


 そんなやり取りを交わしながら、その場を後にした三人は、


『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ! !』


 城の方から起こった歓声を背中越しに聞いて、静かに拳を突き合せた。


「……でもやっぱりオレ、ナタリーといい感じになってたと思うんだけど」

「目があっただけで好意を感じてるくらいに単純だね。吊り橋効果による一時的なものだよ」

「俺はソフィと会話できたぜ。……少しだけど」

「「マジで!? ……えっ、ちょ、マジで!?」」


 そんな、馬鹿騒ぎしている或鳩たちから伸びた影法師を、いつの間に昇っていた太陽がそっと、讃えるように照らしていた。

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