悪い報せ
翌朝。はしゃぎ過ぎた興奮から、フローリアたちよりも早く目覚めてしまった或鳩たちは、道の安全確認と称して、一足先にシュヴァルベの森を抜けていた。
「あいだだだだだだ!? でもキクぅ……」
「ちょっと彪。星呉のマッサージがいいのは分かるけど、気持ち悪い声出さないでくれる?」
足場が安定した辺りで、或鳩たちは寝そべっていた。うつ伏せになった彪の上に星呉が乗り、ふくらはぎを丹念に揉みほぐしている。
「鍼があれば、もっと楽に治療できるんだけどな」
ぼやく彼を尻目に、一足先に施術を受けた或鳩が大の字で朝の日射しを堪能している。
昨晩のパーカー争奪鬼ごっこは、ただでさえ足場の悪い森の中を駆け回ったこともあって、予想以上に尾を引いていた。
「ああ……コミケの開幕ダッシュを経験してなかったら死んでたね」
「おい或鳩、それ俺のセリフだぜ」
「特許か商標の登録でもしたの? まぁ、セリフの申請はできないけど」
残念だねぇ、と或鳩にほくそ笑まれ、星呉の手に力が入った。直後、悲鳴を上げて地面をタップした彪に、慌てて平静を取り戻す。
「俺、元の世界に戻ったら政界入りを目指すことにするわ。法律変えてやる」
「いや普通に医者を継げよ……というか、いつそんなセリフを言ったんだ?」
「ほら、黒龍から逃げる時。お前らは加速世界がどうのって喚いてたろ」
「あー……。そういえば、昨夜は森で黒龍を見なかったよな」
「森の奥で巣を作り直したんじゃない? 僕様の作戦勝ちだね」
「そうか? 昨夜もけっこう奥まで走ったろ、オレたち」
のほほんとダベっていた三人は、地面の揺れる音に気付いて口を閉ざした。
地震というほど大きいものではない。タタン、タタンと規則正しく鳴るこの音は――
「……馬の蹄の音?」
「確かに、時代劇とかで聞いたことあるな」
首を傾げたのも束の間、すぐにその答えはやってきた。威勢のいい馬のいななきに乗って、甲冑に身を包んだ男が走ってくる。その格好は、王城の門を守っていた衛兵たちと同じものだ。
「あれって、王都の騎士?」
「武装してるぜ」
「何かあったのかな」
或鳩たちの前までやってきた騎士が、馬を止めた。
「そこの方、すみません! この辺りで、三人組の旅の女性を見ませんでしたか?」
鐙に足をかけたまま、肩を大きく上下させ、切羽詰った声で訊ねてくる。
「それって、フロ――じゃなかった、姫様たちのことですよね。それならもう少し奥で野営をされていたので、この道を行けば会えると思いますけど……何かあったんですか?」
彪が答えると、騎士は頷いた。
「王都が
それだけ告げて、手綱を引く。ぶるっと鼻を鳴らした馬を、或鳩たちは呆然と見送った。
「おいおい、仔龍って。二日前は卵だったよな。産まれてすぐに動けるもんなのか!?」
「卵を運んで怒らせちまったのか……ああ、また俺たちのせいだ!」
パニックに陥る彪たちの隣で、或鳩が淡々と、剣をチノパンのベルトに差していた。
「今さらそんなこと考えて何になるのさ。叫ぶ元気があるなら、さっさと行くよ」
そう言って、王都に目を細める。ここからでは異変もなく、静かに佇んでいるようにしか見えないが、騎士の慌てようを見る限り確実に危険しかないだろう。
城壁をくぐった先に待つのが一昨日遭遇した黒龍であることを思えばぞっとしない。しかし、
「さぁボス戦だ! フローラたちが駆けつける前に、できることをしよう!」
或鳩は努めて明るい声を出し、一歩を踏み切った。
❤ ❤ ❤
フローリアたちが焚き火の後始末をしていると、慌ただしい声が飛び込んできた。振り返ると、闘いの儀で剣を交えた騎士の一人が、息せき切って馬を操ってくるのが見える。
「あなたは
フローリアの目の色が変わる。昨夜までの少女の顔は一瞬で消え、姫の顔になっていた。
一方、或鳩たちには馬上から話しかけた騎士も、フローリアを相手には慎んだのだろう。馬を止めるなり飛び降りるようにして跪き、
「はっ。王都に災禍の黒龍が襲撃してきました!」
「災禍の黒龍だって!?」
「本当にいたんだね……」
耳を疑ったソフィアが詰め寄る。ナタリーは後ろでおろおろと足踏みしていた。
しかし、フローリアだけは動じることなく、騎士の前に立つ。
「被害は?」
「国王様は負傷され、宰相閣下が行方知れずとなっております!」
「身内の報告なんて後でいいわ。民の避難は着手できているの?」
「はっ、ジーニー様とセルティ様を先頭に、王国騎士団が誘導しております」
彼が挙げた二人の名前に、ナタリーとソフィアが息を呑む。
「お父さん……もうほとんど魔力を扱えないのに」
「うちのババァも無茶するねぇ。でもやばいよ、教会じゃ場所が足りないわ」
大魔法使いジーニー・ラインリープ。大賢者セルティ・フォルモント。かつては現国王エドワード・フランドルフとともに勇者の任を務めた歴戦の士ではあるが、いずれも老いには敵わず、現役を退いている身。とても龍を相手に耐え切れるとは思えなかった。
「他の騎士は迎撃に当たっておりますが、親竜だけならず、仔竜と思わしき二頭もおり。姫様の持つツェーレが無ければ手に負えないと、逃げ出す者も出ております」
そう言って、騎士は頭を垂れたまま、恥じるように顔を背けた。
「……伝承が足枷となって、逆に士気が落ちてちゃ世話がないね」
「これも、憂慮すべき実情ね」
ソフィアとフローリアが頭を抱える。ナタリーだけが意図を掴みかねて小首を傾げていた。
「ええと、騎士団の練度が弱いってこと?」
「違うわ、ナタリー。……いえ、確かに騎士である以上、民のために最後まで戦わなければならないのだけれど。問題はそこじゃないのよ」
「物語なんてほとんどは誇張よ? 龍を切ったから伝説の剣なのであって、伝説の剣だから龍を切れたわけじゃない。倒しようはいくらでもあるはずなのよねぇ」
ソフィアは嘆息を吐いて、ナタリーと一緒に感心している騎士の頭を銃のグリップで小突く。
「あのねぇ。魔法主体のナタリーならともかく、騎士であるあんたが勉強不足でどうすんの」
「も、申し訳ありませんっ!」
「彼を責めても仕方ないわ。……あなたはここに残って、通行規制を布いてもらえるかしら?」
「は、はっ、畏まりました!」
すっかり恐縮した様子で馬に跨り、疾駆する騎士を見送る。
「二人とも、準備はいいわね?」
「言われずとも」
「できてるよ!」
銃と指輪を掲げて見せる仲間たちに頷いて、フローリアは左手に巻かれたスカーフをほどいた。湿布代わりの薬草を剥がすと、傷はもうほとんど完治している。
「……アルク」
呟いて、首を振る。助けを求めればいいとは言われたが、今はまだその時ではない。
彼女はほどいたスカーフを右の手首に巻きつけて、しっかりと結んだ。或鳩のくれたものをお守り代わりにすることくらいは、きっと許してくれるだろう。
力を貸して。胸に手を当てて目を閉じ、念じる。
「――行くわよ! こんなところでフランドルフを失うわけにはいかないわ!」
顔を上げたフローリアは、ツェーレを抜き払い、天に掲げて吼えた。
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