~SIDE 或鳩×フローリア~(後)
黒龍の前から姿を隠し、街の中を疾走した或鳩は、王城の裏手までやってきていた。
本当は正面から乗り込みたかったが、なにせ外は、フローリアと黒龍が繰り広げる激戦の真っ只中である。ならば、多少遠回りをしてでも、知った道を選択した方が賢明だろう。
裏口の扉を開ける時間程度では息を整えることもままならないが、或鳩はそれでも走り続けた。城内の金装飾が放つ眩さが、今は鬱陶しくてしかたがない。
螺旋階段を駆け上がり、一時は道を間違えて引き返しを余儀なくされながら、最上階の踊り場へと滑り込む。そこで、思いがけない人影を発見した。
黒い挑発が特徴的な、線の細い男。彼は震える体を必死に引き摺り、通路を這っていた。
「ラーゼン!?」
或鳩は声を上げ、走り寄る。魔王を名乗る人格が災禍の黒龍として戦っている今、ここにいるラーゼンは、本来の人格なのだろう。
ぜいぜいと虫の息をしている彼を助け起こし、壁にもたれさせる。
「あなたは……異世界の方ですね」
「覚えてるの?」
「ええ、全て。あの魂が外に出ている間、私はいつも、このように動けずにいましたので……」
不甲斐ないと、自嘲気味に歯を見せるラーゼン。狡猾で慇懃な悪しき魂の面影がなくなった彼は、年相応に若く、爽やかな好青年だった。
「聞きたいことは色々あるけれど、今は喋らないで、じっとしていて」
押しとどめる或鳩の手に、しかし、ラーゼンは弱々しく首を振る。
「もう、私には時間がありません……本当は、高いところから身を投げ、奴が戻ってくる器を消してしまいたかったのですが……その力すらも……」
そう言って、徐々に光を失っていく目に、或鳩は悲鳴を上げた。
「そんな、駄目だ! 君はこの国の宰相なんだろ? なんとしても生き延びて――」
「いけません……外では、姫様が戦っておられるのでしょう……? 家臣の私が戦わずして、どうして家臣を名乗れますか……」
力なく微笑んだラーゼンの、わずかに残る瞳の光に、炎が灯る。
「姫様を、頼みます……私は、あの方に仕えることができて……幸せだった――」
その言葉を最後に彼は目を閉じ、うな垂れたまま動かなくなった。舌を噛み切ったのだろう、口の端から、一筋の血が流れ出ている。
「ラーゼン、君って奴は……」
或鳩はたまらず目を伏せた。生き延びることこそ戦いだとはよく言われるが、国が生き延びるために敢えて死を選んだ彼こそ、凄絶に戦いきったと言えるだろう。
若くして散った英雄の前で或鳩は膝を付き、その亡骸へと黙祷を捧げる。
「見てろ、今度は僕様の番だ」
去り際に、もう一度だけラーゼンへ振り返ろうとして、首を振る。
自分の役割を果たすため、彼の想いを無にしないため。振り返っている場合ではない。
或鳩は気合いを入れ、最上階を目指して走る足に鞭を打った。
❤ ❤ ❤
再びツェーレへと風の魔力を注ぎ込んだフローリアは、黒龍の周りを飛び回りながら、持てる力の全てを連打していた。
「【
灼熱の息吹を、光の力で打ち払う。現れた虹のカーテンに苛立った黒龍は、力技で突き破ってまで牙を立ててきた。それも屋根の上で受け身を取りながら回避して、再び風となる。
「まるで魔力の無駄遣い……。一体何がしたいのです!?」
黒龍の怒号に動じることなく、フローリアは走っていた屋根を踏み切る。
これが最後の跳躍だった。追ってくる爪を引き寄せるように、高く、遠く舞った彼女は、着地するなりツェーレの魔力を解き、
「今に分かるわよ。【
二振りの伝説の剣を天にかざした。剣先から迸った魔力は一つに収束した後で、激しい稲妻の雨となって黒龍へと襲いかかる。
「ぐっ……この程度の攻撃が私に通じないことくらい、分かっているでしょう!」
わずかに怯んだものの、地に足を押し付け、翼を大きく広げ、牙を剥いて耐える黒龍は、容易く雷を振り払ってしまう。しかし、それこそがフローリアの狙いだった。
しばらくフローリアただ一人を追って攻撃をしていた黒龍は、ほんのわずかとはいえ動きを止めたことで、自分が立っている場所がどこなのかということに気付く。
「ここは……城?」
石造りの、丸く膨らんだ外壁を見た黒龍は、怪訝に目を見張る。
城の四隅にそびえる塔の一基。その根本に立っていたのだ。
「どんな魂胆でここまでおびき寄せたのかは知りませんが……」
含みのある視線で睨みつけるフローリアに、黒龍はくっくっと喉を鳴らした。
「お望みならば、城を壊してさしあげるまで!」
「――デマ本だ!」
振りかざした爪は、不意に頭上から発された声に止められる。上を向いた黒龍は、塔の最上階から飛び降りてきた或鳩の姿にたじろいだ。
「それが合図とやらですか。意味不明のふざけた言葉を!」
舐めるなと言わんばかりに、怒りを露わにする黒龍。しかし一方で、全てを理解したフローリアは、打ち震える心が叫びそうになるのを堪えていた。
――いったぁ……。デマ本掴んだわ、風圧呪文なら衝撃をなくせるなんて嘘じゃないの。
初めて或鳩と出会った場面の再現を以て、彼は黒龍と勝負を決しようとしていたらしい。
何よ、説明してくれたって良かったじゃない。
フローリアは涙混じりに苦笑する。或鳩から耳打ちされた作戦は、たった一つだった。
『君がよく脱走している塔のところまで、黒龍をおびき寄せてくれ』
彼は本当に不思議な人だと思う。城から抜け出す姿は一度しか見せていないのに、それを『脱走』だと言い、あまつさえ『よく』脱走しているなどと言ってのけた。
まるで、ずっとどこかで見守ってくれていたような……。
「せあああああああああっ!」
或鳩が振り下ろした鉄剣は、迎撃する黒龍の牙とかち合った。
「はっ、どうやら不意打ちは無駄に終わりそうですね。このまま死になさい!」
上顎の牙に剣を、下顎の歯茎に足をかけて踏ん張っている或鳩に、黒龍は噛む力をぎりぎりと強くしながら快哉を叫んでいる。
しかし、或鳩は怯むどころか、にっと歯を見せて、
「今だフローラ!」
その叫びに、剣を構えて時を待っていたフローリアが頷く。
「僕様の剣と、君の剣で――!」
「――【
上から降ってきた或鳩と、下から斬り上げるフローリアによる、疑似的な燕返し。黒龍は飛び上がってきた彼女に反応する間もなく、伝説の剣が放つ閃光によって、首を両断された。
重力のままに地に落ちた首から少し遅れて、漆黒の巨体が、ゆっくりと倒れていく。
「まさか、
まだ意識のある黒龍は、着地した或鳩を憎々しげに睨みつける。
「まぁ、当然だよね。僕様は天才なんだから。それに――」
そこで言葉を切った或鳩は、隣に立っているフローリアの肩を抱き寄せ、
「最高の勇者がいるんだ、負けるはずがないよ」
突然のことで照れている彼女をよそに、胸を反らした。
「しかし、私の魂は再び……な、何故だ、なぜ戻れないのです!?」
「……もしかして、一度ラーゼンの身体に戻ろうとしてる?」
雄叫びを上げ、足掻きを続ける黒龍に、或鳩が白い眼を向ける。
「彼は死んだよ。これ以上利用されないようにね」
放たれた一言に、黒龍は唖然とした表情で、
「くっ、おおおぉぉぉぉぉぉおおお! !」
断末魔を最期に、身体とともに消滅していく。
その後には大量の金貨が残りこそすれ、青い魂が発生することは、なかった。
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