突入

 木造物件が軒を連ねる通りを抜けると、雑木林に出た。村と魔族の巣窟を隔てるようにそびえる針葉樹林たちは、シュヴァルベの森で見たそれとはまた違う、異様な空気を放っている。

 おそるおそる歩を進めると、意外にも自然の壁は薄く、すぐに洞窟の入り口が見えてきた。切り立った岩肌に大口を開けている横穴はずいぶんと大きい。

 そして、入口の番をしているのは、十匹近い小鬼の群れだった。


「ゴブリン? いや、フランドルフ風に言えばコボルトだね」

「それにしても、けっこうな数がいるな」


 或鳩たちは雑木林の中に身を潜めて様子を窺う。

 みすぼらしい服と木のマスクで武装したコボルトたちは、十匹全てが警戒態勢にあるわけではないようだ。半数程は、地べたに座り、休息をとっているようにも見える。それぞれ気だるそうにつるはしや手斧を引き摺っていた。

 本来恐るべき魔物の群れを前に、しかし、或鳩たちは拍子抜けの乾いた笑いを浮かべる。

 三人の中で最も小柄な或鳩の半分程度の身長しかないコボルトが、物々しい仮面や装備を付けたところで大した威圧感もない。せいぜいヒーローごっこに夢中な子供程度の脅威だろう。

 もはや完全に舐めきっている或鳩は、そっと彪の肩に手を置いた。


「さぁ、出番だ彪。君に決めた!」

「アッキッチュウー! ――って、ちょっと待て!」


 一度は飛び出しかけたものの、慌てて戻ってくる彪。


「ここはみんなで、どう突破するか話し合うところだろ!?」

「魔物を倒してみたいって言ってたよね」

「彪。ここが実現の場だぜ」


 両サイドから爽やかすぎる笑顔で親指を立てられる。


「でも数が多――」「格闘技映画では一対多の戦闘はよくあることだよな」

「武器とか持――」「拳一つで武装集団に切り込むとかロマンだよね」

「ちょ、ちょっとタンマ!」


 彪はたまらず、にじり寄ってくる能面のような笑顔を押し返した。別にやりたくないわけではない。だが、懸念される問題点を挙げるくらいはさせてくれてもいいのではないかとは思う。


「……分かった。行ってくるよ」


 彼は無駄と知りつつ、薄情な仲間たちへ恨みがましい視線をくれたあとで、覚悟を決めた。

 深呼吸を一回。頬を叩いて気合いを入れ、茂みから飛び出す。


「ホワーチャー!」

「ナンダ、テキシュウカ!?」


 気勢十分の怪鳥音は基本。雄叫びを上げながら突進する巨体に不意を突かれたコボルトたちは、ただただ呆然としていた。

 手近なコボルトの顔面へと、景気づけに飛び膝蹴りを見舞う。


「お、おおっ!?」


 気持ちいいほどに吹っ飛んだ敵に、彪自身が一番驚いていた。調子に上手く乗った彼は、そのまま目の前で居付いてしまっているコボルトの鼻っ柱に靴底を叩きつける。


「侮辱の蹴りっ!」


 大好きなアクション俳優のセリフをドヤ顔で真似て、拳を構える。


「ナンダオマエハ!」

「強敵だ。……稽古のつもりでやれや」


 決まった。彪は内心でガッツポーズをとっ――「彪、ちゃんと前見て!」――或鳩の声に我に返って真っ先に視界へ飛び込んできたのは、手斧を振り被ったコボルトだった。


「うぉ、わわわわっ!」


 慌てて間合いを切ろうとして、足をもつらせる。しかし怪我の功名か、ちょうど背後にいたコボルトを押し潰すことができた。約三十キロの身体に百二十キロが倒れ込めば、圧勝である。

 前方にいたコボルトの斧は、シンクロナイズドスイミングのように華麗に股が開いてしまったおかげで回避に成功。脚を閉じるついでに、小さな頭を蹴りつけて吹っ飛ばしておく。

 立ち上がった彪は、足元に刺さったままの斧を拾っては投げ、その持ち主だったものが消滅の際に落とした銅貨を拾っては指で弾く。斧で倒したコボルトは無視。コインが目に当たって悲鳴を上げている方へ間合いを詰めると、思いきり拳を振り抜いた。

 残り四匹にまで数が減っても、さすがというべきか、コボルトは向かってくる。

 とはいえ混乱のせいもあり、てんで統率がとれていない突撃。彪は正面から迎え撃った。金的を爪先で蹴り上げ、蹲った後頭部を踏みつける。続いても金的を蹴り上げ、飛び上がった顎をさらに蹴り上げる。またまた股の間を蹴り上げ……三匹目はそれだけで消滅してしまった。

 最後の一匹となったコボルトは突撃の足を止め、彪を見上げる姿勢で硬直した。


「ナンダコイツ……ツヨイゾ……ドウスレバイインダ……」


 思わず武器を取り落す程に怯えているコボルトに、彪は菩薩のように微笑むと、


「考えるな、感じろ」


 一転して般若の如く歯を剥き、吼え、地面すれすれから拳を打ち上げた。


「アギャァァァ――――――!?」


 打ち上がったコボルトの体は空中で霧散し、フランとなって降ってくる。それを危なげなくキャッチした彪は、そのまま親指を立てて鼻先を撫でた。

 ものの数十秒でコボルトを一掃した彼の下へ、やんややんやと或鳩たちがやって来る。


「すげぇな彪! マジで映画見てるみたいだったぜ!」

「見直したよ。ただ一つ指摘がある。鼻を触った仕草はブルース・リーをリスペクトしたつもりなんだろうけど、彼は慢性鼻炎を患ったクセで鼻を触っているだけだ、決めポーズじゃない」

「サンキュ。知ってる」


 彪はそれぞれに短く返事をしながら、戦利品の十フランを丁寧に集めはじめた。興奮冷めやらぬ様子の星呉が、それを手伝いながら賛辞を続ける。


「まるでスーパーマンだぜ。普通の高校生が異世界で魔物を倒すなんて、進化論もびっくり」


 しかし、当然のごとく或鳩の溜め息に水を差された。


「何を勘違いしてるか知らないけど、変態を伴っていない限り進化とは言わないし、進化論は嘘っぱちだよ? 地上と樹の上で生活できていた猿が人間になるなんて、進化どころか退化。選択肢が減っているとしかいえない。強いて言えば最適化だ」

「……猿から進化して、火や道具を使うようになったって習ったぜ?」

「猿でも道具を使うし、今倒したコボルトもだよ。変態を伴ってより高位の存在に進化したと言えるのは、スパイダーマンくらいだろうね」


 分かってないなと首を振りながら、或鳩はコボルトたちが遺したマスクを拾い上げる。後頭部にバンドをひっかけて被るタイプのマスクは、自分たちの顔を隠すのにちょうどよかった。


「スパイダーマン? それならハルクもじゃね?」


 或鳩から放り投げられたマスクを受け取りながら、星呉が訊ねる。


「たしかに彼も変態して力を得たけれど、コントロールできていなければ進化とは言えないよ」

「そうだな。常に怒って進化できるなら、オレと星呉もハルクになれる」


 マスクに悪戦苦闘しながら彪が口を挟んだ。なんとか被った結果、目や鼻といった主要パーツは隠せているものの、木製のマスクが今にも割れそうなくらいに不格好である。

 パッツンパッツンだと星呉が吹きだしている傍ら、或鳩は理解できないと腕を組んでいた。


「どうして? 君たちはガンマ線を浴びてない」

「アルク線なら嫌になるくらい浴びてる」


 絶句した彼に、彪はマスクの隙間から覗かせた目を満足そうに細くすると、


「さ、ナタリーを助けに行くぞー!」


 ピンクのコボルトを撃退した爽快感に、洞窟へとスキップで乗り込んでいくのだった。



 崖に大きくあいた横穴の中はさほど暗くなかった。太陽の光こそ入ってきてはいないが、代わりにコボルトたちが設置したものと思われる松明が点在している。お世辞にも均等とは言えない間隔で壁へ乱雑に打ち付けられた銅の燭台は、それでも最低限の役割を果たしている。

 風通しが良いのだろう。狭い空間にこれほどの火があるというのに、息苦しさがない。

 薄明りにぼんやりと照らされた道の奥に、木を継ぎ合わせて作られた扉が見えた。入口とは異なり番兵こそ見当たらないが、樹脂で黒く塗りたくられたおどろおどろしい模様が目立つ。

 その扉の周りだけ煌々と焚かれている松明や、周囲に積まれた木箱から覗く武器の類を見るに、何か特別な部屋であることが窺い知れた。


「ボス部屋か」「ボス部屋だね」「いかにもって感じだな」


 誰からともなく、緊張に唾を飲み込む。


「ここにナタリーもいるのかな」

「いや、その可能性は低い。ナタリーだけじゃなく村の女性たちも囚われているんだ、きっとどこかに牢部屋があるはずだよ」


 三人は安易にボス部屋へと突入するわけにはいかず、足踏みをしていた。


「でもよ、ナタリーは今朝運ばれたんだろ? さっそく凌辱とかされてるんじゃねぇか……?」

「おいやめろよ星呉! 考えたくもない」

「でも有り得るだろ?」

「……そうだけど」


 声にならない悲鳴を上げている彪をよそに、或鳩は来た道を引き返しはじめた。


「お、おい。どこ行くんだよ」

「どこって、僕らの仕事はナタリーの救出だよ? 他の道を探そう」

「でも、この部屋にいる可能性だってあるだろ」

「百パーセントないね。君たちの妄想通りナタリーが襲われているとすれば、こんな洞窟で悲鳴が聞こえてこないはずがない」


 一笑に付し、去っていく背中を、彪たちは慌てて追いかける。


「フローリアたちが来た時のために、宝箱とか用意するってのはどうよ?」

「いいなそれ。ナタリーの救出だけじゃなくて、フローリアたちのサポートもするわけか」

「バカ言え。確かにゲームの定番だけど、魔物の住処でこれみよがしに置いてある宝箱を開けると思う? 罠を警戒して放置するに決まってるよ。何より彼女たちはすでに武器を持ってるし、防具もコボルトの巣から調達したところでサイズが合わない」

「ミニサイズの服か……夢が広がるぜ」

「はみ出る……いや、こぼれるよな……」


 妄想に浸り出した星呉たちに愛想を尽かせた或鳩は、


「やれやれ……まるで脳味噌が下半身についているような体たらくだ」


 彼らが放心しながらも、ついてくることだけ確認すると、それ以上何も言わないことにした。

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