~SIDE 或鳩×フローリア~(前)
「これでお別れです!」
徐々に激しさを増していく火炎の渦を前に、或鳩は膝をついた。
「戻ることが不可能なんじゃ、いくら天才の僕様でも無理だ……」
黒龍が吐き出した息吹は直後に弾け、プロミネンスとなって迫ってくる。それを或鳩は光を失った目で呆然と眺めながら、炎が体を射抜くその瞬間をただ待っていた。
「――【
目の前の光景を、一瞬、目が霞んだせいだと思った。しかし、紅炎がこちらを貫いてくることもなく、辺りには目の霞どころではないモヤ――水蒸気が立ち上っている。
「危ないところでしたね、大丈夫でしたか……ってアルク、あなた大丈夫!?」
双剣を携えて駆けつけてきたフローリアが、消沈している姿に目を剥く。負傷しているからだと思ったのか、彼女は剣を置き、或鳩の身体を手早く確認し始めた。
「怪我はないみたいね……立てる?」
しかし、差し出した手を或鳩が取ることはない。
「詰んだ、もう終わりだよ。僕様が何をしようと、もう無駄なんだ……」
「何があったか話してくれる? あなたが言ってくれたのよ、『自分の無力さに立ち止まってしまうなら、助けてって言えばいい』と」
「……助けてもらって解決することならね」
「アルク……」
うわ言のように突っ撥ね、焦点の合わない目をしている彼に、フローリアは立ち尽くす。
「ご機嫌麗しゅう、姫様」
やがて晴れた霧の向こうから、黒龍が姿を現した。
「来るのが早かったですね。人間を殺めた自分に、悩んでいる最中かと思ったのですが」
「くっ……どうしてそれを!?」
黒龍の正体を知らない彼女は、龍が言葉を操ったことよりも、その内容に苦い顔をする。
「あいつはラーゼンで、オルカーンで、魔王なんだ。戦うんだフローラ……僕様は勇者じゃない。こんな僕様なんか肉壁につかってくれよ……かつての召喚士がそうしたみたいに」
「ちょっとまって! 閣下がオルカーンで……魔王?」
或鳩の呻くような声に、フローリアは戸惑いの眼差しを黒龍へと向ける。それに対して黒龍は言葉を返すことなく、ただ痛快に口元を歪めて見せた。
「そんな……オルカーンは昨日……」
数歩後ずさったフローリアは、なんとか踏みとどまると、或鳩の肩に手を置いた。
「アルク、奴の言葉に惑わされちゃダメよ。今あなたが抱えている悩みに、私は何もしてあげられないのかもしれない。でも、それならまずは私を助けて」
「君を……?」
思いがけない言葉に、或鳩の目が、ようやくフローリアを捉える。
しかし、その目にはまだ生気がない。彼女は力強く頷き、じっと正面から見つめ返して、
「そう、力を貸してほしいの。私よりも、ずっとずっと勇者にふさわしい、あなたに」
その言葉を、ゆっくりと頭の中で咀嚼した或鳩は、
「それもそうだね!」
すっくと立ち上がった。あまりに急なテンションの変化に「え、ええっ!?」と、励ましの言葉をかけた本人が目を回している。
「ほらみろ、やっぱり言った通りだ。僕様こそ勇者だっ!」
きらきらと満面の笑顔を咲かせて、或鳩はパーカーの隙間から剣を抜き払った。周囲にわずかに漂う霧の残滓の中で、日の光を求めて天を突く紅の刀身に――
「なっ、エアヴェルメン!?」
「どうしてあなたが『勇の剣』を持っているの!?」
黒龍とフローリアが目の色を変える。
「僕様は天・才! だからね。伝説の剣に選ばれるくらい造作もないよ」
完全に元の調子を取り戻していた或鳩は、自慢げに鼻を鳴らして、剣を構えた。
「行くよフローラ、あの木偶の坊をぶっ倒そう!」
「……あなたって、気持ちの切り替えが早いのね」
一方のフローリアは若干表情を引きつらせながら、片膝をついて剣を拾い上げる。
勇者と黒子。両者が揃い踏みした光景に、黒龍は咆哮した。
「伝説の剣が二本になったところで、片や素人。それがどうなるというのです!」
「あら閣下、忘れたのかしら? 私が修めたのは双剣術よ。フランドルフ王家に伝わる、ね」
挑発するようにほくそ笑み、フローリアは或鳩へと向き直る。
「ねぇアルク。この剣と、あなたの剣、交換してもらえないかしら」
そう言って鉄剣の柄を差し出してくる彼女に、或鳩は露骨に嫌な顔を見せた。これは自分の剣だと目で訴え、抱きかかえるように背後へと隠す。彼自身、自分が伝説の剣を振り回したところで何の役にも立つことはできないと、頭では分かっていた。
「お願い。ユベルドラッヘ相手に、双剣術の全力を引き出さなければならないの」
「……仕方ないな。なら、作戦は僕様に従ってもらうよ」
渋々とエアヴェルメンを差し出し、なんの変哲もない鉄剣をこれまた嫌そうに受け取りながら、或鳩はフローリアの耳へと口を寄せる。
「――分かった? 合図は僕様が出すから!」
耳打ちを終えた或鳩は、意気揚々と駆け出した。
❤ ❤ ❤
たちまち裏路地に姿を消した或鳩に、フローリアは唇をすぼませた。
「もう……せめて合図の内容くらい教えなさいよ」
言いたいことだけ言って消えるのは彼の悪い癖だと、肩をぷりぷりと怒らせる。
しかし同時に、高揚感も抱いていた。或鳩がどうして戦意を喪失していたのかは分からないが、そんな失意の底にあってもなお立ち上がり、助言をくれる強さに、胸が熱くなる。
「成程。ツェーレとエアヴェルメンを手に、役立たずを逃がしましたか。さすがは姫様」
「ずいぶんな嫌味ね。民を優先して逃がすことが、上に立つ者の使命でしょう?」
嘲笑ってきた黒龍を、正面から睨み返す。剣を握る手はわずかに震えていた。
この黒龍がラーゼンだということは、意外にもあっさり納得することができた。オルカーンがこちらの手の内を理解していた様子だったのは、そういうカラクリなのだろう。
右手のエアヴェルメンと左手のツェーレを、それぞれ握り直す。オルカーンともう一度戦うというだけでもおそろしいというのに、今度の身体は災禍の黒龍と来た。
「……これは、本当の本当に、全力をぶつけるしかないわね」
頬を伝う冷や汗に気付かないふりをする。これは国の存亡も賭けた戦いなのだ。前回のように一度負けてから、反省を経てリベンジなどという甘い考えは許されない。
フローリアは深呼吸をすると、剣を握る力を緩めた。右の手首に巻いていたスカーフを外し、或鳩から託されたエアヴェルメンに、握る拳ごと巻きつける。
「いくわよ! ――【
風の力をツェーレに込め、疾駆。地を、壁を、屋根の上を、縦横無尽に吹き荒んだフローリアは、瞬く間に黒龍の頭上へと舞い上がっていく。
「受け取りなさい、【
ありったけの想いを込め、エアヴェルメンの炎を叩きつける。しかし、それは黒龍の翼のはためき一つで防がれてしまった。
「小癪な真似を。その程度では、成体の黒竜に傷つけることなどできませんよ!」
「これならどうかしら? 【
上空で体を旋回し、大地の力を込めて放った一太刀は、エアヴェルメンとこの星とをリンクさせ、重力加速度を局所的に増加させて威力を増す。
「くっ。それ程の力を持ちながら、何故人魔共生などという戯言を掲げるのです!」
辛うじて爪で受け止めた黒龍は、拮抗する力に牙を剥いた。
「それが私の願いだからよ! 人が夢を抱くことに、理由が必要かしら!?」
刹那、横から薙いできた尾の先端に、フローリアは間合いを切った。爪を断ち切れないことは口惜しいが、尾に生えた無数の鋭い棘を喰らってはひとたまりもない。
「クライネ村のことを忘れましたか! 人間を手にかけざるを得なかったことは!?」
黒龍は何度も顎を揺さぶり、火球を連打してきた。たっぷりと息を吸ったことで絶え間なく放たれるそれは、そこからさらに弾け、煉獄の矢となって降り注ぐ。
「くどい! どんな言葉を弄されたところで、私はもう揺らいであげないわ!」
歯を食いしばり、目を瞑る。それは決して、迫りくる紅焔を前にして諦めたからではない。
ソフィア、ナタリー、そして或鳩。瞼の裏を過っていく、仲間たちの笑顔を。大事なことを教えてくれた友の厳しい顔を。じっと思い浮かべる。
いつしか、守ろうという気持ちは消えていた。いや、消えたのではなく、別のものに変化したのかもしれない。今の自分にあるのは、彼らと対等な目線で支え合うための心。
「仲間の笑顔に会うために、その輪を増やすために、何度でも立ち上がってみせる!」
目を開けたフローリアは、それでも輝きを失わないツェーレに、微笑んだ。こんな自分の我儘な願いを、許してくれるというのか。
慈愛の心を持つ者が操れる蒼剣『ツェーレ』。勇気ある者が操れる紅剣『エアヴェルメン』。
「――【
炎を正面から迎え撃ったフローリアは、両の剣を仰ぐように振り抜き、氷柱の矢を射出した。
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