~SIDE 星呉×ソフィア~(前)
教会まで辿り着くと、怯える人々でごった返していた。城下町の半分に住む国民が押し寄せては、当然教会の中に匿いきれるはずもなく。かなりの人数が建物の外で震えている。
「ひでぇな……」
星呉は周囲の惨状に顔を顰めた。家の屋根は壊され、その中から煙が噴き上げている。大規模な火災にこそなっていないものの、仔龍の仕業と思われる爪痕は目を覆いたくなるほどだ。
壁についている赤黒い染みは血液で間違いないだろう。指でなぞりながら、遺体が見当たらないことに胸を撫で下ろす。怪我した人が、無事でいてくれればいいのだが。
「――おい、なにすんだよオッサン!」
聞き覚えのある声に振り返ると、以前教会でソフィアの奇行を心配していたぽっちゃり少年が、避難してきたと思しき中年男性に抱えあげられていた。
「うっせぇ、黙ってろクソガキ!」
中年男性は、ぽっちゃり少年を盾にして、降ってくる瓦礫を防いでいる。すでに八割方崩壊している家からは、そう大きなものは落ちてこないだろう。しかし、
「……っざけんなよ!」
星呉は走りだし、魔の手から少年をひったくった。
「子供を盾にするなんて、何考えてんだ!」
「うっせぇ、生き残るために頭使って何が悪い!」
悪びれるどころか、ぽっちゃり君を指差して口角を吊り上げる下衆の極み。
「どうせこいつらは孤児だ、死んだところで悲しむ奴もいねぇ。むしろ、あの世で親にでも会えればこいつらのためにもなる。オレって頭いいだろ?」
厭らしい嗤い顔に、少年がこちらの脚へとしがみついてきた。今にも泣きそうな頭を撫でながら、星呉は厳しい眼で中年男性を睨み返す。
初めてこの教会に訪れた時、正直に言って羨ましかった。孤児院という字面には確かに物悲しさが漂うが、男の子も女の子も、みんな笑顔で、みんな楽しそうで。少なくとも、自分のように異性を恐怖の対象として見ているような子供がいないことが眩しかった。
そんな場の空気があるのは、他の誰でもない、ソフィアのおかげだろう。
――あたしの家が孤児院なんですが、できれば将来、ここを勤め口として紹介したいんです。
子供たちの将来まで見据えて足しげく行動している彼女が。結局破談になってしまったクライネ村での一件に、あれほど口惜しさを露わにしていた彼女が。院に住む子どもたちの死を前に、どんな顔をするかなんて想像に難くない。
「俺はあんたみたいに、自分を天才と思ってる自惚れ屋を知ってるぜ。でも、あいつは――」
或鳩の顔を思い浮かべる。危険なことをする時、常に先頭を走っていく彼は、その結果誰かを助けても決して鼻にかけない。誇っているのは、自分の頭脳がどうとかいうことだけだ。
「あいつは、あんたなんかよりずっと優しいんだよ!」
星呉は中年男性の胸倉を掴み、思いっきり一発打ちこむ。
吹き飛んだ下衆野郎に、遠巻きに見ていた人々がどよめく。しかし安心したのも束の間、
「おい、黒龍が戻って来たぞ!」
「どうする、逃げ場がない!」
本当の脅威が襲ってくる。顔を上げると、軒並みをいくつか隔てた向こうから、仔龍が翼をはためかせて飛んでくるのが見えた。
時折吐きだされる火炎弾に次々と家が崩壊し、その地鳴りはここまで響いてくる。
「おいおい、産まれたばかりだってのに、随分と元気そうじゃねぇかよ……」
あんな化け物に勝てるのか? そう自問自答していると、
「おいなにしてんだ、早く逃げろ! って、おお兄ちゃん!」
ごちゃごちゃとした荷車を引きながら、武器屋のオヤジが通りかかった。
「……その荷物は?」
「なに、鍛冶道具から何から、オレの魂をみんな持って逃げるところよ」
はっは、と逞しく歯を見せる大男に、星呉は涙が出そうになった。クソみたいな中年男性だけではなく、必死に今を生きる彼のような人間もいるのだ。
その勇姿に奮い立たされ、顔を上げる。
「オヤジさん、何か武器をください。金は……まだ千フランくらいしか貯まってねぇすけど」
言いながら、リスティッヒ戦で得たあぶく銭の袋を渡すと、オヤジは目を丸くする。
「まさか兄ちゃん、黒竜と戦う気か!? 命は投げ捨てるもんじゃねぇぞ!」
「大丈夫っす、何とかします。一番安い物で構いません、武器を――」
まだ言葉の途中だったが、肩をがっしと掴まれ、ぐぉんぐぉんと揺さぶられた。オヤジは「感動したぁっ!」と叫びながら、おんおんと涙を流している。
「やっぱり兄ちゃん、最高だぜ……金はいらねぇ、好きなだけ使ってくれ!」
オヤジはそう言って、引いてきた荷車をその場に置いた。自分の魂と称した荷物、それを置いて行くことが何を意味するのか。星呉は、敢えて何も訊かずに頭を下げた。
「すんませんす。では、子供たちの避難をお願いします!」
「おうよ。ほら、あんたも手伝え!」
威勢よく頷いたオヤジは、顔を押さえて蹲っていた中年男性を蹴り起こし、引っ立てて行く。
荷車の中を物色しながら、星呉は唸った。自分に剣の心得はないため、リーチ優先で選んだところで、文字通り無用の長物となってしまう。同様の理由で、弓や槍も除外。
ふと、小指が何かを弾いた感触があった。弾かれたそれは、武器たちの隙間からでも分かるほどに、鞘の鈍い光を主張してくる。星呉は武器の中をかき分け、息を呑んだ。
教会にいるからだろうか、これも天啓かと思えるほどの出会いである。
――おお、分かるか兄ちゃん! オレの自信作なんだよ。
あの時のオヤジの笑顔は、本当に嬉しそうだった。思い出に吊られて頬を緩めた星呉は、掛け声とともに気を引き締め直し、取り出したナイフの鞘を払った。
耳を劈くような鳴き声に、数歩飛び退る。もう仔龍は目と鼻の先だ。
「(急所って、だいたい一緒……だよな?)」
全身をびっしりと覆う黒い鱗の隙間――首や腹の肉が、呼吸に合わせて揺れる様子を観察しながら、ナイフを構える。地球上に存在する生物ならともかく、ドラゴンの急所など分かるはずがない。とはいえ、脳や目などの主要器官や臓器が急所であることは同じはず。
「……
考えられるうち、最も目立つ急所の場所を反芻しながら狙いを定める。
「うぉぉぉおおおおっ!」
自分めがけて滑空してくる仔龍を、走りながら迎え撃つ。眼前に迫った牙から身を捩りながら、しっかりとナイフに手を添え、突き出した。
「――がはぁっ!?」
龍の脚の存在を忘れていた。吹き飛ばされ、地面を転がりながら、それでも。確かな手ごたえを感じていた星呉は、期待に目を凝らした。
「…………おいおいマジかよ」
仔龍の胸元についた刺し傷に目を疑う。傷はあった、確かにつけたのだ。しかし、その傷はたちまち塞がっていき、軽度の痣程度の内出血だけを残して消えてしまう。
わずかとはいえ手傷を負わされた仔龍は、先ほどの比ではない速さで突進してきた。
「クソ、くらえぇぇぇえええ――! !」
ナイフをがむしゃらに振り回し、星呉は絶叫する。切りつけては巨体に弾き飛ばされ、攻撃が空振りすれば尻尾に薙ぎ払われ、何度も地面へと叩きつけられる。
完全に舐められていた。炎のブレスが飛んでくることもなければ、爪に裂かれることもない。
「かっ……は……」
背中から叩きつけられた衝撃に、血を吐き出す。もう何度吹き飛ばされただろう、震える足腰に力が入らず、目の前で仁王立ちしている仔龍の脚を見つめるだけの、みじめな体勢。
「兄ちゃんっ!」
遠くで声を上げたのは、おそらくぽっちゃり少年だろう。
「バカ……やろう……何で逃げねぇンだよ……」
息も絶え絶えに、声をあげる。声になっているかどうかも分からない。霞み始めた視界に映る仔龍の足が、声のする方へと向き直ろうとするのが見え、ぞわりと全身に悪寒が走る。
「くそっ……がぁぁ……」
力が欲しかった。自分には、或鳩のような知恵もなければ、彪のような武力もない。ちょっと顔がいいからという理由で女子に振り回されてきた、無力な人間だ。
好きで怖がっている訳じゃない。こんな自分でも自信を持つことができれば、きっと――
「ざっけんなぁぁぁあああ!」
自分から意識を逸らしてくれやがった仔龍の足、指と指の付け根を狙ってナイフを振り上げた。急所など考えない、靭帯を狙った決死の切っ先が肉を割き、龍が悲鳴を上げる。
のた打ち回る爪に、星呉は為す術もなく吹き飛ばされるが、その手応えに満足していた。
「へへ……ざまぁみやがれ……」
中指を立てようとして死を悟る。爪に裂かれた腕は、中ほどで千切れかけていた。
或鳩、彪、悪ぃ。自分の腕の断面観察を最期に、ゆっくりと目を閉じようとして、
「――【
星呉は、みるみるうちに塞がっていく傷に、驚きのあまり目を閉じるどころではなかった。
「危なかったねぇ。完全に千切れていたら、くっつかないところだったよ」
笑い飛ばすように、しかし優しい声色が近づいてくる。
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