リスティッヒ~SIDE GIRLS~

 或鳩たちが細道に入ったのとほぼ同時刻。フローリアたちが洞窟に到着した。


「ねぇフローラ、奥で今、何か動かなかった?」


 ナタリーの魔法帽を代わりに被ったソフィアが、外との明暗の差に目を凝らしながら訊ねる。肩の上では、琥珀猫も一緒になって目を細めていた。


「ごめんなさい、見ていなかったわ」


 一方でフローリアは気もそぞろ。今しがたくぐった入口側へと、幾度も振り返っていた。

 村での準備による目立った変化といえば、彼女の腰に提げた布袋と水筒くらいか。袋の中には、道具屋で見繕った気付け用の丸薬が収められている。どちらもナタリーが疲弊している場合に備えたもので、多少激しく動いても邪魔にならない程度の大きさである。


「……気になる?」

「ごめんなさい」

「や。責めてるわけじゃないよ」


 周囲を警戒しながら、小声でやりとりを交わす。

 フローリアを浮足立たせていたのは、入口付近に散らばっていた仮面や片手武器たちだった。


「ここはコボルトの巣なんでしょ? 道具くらい落ちてても不思議じゃあないよ」

「そこじゃないの。入口にいたコボルトが持ち場を離れているだけなら、あんな散らばり方はしていないはずよ。獣か、あるいは何者かが……コボルトを倒したのかもしれないわ」


 フローリアの仮説を聞いたソフィアは、ホルスターに手を添えたままで眉を潜める。


「村人の誰か、とかかね?」

「どうかしら。あれだけ怯えていたのよ? 考えにくいわ」


 それとも杞憂かしら。そう呟いて、フローリアは周囲に気を取り直した。

 文献や城での教育で魔物についてはある程度知識があったが、何度か王国騎士団の演習に同行した彼女でさえ、魔物の巣窟を見るのは初めてだった。

 人間は――少なくとも王国の兵士は――装備を脱ぎ散らかしたまま撤収することはない。しかし、自分が知らないだけで、魔物の常識は違うのかもしれない。

 そんな懸念を抱くだけで、壁でゆらめく炎すらも妖しげに見えてくるのだから不思議だ。


「どちらにせよ、用心に越したことはないわね」


 怖気を誤魔化すように頭を振り、フローリアは暗闇に溶けている道の先へと目を光らせた。

 呼吸の音は反響することもなく、空気に吸い込まれていく。嫌に静かだ。時折はじける火の粉の音が確かに聞こえているのに、それすらも耳鳴りなのではないかとさえ思う。


「これは……扉?」

「趣味を疑う意匠ねぇ」


 目を剥くフローリアの横で、ソフィアが嘲るように唇を曲げた。

 釘から紐から、とにかくあるものを寄せ集めて作られたらしい扉の不格好さは、しかし、薄暗闇の中にあるために存在するとさえ思えるほどに据わりがいい。

 闇の中では、ぶちまけられたような漆黒の塗料も、血が飛び散った跡を思わせる。


「不気味ね……」


 城にあるの王の間のそれに匹敵するような、人が通るのに苦労しない程に巨大な扉ではあるが、やはりコボルトたちのためのもの。ドアノッカーはかなり下に取り付けられていた。

 フローリアがノックをするために屈んだその時、突然扉が開いた。

 臼を引くような重い音にフローリアが飛び退ると、空いた空間に滑り込むように、小さな仮面たちが現れた。しかし、驚いたのは向こうも同じだったようで。


「ニンゲンダ!」「テキカ?」「イヤ、オンナダ!」

「クモツカ?」「イイニオイダ!」


 すわと飛び上がりながらも、フローリアたちの姿を見るなり狂喜乱舞するコボルトたち。

 銃を抜こうとするソフィアを手で制したフローリアは、喜び勇む小鬼たちに目線を合わせ、


「私たちは敵でも人質でもないわ。リスティッヒに会わせて欲しいの」

「リスティッヒサマニ?」「ドウスル?」

「コイツラ、ブキモッテル!」「ヤッパリテキダ!」

「ち、違うわ。待って、話をしにきただけなのよ」


 念のためにと持ってきていた武器が、初めから裏目に出てしまった。彼女はどよめくコボルトたちへと無手をアピールしながら説得の続行を試みる。

 そんな甲高い喧噪に、部屋の中から響く低い声が割って入ってきた。


「騒がしいな。何をしている?」

「リスティッヒサマ!」「テキデス!」「クモツデス!」

「ビジンデス!」「オッパイデス!」


 身を翻したコボルトたちは、声の主へと口々に状況を伝えようとするが、てんでばらばらにも程がある。彼らの間を縫って部屋に入ったフローリアたちは、あまりの広さに目を疑った。

 洞窟の最奥と思われる部屋の中はなだらかなすり鉢状に広がっている。随所に形成された自然の石柱に支えられた空間は、百近い数のコボルトがひしめき合っていてもまだ余裕があった。

 地中の奥底に漂う冷気の向こう側に、一際巨大な影が座している。


「……あなたがリスティッヒね」

「いかにも」


 野太い声で空気が震えた。確かに外見はコボルトであるが、フローリアたち人間すらゆうに超える巨躯。醜く潰れた顔に大きく出た腹は、トロールと称しても差し支えないだろう。


「私はフローリア。あなたと話し合いに来たわ。人質を解放してほしいの」


 威圧感の塊を前に、フローリアは毅然と一歩踏み出した。


「……解放? まるで儂が征服し、虐げているかのような言い方だな」

「違うのかしら? クライネ村の人々を脅し、奪った。そう聞いているのだけれど」


 すると、リスティッヒは哄笑した。


「くわっははははは! 脅したと! 奪ったと! そうぬかしたのか!」


 腹の脂肪が跳ねる度、地面がぐらつく。ソフィアは顔を顰めて堪えながら、大きな声に負けぬよう、苛立たしげに叫ぶ。


「現に今朝、怯えちまってる連中からあたしらの仲間を攫われてるんだけど?」

「ふむ、今朝とな。……おお、魔導服を着た小娘のことか。なるほど、なるほど」


 何やら一人納得した様子のリスティッヒは、くっくっと喉を鳴らすと、手下のコボルトたちに目配せをする。そのコボルトたちが数人体制で担いできた巨大な斧を手に取ると、おもむろに立ち上がった。両足だけに体重をかける圧力に、床が悲鳴を上げてひび割れる。


「村の連中に騙されているお前たちに恨みはないが。返り討ちにさせてもらおうか」

「ちょっと待って! 争うつもりはないわ。私たちは、人質を解放してほしいだけよ」

「それが虚構だと言っておるのだ」


 追い縋ったフローリアを、リスティッヒはひと睨みで黙らせた。かっと剥いた目には、背筋の凍るような怒気が秘められている。


「争うつもりはないだと? 入口を守る同胞を殺しておいてよくぬかす」

「ち、違う! 落ちていた仮面や武器は見たけれど、誓って私たちは何もしていないわ!」

「その戯言を、信じろと?」


 興奮しているのだろう。リスティッヒの口端から漏れる息が、霧となって立ち昇る。


「本当よ、信じて!」

「ふむ……見たところ、貴様たちは村の人間ではないな。よかろう、真実を教えてやる」


 必死に訴えるフローリアに、リスティッヒは斧の切っ先を降ろす。柄を杖代わりにしてどっかと座り直すと、遠くを見つめた。


「儂らは元々、森で暮らしていた。時折人間をからかうことこそあったが、敵対することはなかった。しかしある日、森の奥にまで入ってきた人間が、我等を攻撃してきたのだ」

「それが……村の人々?」

「いかにも。最初は一人だった男が、一人、また一人と増え……石を投げられ、火にかけられ。追い詰められた儂らは、どうにかこの洞窟を新たな住処としたのだ」


 リスティッヒが語りだすと、控えていたコボルトたちの中は俯き、肩を震わせはじめた。当時を思い出したのか、咽び泣く者さえいる。


「この洞窟も村に近いのでな。当然、再び見つかるのに時間を要さなかった。だが幸いなことに、はじめに儂らを襲い、村の連中を扇動していた男は旅の者。村を去っていたのだ。

 戦力を失い、儂らの復讐を恐れた連中は提案をしてきた。『女子供と食糧を供物として差し出すから、村を襲わないでくれ』とな」

「そんな、まさか……クライネ村の人が言い出したことだというの……?」


 足場を失ったような感覚に、フローリアは膝をついた。

 場合によっては、リスティッヒの言葉がこちらを騙すための甘言としか思えないだろう。しかし、コボルトたちの涙を見てしまえば、二の句が継げなくなる。


「分かっただろう。儂らが脅し、奪ったのではなく、村の連中が差し出して来たのだ。断っても、送り返しても、襲わないでくれとまた送られてくる。こちらは被害者でしかないのにな。

 久方ぶりに女が送られてきたかと思えばどうだ、同胞を殺され、嘘を吹き込まれた人間が乗り込んできた。大方、連中は貴様らを利用して誤解を誘い、儂らを屠るつもりなのだろうな」

「違う……違う……落ち着いて話し合いましょう。きっと、共生の道はあるわ」


 フローリアのうわ言のような訴えも、再び斧を担ぎ上げたリスティッヒには届かない。


「立ち上がれ同胞よ! 儂らが魔族というだけで敵視し、命を奪いくる人間は、ついに儂らを滅ぼそうとしている! 理不尽という火の粉を払わず安寧はあろうか? 否、ありはしない!」

「待って、ちゃんと話を――」

「今こそ立ち上がる時ぞ。同胞たちよ、反旗を翻せ!」


 制止の声をかき消すように咆哮したコボルトたちは、雪崩を打って武器を振りかざした。

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