気付け

 自分たちが部屋を覗くため、半開きのままにしていた扉から、或鳩たちは一斉に顔を引いた。

 雑とはいえ問題なく機能するくらいには固められた木材が、みしりと歪む暇もなく破り割られ、フローリアが凄まじい速さで通り過ぎて行く。


「ひっ!」「おわっ!?」


 目と鼻の先で風刃の余波を感じた彪と星呉が竦み上がった。


「僕様は様子を見てくる。君たちは中の状況確認をしてて!」


 或鳩は一人、弾かれるように走り出す。


「……まったく。育てると決めたそばから勇者に倒れられては困るよ!」


 口では強がりながらも、膝は震えていた。陰に潜む役割の自分が一歩踏み出せば、それは表舞台に立ったも同じ。オルカーンが追撃してくれば、確実に自分は殺されるだろう。

 しかし、或鳩は見ていたのだ。吹き飛ばされたフローリアが、すでに白目を剥いていたことを。

 傍観に徹したところで全滅は必至。怯える奥歯を噛みしめて黙らせ、無我夢中で足を動かす。


「フローリアっ!」


 入口近くに倒れている姿を見つけ、滑り込む。彼女は眠ったように気を失っていた。


「ああ、せめて星呉を連れて来ればよかった……」


 少しでもオルカーンの足止めになればいいと、肉壁係に二人を残してきたのだが、考えてみれば彪一人で問題なかったかもしれない。とはいえ、戻って呼んでくるには時間がなかった。

 小さく舌打ちをしながら、或鳩はフローリアの首筋に手を当てた。脈はある。口元に耳をかざすと、微かな息づかいも聞き取れた。

 スマートホンを取り出し、カメラアプリのフラッシュ機能でライトを当てて瞳孔の確認。聞きかじりの知識に一抹の不安はあるが、おそらく対光反射とやらに問題はないだろう。


「さて、あとはどうやって起こすか、だけど」


 異常を調べるために瞼を開いただけでは、フローリアが目を覚ますことはなかった。

 或鳩は腕を組んで目を閉じ、しばし黙考する。深呼吸を一つ。


「……そういえば、彪の部屋に似たようなシチュエーションの本があったな」


 ふと、脳内次元の彼方に投げ捨てていた記憶を思い出した。いつか見たマンガやゲームの数々では、主人公が寝ているヒロインに対し、様々な『イタズラ』をしていたはずだ。

 思いつく限りを実行に移す。頬をむにむにとつまみ、張りと柔らかさを兼ね備えた胸を撫で、揉んでみる。裾をたくし上げ、滑らかなへそのラインをなぞり、脇腹をくすぐる――


「だああ、起きない! というか彪め、こんなものの何が楽しいのか理解できないんだけど!?」


 ぴくりとも反応を示されない全ての責任を押しつけ、他の解決策を当たることにした。非常に不愉快ではあるが、またも彪の部屋の記憶から参考文献とゲーム類を引っ張り出す。


「……そういえば、逆のパターンもあったよね」


 或鳩は手を打った。幼馴染やら妹やらが、主人公を起こしにくるシーン。睡眠と気絶はどうも違う気はするが、ともあれおあつらえ向きだろう。


「ええと、たしか……妄想だけはたくましい彪みたいな童貞を欲情させるために、決まって下腹部を擦り合わせてくるんだっけ? お約束と言えば聞こえはいいけど、あれだけ繰り返されて萎えないのかな。というか、チ○コがついてない女に効果があるか疑問だ」


 ぶつぶつと愚痴をこぼしながら、フローリアの腰をまたぐように膝をつく。持ち主が伏していることで不自然に傾いた剣の鞘が邪魔で仕方ない。座りやすいポジションを探そうとして、或鳩は、膝に別の感触が触れたのを感じた。

 見ると、腰に布袋と木の筒が結わえられてある。木の筒は一見して水筒だと判った。革袋の緒を緩めてみると、中には丸薬が入っていた。

 つんと鼻をつく臭いがする薬の効果は定かではないが、昨夜フローリアたちの部屋に入った際は無かった荷物。きっと、この洞窟に乗り込むために用意したものだろう。

 或鳩は取り出した丸薬を噛み砕き、木筒の水を口に含んで薬を溶かした。本来胃の中で溶け、効果を発揮するだろう薬の苦さといったらない。吐き出したい衝動を堪えながら、フローリアの頭を起こし、顎を指で持ち上げた。

 薬を口移しにするため、唇で唇を覆うように重ね合わせる。

 触れ合う部分の柔らかさと、激しい戦闘で熱を帯びた彼女の甘い香りで、幾分か苦味も和らいでくれた。喉が動いていることを横目で確認しながら、或鳩は少しずつ薬を流し込んでいく。


「んっ……?」


 やっと全てを飲ませ終えた或鳩が口元を拭っていると、フローリアは薄く瞼を開いた。

 まだ意識が覚醒しきっていないのか、瞳はとろーんと焦点が合っていない。


「あなたは……? そう、私は死んだのね。こんな夢を見るなんて――ひゃんっ!?」

「勝手に自己完結しないでくれるかな? 動いた直後だから多少は高めだけど、脈も正常、体温も正常。ちゃんと生きてるよ」


 うわ言を呟くフローリアへ、或鳩はため息をつきながらチョップをお見舞いする。

 涙目で額を抑えながら現実に帰還した彼女は、はっと目を見開くと、


「そうだわ、オルカーンは――あうっ!?」「んがっ!?」


 飛び起きた拍子に、まだ腰からどこうとしている最中の或鳩と頭を衝突させた。

 不意の一撃を喰らい、或鳩は転がるようにフローリアから離れる。


「馬鹿だ馬鹿だとは思っていたけど……君って本当に馬鹿だよね!?」

「ごっ、ごめんなさいっ」


 慌てて首を竦めるフローリア。こちらは二度目の衝撃に両手で額を抑えていた。

 それでも、或鳩よりは遥かに戦うことに慣れているためか、すぐに衝突のダメージから立ち直り、打ち付けて痛めた体に顔を顰めながら立ち上がった。

 そして自分がまだ洞窟にいることを確認すると、散らばっている剣を拾い集め、


「私、行かなきゃ!」

「待った」


 すぐに走り出そうとしたその手首を、或鳩は引き留める。


「どうやってあいつに勝つつもり?」

「どうやってって……もっと速く、もっと強く、全力でよ」

「……あのさぁ、君の脳味噌は筋肉でできているのかな? たしかに失敗したならまた挑めばいいとは言ったけれど、反省と改善を蔑ろにしてたら、また負けるだけだよ」


 眼差しから彼女の真剣さはひしひしと伝わっていたが、或鳩は失笑を隠せなかった。


「いいかいフローリア。あいつが使っている技の原理は『燕返し』だ」

「つばめ、がえし……?」

「そう、存在が不確定とはいえ伝説の剣豪として伝えられる佐々木小次郎が得意とした――ってのはどうでもいいか。とにかく、見せ技や小技から繋ぐ二段技ではなくて、強靭な手首の返しを利用しての連続攻撃。実際に戦った君なら、その威力は分かってるよね?」


 尋ねると、その凄絶さを思い出したのか、フローリアは下唇を噛みしめる。


「でも、どうすれば……」

「ほんっとうに君って奴は。その程度で、よく一騎打ちを挑んだよね」


 或鳩の嫌味に、彼女はぐうの音も出ずに小さくなった。


「連続で技がくるのなら、こっちは一度に二つを打ちこんで先んずればいい。せっかく二刀流のエクストラスキルを持ってるんだからもっと頭を使いなよ。素人の僕様でも分かる、簡単な理屈だよ?」

「一度に二つ……そうだわ、双剣術の神髄は、二つの剣へ同時に別の魔力を流すこと……」


 何かを悟ったようにフローリアが顔を上げたのを見届けると、或鳩は踵を返した。


「ま、待って! あなたの名前を――」

「さっさと行きなよ。オルカーンがここまで追ってきていないということは、ナタリーとソフィアが危ないってことだ。もたもたしてる暇はないよ!」


 或鳩は振り返ることなく、洞窟の奥へと指をさして、


「……【第三剣技ドリット・デーケン=『吹き荒べ、暴嵐を纏いて。フリューゲル・シュトゥルム』】」


 躊躇いがちに、しかし力強く地を蹴る足音を、背中で聞いていた。

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