嵐の太刀~SIDE GIRLS~
静かに愛剣を抜き払う。彼女は仲間たちに「私に任せて」と目配せをした。
心配そうにしながらも引き下がるソフィアたちを見たオルカーンは、これ幸いと歯を見せる。
「いいのですか? 三人がかりでさえ、私には及ばないというのに」
「構わないわ。これは、勇者の意地をかけた戦いだもの」
交錯する視線。すでに攻防ははじまっていた。
「なるほど。たった一日で、何かが貴女を変えたようですね」
フローリアの全身から迸る、覚悟という名の気迫に、オルカーンの顔から嘲笑が消える。残ったのは、漆黒の鎧の中で鈍い光をぎらつかせる双眸の切れ味だけ。
構え直した彼は、左足を大きく踏み出し、重心を極限まで落とした。刃を上に向けるように寝かせた切っ先の延長線は、フローリアの喉元をぴたりと捉えてくる。
その切っ先と、溜めをつくって威嚇する膝は、まるで牙を剥いて機会を窺う龍の咢そのもの。
心臓を鷲掴みされるような錯覚に、フローリアの額から汗が噴き出す。踏み出せるか? いや、仮に可能であっても、踏み出してはいけない。殺気を当てられただけで衝動的に飛びかかるような稚拙な戦い方では、到底かなう相手ではないからだ。
ふっ、と丹田から無駄な空気を押し出す。しかし、悠長に構えている余裕もなかった。
獣が牙を剥けば――あとは噛みついてくるだけなのだから。
「【
風の魔力を存分に使い、一瞬にして距離を詰めてからの突き技。以前戦った時には薙いだ刀から風刃が生まれていたが。今度のそれは、一点に凝縮された槍に近い。
フローリアは前足を蹴って飛び退ろうとして、判断の過ちに気づいた。異様な長さの刀から伸びた魔力の刃に、衰える様子が見られないのだ。
単に遠間から繰り出すことができる突き技だとたかをくくったのが拙かった。間合いを切って凌ぐにしても、その間合いが読めていなければ話にならない。
彼女はすぐに体転換への切り替えを試みた。後退するための蹴り足だった右足をそのまま軸として利用し、円を描いて体を投げ出すようにめいっぱい捻る。
その瞬間、彼女は自分の全身に滾る熱を感じた。勇者としての意地によるものか、前回負けた悔しさからくる執念によるものなのかは判らない。
しかし、考えている余裕などない。力を貸してくれるならそれでいい。フローリアは攻撃を躱した先で地に着いた左足に重心を移し、間合いを切るために跳躍した。
「遅いっ、【
すかさず追撃が襲いくる。どこにも逃げられないよう、大きく縦に払った刀による鎌鼬だ。
飛び上がっている状態では無防備。このままでは成す術もなく両断されるだろう。
「負けるものですか! 【
後手に回っている以上、出し惜しみは許されない。歯を食いしばったフローリアは、空中で体を回転させながら、青の剣『ツェーレ』を勢いに任せて、斜め下の地面へと振り下ろす。
叩きつけた水の奔流。ツェーレによって増幅された魔力は、その反動も凄まじい。仰け反るままに身体の軌道を逸らしたフローリアは、すれすれのところで風の刃をやり過ごす。
踏ん張ることをせず、滑るようにツーステップで着地。そこでもまた彼女は、体の芯から湧いてくる何かを感じた。やはり気のせいではない。早くなった血流の一つ一つさえ、意識せずとも手に取るように分かるような錯覚を覚える程に、熱く、心が盛る。
「まさか、二撃とも避けられてしまうとは」
飄々としながらも目を細めたオルカーンの呟きに、フローリアははっとする。
そうだ、おかしい。剣の打ち合いであれば、昨日の時点でも食らいつくことはできた。しかし、呪文を使われては手も足も出ず、オルカーンの動きすら見切ることができなかったはず。
それがどうだ。まるで通常の剣とツェーレとで魔力の伝導率が異なるように、昨日と今ではまるで瞬発力が違う。考えるより先に動くとは、まさにこのことかと納得するほどに、
「(体が……軽い……?)」
何故だ、何が違う? 当然装備は同じ、コンディションも昨日が特別悪かったわけではない。
体の軽さ。血流の循環。汗の代謝、呼吸のしやすさ。まるで、薬でも飲んだような変化だ。
そこで至った記憶の断片に、フローリアは息を呑む。薬の服用こそしていないが、酒を口にし、良い香りのする薬草風呂にも浸かった。そして、何より。
――何って、マッサージだけど。
少女のような少年の顔が脳裏をよぎり、彼に触れられたところが火照る。
きっと、自分は今、笑っているのだろう。
――とにかく。失敗したならまた挑めばいい。そのために反省があるんだ。
心のわだかまっていた鎖をいとも簡単に取り払ってくれた彼が、大切なことを教えてくれた彼が。心だけでなく、体に纏わりつく枷をも外してくれていたことに、ようやく気づいた。
「(そういえば、名前、訊いてなかったな)」
何故だかは知らないけれど、向こうだけ私の名前を知っているなんて。ずるいよ。
ああ、ここで倒れては、永遠に彼の名前を知ることはできくなってしまう。
リスティッヒは嘘が巧妙だった。村の人たちは恐怖から暴走してしまっていた。それでも、そんな世の中でも。自分の考えを素直に言葉にして、動じることなく我を貫ける、彼のような人間はいるのだ。確かに存在するのだ。
守らなくてはいけない。それが勇者として、国の王女としての自分の役目だ。
「この戦い、絶対に負けるわけにはいかないわね」
刹那、かっと眩い光が迸ったかと思うと、ツェーレが煌々と脈動を始める。
「な、何故です!? ツェーレは守る心に反応するはず。一人で戦っている貴女が、どうしてその力を引き出せるのです!」
想定していなかったというように、オルカーンが取り乱していた。攻撃を凌がれた屈辱と、伝説の剣の力が発動した焦燥で、血管が浮き出るほどに歯噛みしている。
「一人で戦っているわけじゃないわ。ソフィやナタリーもいてくれるし、何より私の肩には、国民全員の想いがかけられているの」
「そんなものは偽善です! 脆弱なものを跪かせてこそ王。他人を守るなど無駄でしかない!」
「あなた……悲しい人ね」
吐き捨て、フローリアはツェーレを脇の後で構えた。
「今度はこっちの番よ――【
ツェーレに乗せた魔力を逆流させ、体へと注ぎ込む。全てをかなぐり捨てて、ただ速度のみを追い求めた力によって、速攻を仕掛ける。
「ちぃ、風の剣技ですか……っ!」
自分に勝るとも劣らない勢いに目を見張りながらも、オルカーンは落ち着いて払いのけた。
剣と刀が切り結び、火花を散らしながら鍔が打ち鳴らされる。
しかし、防がれることも織り込み済みだ。フローリアは足の裏で地を掴むようにブレーキをかけ、すぐさま剣を横薙ぎにしながら距離を置く。オルカーンとて黙っているわけではない。遠ざかる間合いを一足で盗み、振り上げた刀でフローリアの剣を叩き伏せる。
鋼の雄叫びと、互いの足が地を蹴る音だけが広間に反響する。最早攻め手と受け手などという概念は存在しなかった。オルカーンが突けばフローリアも突き、フローリアが剣を振り下ろせば、オルカーンは二つの剣ごと切り上げる。
一撃一撃が必殺。どちらかが回避に失敗するか力で押し負ければ、その時点で勝敗が決する。
いける。フローリアは剣戟に集中しながらも、そう確信していた。
この戦いには決定的な穴がある。熾烈を極める速さのぶつかり合いということは、裏を返せば、互いに速さしか意識していない。速さと重さを兼ね備えたオルカーンはそれでもいいだろうが、自分の力では、いつか均衡が崩れて押し負けるタイミングが訪れる。
ならばどうするか、逆手に取ればいい。速さ一辺倒の攻撃に対して、敢えて遅い動きで機を盗む。ずれたテンポを取り戻される前に、強い一撃を叩きつけるのだ。
攻撃を払った勢いのまま、空を切るように双剣を腰へと引きつける。ツェーレに灯った魔力の光が緑から赤に変わり、新たな魔力の媒介を始めた。
フローリアは、一瞬強張ったオルカーンの表情を見逃さない。
「行っけぇぇぇぇぇぇ――
敵の刀は降り下ろしたばかりで、上半身をさらけ出している。攻撃前後の隙を最小限に抑えることはできても、まったくの無にすることはどんな強者でも不可能。
噴き出した灼熱を、好機に思いきり叩きこむ。二振りの剣が重なり勢いの増した炎をこの至近距離で放たれれば、自分でも避けることはできないだろう、渾身の一撃だった。
しかし彼女は、直後に戦慄する。振り下ろして居付いていたはずの刀が、唐突にこちらへ牙を向けたのが視界の端に映ったからだ。
「【
手が痺れるような衝撃に、剣が弾かれる。自身の身長の何倍にも膨らんだ炎の柱は行き場を失くし、岩の天井を焦がして霧散した。
なおも迫りくる刃から、フローリアは半歩分体を反らし、辛うじて逃れる。胸部のプレートを削る切っ先に、背筋が凍りつく。体勢を立て直すため、彼女は即座には後退したが、
「遅い! 止まって見えますよ!」
間合いを切って安心したのも束の間。オルカーンの返す刀から放たれた、風の刃が飛来する。
猛烈な速さの追撃を棒立ちで許してしまったフローリアは、剣を立てて防御を試みたのだが。直前の斬り上げによって感覚を麻痺させられた腕では力を押し切れるはずもなく、
「きゃあああ――――!?」
まるで連続攻撃のように剣を打ちつけてくる風に、部屋の外へと吹き飛ばされた。
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