制御不能の勝利

「うわっ……えぐいなこれ」


「一人で十匹とやり合った君が何を言ってるのさ」


 遅れて奥の間に踏み込んだ或鳩たちは、繰り広げられている惨状に立ち止まった。

 コボルトたちの姿はみるみるうちに消えていく。まして魔物の場合は遺体がフランと化して消滅するため、村娘たちの攻勢は足の踏み場に気を取られる必要がない。

 ついにコボルトの最後の一匹が駆逐され、残っている魔物はリスティッヒのみとなった。


「儂の同胞を、よくも……貴様ら、貴様らぁ!」


 肩を震わせ、リスティッヒが吼える。それだけで女性たちは竦み上がり、一斉に後退する。


「ちょっとあんた、剣を持ってるんでしょ!? あいつを殺しなさいよ!」

「えっ? いや、それは……」


 村娘の一人に詰め寄られ、フローリアは口ごもっていた。


「フローリアは、どうして戦わないんだ?」

「村の人たちが戦っている間、何もしてなかったよな」

「まったく……君たちは今まで何を見てきたのかな?」


 首を傾げている彪たちに、或鳩は白い眼を向ける。


「オルカーンと戦った時彼女が言っていたろ。魔族どころか、人間同士でも平気で刃を向けてくる人間がいるから争いがなくならないんだ、って。おそらくフローリアは魔族とも共存できる未来を目指しているから勇者に乗り気じゃなかったんだ。絵空事も甚だしいけれどね」


「そういやそんなことも言ってたな」

「オルカーンが強すぎてすっかり忘れてたぜ」


 三人は声を潜めて話しながら、煮え切らずにいるフローリアを見守る。

 しかし、当然。彼女が唸っている間、ずっと待っているリスティッヒでもない。立ち尽くした頭上めがけて、斧を大きく振り上げた。


「死ね、人間よ!」

「――控えなさい、下郎」


 声がしたかと思うと、ついに斧が振り下ろされることはなかった。振り下ろさなかったのではない。リスティッヒは、降り下ろすことができなかったのだ。

 腕の皮膚が裂け、肉は捻れ、骨まで圧し曲がり、とても斧を持てる状態ではなくなっている。


「ぐおおおあああああああああ!?」


 悲鳴を上げて蹲る巨体の前に、一陣の風が巻き起こった。


「「「あの風は!」」」


 息を呑む或鳩たちをよそに、黒い旋風はたちまち正体を形作っていく。


「脆弱な種よ、貴方に存在価値はありません――【疾風呪文ヴィント連閃シュネラー・シュヴァルベ】!」


 現れた青年は、巨体に袈裟をかけるように斬りつけ、すぐさま返す刀で反対の袈裟を斬り上げた。リスティッヒは断末魔さえ許されず、いくばくかの銀貨となって空しく地に落ちる。


「さあ、みなさん。もう安心ですよ」


 振り返ったオルカーンの微笑みに、彼について知る由もない村娘たちは歓声を上げた。


「これで村は安泰よ!」

「やっと帰れるのね!」


 仮初めの勝利に酔う女性たちは、興奮冷めやらぬままに広間を後にしていく。

 人がいなくなってはまずいと、流れに便乗して部屋を出た或鳩たちは、扉の影に隠れて中の様子を窺うことにした。






    ❤    ❤    ❤






 広間に残ったフローリアは、歯を食いしばって目の前の男を睨みつけていた。


「オルカーン……あなた、どういうつもりなのかしら」

「どういうつもり、とは心外ですね。助けて差し上げたのに」


 おどけたように刀の峰を撫でながら、オルカーンは笑ってみせる。その笑みには村娘たちに向けていたような温かさなど微塵もなく、獲物を喰らおうとする蛇の鋭さがあった。


「助けた? あんたが? 信じられるわけないでしょうが」


 抜いた銃の狙いを定めながら吐き捨てたソフィアを、オルカーンの目が射抜く。


「本当に愚かしいですね。先ほどはあれほどまでにリスティッヒを説得しようとしていたのに、私に対しては彼と同じ態度をとるなんて。ねぇ、姫様? 『落ち着いて話し合いましょう?』」

「くっ……」


 下手な物真似に頭に血が上りそうになるのを堪え、フローリアは剣の柄にかけた手を離した。


「そうね、私から言いだしたことだったわね……話し合いましょう」


 俯いたまま放った彼女の言葉に感心したように、オルカーンは目を見開いた。


「さすがは姫様、そうでなくては! 腐れ小鬼の雑魚大将とは大違いですよ!」


 愉快そうに喉を鳴らし、刀を握る手の手首に、左手を打ちつけて喝采する。


「コボルトなど、所詮は悪戯しか能のない種族ですからね。あれほどの女を差し出されたのに、手を出すことを禁じてたそうですよ? どうやら例外はあったようですが」


 視線を向けられ、ナタリーの表情が強張る。すべて、見られていたというのだろうか。


「理由がまた滑稽でしてね。女を犯すことで、人間が逆恨みすることを恐れていたからなのです。人質など犯し、痛めつけて、服従させてこそだというのに。弱さとは哀れだ」


 オルカーンは演技がかかった仕草で額に手を当て、頭を振る。


「いかがですか姫様。『非があるのならば、理で明らかにすべき』などと胸に秘めた結果、ただ翻弄されただけのご気分は? 同じ人間にすら話を聞いてもらえず、指を咥えて殺戮を眺めることしかできなかったお気持ちは!? おいたわしや、本当に哀れですね!」

「…………っ」


 止めの一言に、フローリアは目を伏せる。


「耳を傾けることはないよフローラ。あんたはあの時点で知り得る情報から、最善と思ったことをやったんだ、もう少し胸を張っていいんじゃないかな」

「うん、フローラちゃんは間違ってないよ。それに、リスティッヒを倒したのはあの人自身なのに、言ってることがめちゃくちゃだもん。挑発に乗っちゃだめ」

「ソフィ……ナタリー……」


 庇うように立ちふさがってくれる仲間の励ましを受けて、フローリアの目に熱いものが込み上げる。しかし、零れ落ちようとした涙は、オルカーンの長嘆息にせき止められてしまった。


「まったく興醒めですね。なぜ怒りを抱かないのです? 鬱憤をぶつけないのです? 勇者とは、無力な民の代表と称して魔族を殺して回る、罪業の頂点でしょうに」

「黙って聞いていれば、あんたねぇ……!」

「フローラちゃんはそんなことしませんっ!」

「いいのよ。二人ともありがとう」


 じっと目を閉じてオルカーンの挑発を聞いていたフローリアは、目尻をそっと指先でぬぐって顔を上げる。その目に宿っていた修羅に、オルカーンは歓喜した。


「それです、その燃え上がるような憤怒! やっといい顔つきに――」

「口を慎みなさい、オルカーン!」


 フローリアの一喝に空気が震えた。リスティッヒの巨体から発される咆哮を以てして、ようやく震えた空気が、である。

 華奢というほど細身でもないが、彼女の楚々とした姿からは想像もできないような声の圧力に、ソフィアとナタリーでさえ唖然としている。


「私も以前は、勇者という役目に懐疑的だったわ。……でも違った。『人間だから、魔族だから』という理由で争うことこそが悪で、勇者自体に非はないと気づいたの」

「またそれですか。先の光景を見たでしょう! そのような綺麗事がまかりとおるはずが――」

「どうかしら? 私は今日のことで確信したわ。長い歴史の中で染みついた悪習を消し去れる日は必ずくる。恐怖や嘘を取り払うことができれば、きっと」

「だからそれが妄想だと言っているのです、現に貴女は何もできなかったでしょう!」


 真っ向から見据えてくるフローリアの目に、オルカーンは非難の呪詛を投げつける。

 しかし、あれ程口車に打ちのめされていたはずの彼女の表情は、もう変わることがなかった。


「そうね。何もできなかった。けれど、ある人が教えてくれたわ。『失敗したならまた挑めばいい。そのために反省があるんだ』って。もちろん、失敗をないがしろにするつもりなんてないけれど、全てが上手くいくとも思っていない。よく聞きなさい、オルカーン――」


 そこで言葉を区切ったフローリアは、ソフィアとナタリーの間をすり抜けて躍り出た。


「困難を懼れず、何度も立ち向かっていける心の在り方。それが勇者よ!」

「な……はぁ!?」

「よく言ったフローラ! それでこそあんただ」

「うん。信じてたよ、フローラちゃん!」


 気圧され、開いた口を塞げずにいるオルカーンを尻目に、ソフィアたちが肩を叩いてくる。それをくすぐったそうに受け止めたフローリアは、その時だけ年相応の少女の顔に戻っていた。

 彼女は再び気勢を十分にして、オルカーンに向き直る。


「さあ。決着をつけましょう」

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