再会~SIDE GIRLS~
着替えを終えたフローリアは、剣の手入れに使う油を、集めてもらった枝葉に回しかけて指をかざした。「【
膝を手で擦りながら一連の行為を見ていた少年が嘆息する。
「剣を持たなくても呪文が使えるなら、狼の対処くらいできただろうに」
「突然のことで気が動転してて。その……裸だったし」
「だから裸でも呪文が――もういい」
図星を指されて困っていると、それを見かねたのか、彼は追撃をやめてくれた。暫しの沈黙が訪れる中、二人でじっと、まだ小さい炎を見守る。
フローリアは話を切り出しあぐねていた。少年が話を聞いてくれるのは、服が乾くまでだ。
理解してはいるのだが、何から話せばいいのだろう。上目づかいに盗み見た彼はずいぶんと冷静に見える。自分も落ち着こうとする思いとは裏腹に、胸の鼓動が激しく急き立ててくる。
「……ねぇ。クライネ村でコボルトを倒して、ナタリーを助けてくれたのはあなた、よね?」
「違う」
即答され、頭が真っ白になりそうだった。しかし、少年は気まずそうに視線を逸らし、
「厳密には僕様じゃない、僕たちだ」
ほっと胸を撫で下ろす。彼から欲しい回答を引き出すには、質問の仕方を考えなければならないらしい。プレッシャーではあったが、ひとまずは今成立した会話を大事にしていこう。
「ありがとう」
「礼を言われる理由がよく分からない。君は魔族を手にかけることに反対していたはずだよね」
「どうしてそれを……? お父様とソフィたちにしか言ってないのに」
フローリアは目を丸くした。都で出会い、クライネ村の宿でも出会い、さらにはリスティッヒたちの住む洞窟でも出会って。不思議な人だとは思ってはいたが、まさかここまでとは。
「ねぇ、どうして知っているの? あなたは一体何者なの?」
純粋に理由が知りたくて、思わず詰め寄ってしまう。
彼は鬱陶しそうに顔を遠ざけると、歯切れの悪い口調で言った。
「……僕様は天才だからね。君の様子を見ればわかる」
それは真実ではないだろう。質問が悪かったか、あるいは尋ねられたくないことなのか。フローリアは仕方なく、元の位置に戻って居ずまいを正した。
「そう。……怒らないの?」
「どうして怒るのさ」
きょとんとされ、戸惑う。父王・エドワードに魔族との共生を提案した時には、明らかに不服そうな顔をされていたからだ。しかし、今の質問で収穫もあった。少年の言葉から、少なくとも彼が、父が送り込んだ監視や護衛の人物ではないだろうということが判る。
「だって、私、何も知らなかったのよ。ううん、確執があることは気づいてた。そんな簡単に拭えるはずないのに、話せば分かるなんて信じ込んで……。人間と魔族が共に生きるなんて、理想を描いてただけ。責められても仕方ないわ」
安心からか、自分でも驚くほどに言葉が出た。いつの間にか緊張もなくなっている。
「分からないな。君が勝手に自分で自分を責めているだけだ」
「……え?」
「洞窟でのあの光景を見たくないから、共存の道を目指してるんじゃないの? 魔族と人間の確執なんて分かりきったことを改めて目にした程度で、君は進むのを止めるつもり?」
真摯な瞳に息を呑む。まるで、こちらの心を見透かしているようだった。
「でもそんなに簡単な話じゃ――」
「当然だよ。簡単に収まることなら、とうの昔に平和な世界になってる。でも問題はそこじゃない。君は責められても仕方ないって言うけど、すでに誰かが君を責めたのか?」
「……責めて、ない」
そう、責められてはいない。父王も顔を曇らせこそしたが、お前は母親に似ているなと、遠くを見つめて笑っただけだった。
返す言葉がなく押し黙っていると、少年は眉間に指を当てて唸る。
「やっぱり『森のくまさん』より『クラリネットをこわしちゃった』でプレゼンすべきだね」
「……え、何て?」「こっちの話、気にしなくていいよ」
彼は手をひらひらと振ってから、
「それにしても。どうして君は、そんなに誰かから責められると思っているのさ?」
「だって……誰も止められなかったのよ? 村の人も、リスティッヒも、オルカーンも」
「だーかーらー。そんな簡単に解決したら誰も苦労はしないんだって」
「でもオルカーンを手にかけてしまったわ。『非があるのならば、理で明らかにすべき』なんて偉そうに振りかざしながら、私は、魔族どころか同じ人間を手にかけたのよ!」
自分の犯した罪を吐露すると同時に、とめどなく涙が溢れてくる。
そんな程度で懺悔になるなどとは思っていない。しかし、堪えようにも、膝の上で握りしめた拳を濡らす雫が途切れることはなかった。少年が巻いてくれたスカーフが涙に染まっていく。
「私、どうしたら――ひゃんっ!?」
不意に額に痛みが走り、弾かれるままに顔を上げる。そこには少年の指があった。
「君はどうしようもない馬鹿だよね」
眉をひそめながら、彼は立てていた指を三つにして見せる。
「言いたいことは三つだ。一つは、オルカーンはどう表現を取り繕っても敵だということ。二つ目は、奴を殺したことが罪だと言うのなら、倒す手段を教えた僕様も共犯だということ。自分を責めるというのなら、僕様も責めるべきだよ」
言葉が挙げられるごとに折りたたまれる指に、フローリアは呆気にとられていた。
「そして三つ目。次にどうすればいいかなんて決まってるということ」
最後の指を折り畳み、少年は「分かってるよね」と目で問うてくる。
「ええと……『失敗したならまた挑めばいい』?」
「反省が抜けてる」
「ご、ごめんなさい……」
二度目の失念に、思わず首を竦めてしまう。そんな自分にに呆れるのも疲れたのか、少年は「ほんっとうに馬鹿だよね」と言いながら、肩を震わせて笑っていた。
「アインシュタイン曰く『必要な時に他人が責めてくれるから、わざわざ自分で自分を責める必要はない』。それでも自分の無力さに立ち止まってしまうなら――」
彼はこちらへ向き直り、じっと目を見据えてくる。
「『助けて』って言えばいいんだ」
かけてくれた微笑みに、フローリアは胸の奥が締め付けられるような感覚を抱いた。
嫌ではない。むしろ救われたような喜びさえ感じている。なのに、
「僕様だってやってるよ、天才は万能じゃないからね。君たちが泊った宿の薬草風呂なんかは星呉がいなかったらできなかったし、ナタリーの救出ももっぱら彪のおかげだ」
乾いたはずの涙が、また頬を伝っていく。すっと胸が楽になるようで、つかえたように苦しい。そんな初めて抱く感情に言葉が出ないまま、吸い込まれるように少年の目を見つめていた。
「……ねぇ、ちゃんと聞いてる?」
「えっ? ええ、もちろん!」
呼びかけられ、フローリアは慌てて言葉を返し、俯いた。
「その。あ……ありがとう」
頬が燃えるように熱い。しかし、相変わらず少年は何でもない様子で、
「礼はいいよ。君がはっきりしていないせいで彪たちと口論するのが面倒なだけだから」
衣服をぱたぱたと手で確認すると、立ち上がった。
「じゃあ、服も乾いたし、僕様は行くから」
「だめ、待って! まだ大事なことを訊けてない!」
背中に追い縋る。この構図は何度目だろう。今度ばかりは機会を逃すわけにはいかない。
彼はちゃんと、足を止めてくれているのだ。フローリアは下唇を噛み、自分を奮い立たせる。
「あなた、名前は?」
「……僕様は通りすがりだ。名前を教える義理はない」
「お願い、教えてほしいの。知っていると思うけれど、私はフローリア。フローラでいいわ」
たかだか名前を聞くだけだというのに、心臓がバクバクと音を立てていた。
「――衆多院或鳩。或鳩でいいよ」
ぶっきらぼうに告げて、少年は今度こそ森の奥へと去っていく。その背中が闇に消えたところで、フローリアは全身の気が抜けたようにへたり込んだ。
名前を聞けた達成感と、また彼に救われたという胸の温かさ。これほどまでに充ち足りた気分だというのに、体に力が入らないことが可笑しくて、頬が緩んでしまう。今すぐ叫んで飛び跳ねたいのに、やはり腰は抜けたまま。そんな心と体のちぐはぐさに、笑いが込み上げてきた。
「アルク、か。変な人」
ひとしきり笑って、空を見上げる。木々の間に広がる星空の隅の方で、満月がこちらを覗いていた。その優しさに、そっと手を振り返す。
「ちゃんと人に叱られたの、初めてだな……」
彼の正体は相変わらず不明のままだが、それでもいいと思える。きっといつかまた会えるだろう、そんな気さえした。その時は、もっと彼のことを知ろう。もっと自分のことを話そう。
脳裏を過った考えが、願望から決意に変わっていたことに恥ずかしくなって、フローリアは草の上に身を投げ出した。指でおそるおそる唇を撫でては、有頂天になって身じろぎする。
「や、やだ。私ったら! 口づけもまだなのに、これじゃまるで……」
ひんやりとした地面と、暖かい月の光の揺り籠。今夜は、よく眠れそうだった。
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