第六章 三バカと勇者と最終決戦

詰み

 或鳩たちが城壁を潜り抜ける頃には、戦火は随分と大きくなっていた。

 もうほとんど避難が済んでいるのか、あれほど賑わっていた商店街に住民の姿はなく、代わりに傷を負って軒先にもたれかかっている兵士たちが散見できる。

 突然、大きな爆発音が響いたかと思うと、街の奥から一般市民や兵士が入り乱れながら逃げてきた。どうやら、避難は済んでいなかったらしい。

 そしてほぼ同時に、城下町の両端、魔法学校と教会のある方角からも黒煙が噴き上がる。


「三つに別れよう。彪はあっち、星呉はそっち、僕様はこっちだ」

「よしきた!」

「やってやるぜ!」


 或鳩が手早く指示を飛ばすと、二人は威勢のいい返事を返して走り出す。


「……僕様は謝らないよ」


 仲間たちの姿が建物の陰に消えたところで、或鳩はぽつりと呟いた。

 無茶をさせているのは分かっている。下手をすれば死ぬだろうことも承知の上。彪の声が上ずっていたことや、星呉の手と足が同時に出ていたことも気づいている。それでも――


「必ず生きて帰るよ、必ずだ」


 だから謝らない。黒龍がなんだ、うち二頭は仔龍じゃないか。そう鼻で笑うと、ずっと震えっぱなしだった拳に、ようやく力を入れることができた。

 逃げてきた群衆とすれ違うように、間を縫ってひた走る。

 王城前で道が集束する広場まで出ると、シュヴァルベの森で出会ったあの巨龍が、口の端から噴煙を漏らしながら周囲の家を破壊している様子が確認できた。


「城の前に陣取るなんて、なかなか頭がいいじゃないか」


 努めて余裕の笑顔を作りながら、或鳩は災禍の黒龍の傍まで近づいていく。


「おい、ユベルドラッヘ!」


 怒鳴りつけると、黒龍ははたと動きを止めた。


「……言葉は通じるのか? いや、声に反応しただけかも」


 声をかけたはいいが次はどうすべきか、そう考えあぐねている或鳩を、ゆっくりと振り向いた黒龍の瞳が捉える。おおよそ生き物のものとは思えない、赤黒くギラつく瞳だった。


「おや、貴方でしたか。今日はおひとりなのですね」

「そうだ僕様だ。……って、誰?」


 テレパシーの類だろうか。思いがけなく返された言葉に、或鳩は首を傾げる。

 そんな彼を嘲笑うように、黒龍は「気づきませんか?」と鋭い牙を剥き出した。


「『私は魔物ではございません、どうかおやめください!』」

「なっ……それは」


 わざとらしく絞り出された甲高い声に、或鳩は耳を疑った。この時点で彼はもう、黒龍の正体に思い当たっていたのだが、お構いなしに黒龍は煽り続ける。


「『私は、一介の姫でしかない貴女に、勇者になるという運命を奪われた男なんですよ!』」


 両腕を広げ、刀のように鋭い爪を誇示してくる。この言葉はフローリアに対して放たれたものだが、敢えて用いたのは、或鳩たちが陰で見ていたことを知っていると挑発するためだろう。


「『お待たせしました。改めまして、ラーゼンです』。あははははははは! !」


 伸ばした腕を胸の前でたたみ、愉快そうに声を上げて嗤う黒龍。


「……してやられたよ。そういえば、憑依魔法がどうとか言っていたね」

「覚えていただけて光栄ですよ。どうです、災禍の黒龍ユベルドラッヘの雄々しさを見た感想は?」

「嬉しいよ。やっぱり宰相は裏切り者だという僕様の意見が正しかったんだからねぇ」


 誇らしげに首をもたげる黒龍に、或鳩は嘲笑で返す。それに一瞬、黒龍は苛立ち混じりに目を剥いたものの、すぐに落ち着きを取り戻して喉を鳴らした。


「裏切り? いいえ、私ははじめからこの国の敵ですよ。もっとも、ラーゼンという人間自体は元々フランドルフの国民でしたが」

「それはどういう……まさか、ラーゼンですら憑依の対象だったのか?」

「ほう、伊達に天才を自称している自惚れ屋ではありませんね」


 感心したように目を細める龍に悔しさを覚え、歯噛みしようとした或鳩は、ふと、龍の目つきと人間として接してきた際のラーゼンのそれが重なった錯覚に息を呑む。

 そうだ。王から黒子としての役目を仰せつかった際、ナタリーについて口を滑らせた自分に彪がフォローを入れてくれた時に見せた、ラーゼンの目。

 彼がオルカーンと同一人物だと知った今、これまで燻っていた謎にも合点がいった。


「……待て、待て待て待て」


 行きついてしまった記憶に、或鳩は頭を振り払う。オルカーンの死後、その屍から漏れ出した青い光。どこかで聞いたことがあるとは思っていたが、それも王に謁見した時だった。


――勇者が魔王を切り伏せた際、その躰が消滅する前に、魂だけが抜け出したとのことでした。


 ぎり、と歯を食いしばる。あのクソ国王め、何が『魔王は転生の術を操るのでしょう』だ。

 自分たちを異世界人だと知っており、かつ勇者と敵対していて、リスティッヒの性質も把握できる人物――魔王が操るのは転生ではなく、憑依の術。

 頭ががんがんと痛む。自分としたことが、何故もっと早く気付けなかったのか。或鳩は力の抜けそうになる足をなんとか踏ん張り、黒龍を見据えた。


「……お前は、魔王なのか」

「さすがです。よく気がつきましたね」


 正体がばれたところで、特に黒龍は狼狽える様子を見せない。


「わからないな。魔王ほどの人物なら、勇者の旅に関係なく襲撃すればよかったろ」

「姫様の持つ伝説の剣を警戒してのことですよ。彼女がツェーレの真の力を引き出せたことと、それ故に、人目につかない洞窟で仕留めきれなかったことは誤算でしたがね」


 ふと、黒龍は言葉を区切る。視界の端からかかってきた二人の兵士を尻尾で薙ぎ払うと、壁に叩きつけられた彼らが動かなくなるのを見届けて、或鳩に向き直った。


「骨が折れましたよ。姫様を旅に出し渋る王を、史伝に載っていた異世界人だと貴方がたを召喚して説得するのに三年ほど費やしました。ああそうそう、貴方がたについても誤算でしたね」

「僕らが……誤算?」

「ええ。王には伏せていましたが、史伝での異世界人はどういう活躍をしたと伝えられているのかご存知ですか? 脆弱ながらも呼べば無尽蔵に出てくる彼らを、かつての召喚士は身を守る盾に使っていたのですよ。私たち魔族の操る呪文から、身を守るための……ね」


 傑作でしょう? と牙を見せる黒龍に、或鳩は絶句した。


「貴方がたもすぐに息絶えるかと思いましたが、なかなかどうして、しぶといものです。どうせ元の世界に帰る方法もないのですから、諦めて死ねばいいものを」

「ちょっと待った! 今、帰る方法がないって言った!?」

「はて。どうして用意しなくてはいけないのです?」


 空とぼける言葉に、或鳩は眩暈を覚えた。いっそ意識を失えられれば楽だったろうが、金槌で打ちつけられるような頭痛がそれを許さない。思うように体が動かず、膝をついてしまう。


「……そんな。これじゃ詰みだ」

「詰みではありませんよ。まだ、死ぬという選択肢が残っているでしょう?」


 下卑た表情を浮かべた黒龍は、大きく開いた口をこちらへと向け、


「これでお別れです!」


 喉の奥で渦巻く炎を、或鳩めがけて息吹いた。

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