酔っ払い

「ああ、どうせスニーキングミッションをするなら、お風呂が覗きたかった……」


 夜空の下でぼやく彪に、星呉が「まだ言ってやがる」と顔を顰める。


「さっき様子を見に行ってきたけれど、もう風呂からはあがってたよ」


 駄目押しで突っ込みながら、或鳩は顔を覆う黒い麻布の結び目を締め直した。

 彼らは宿の裏手へと来ていた。下見の結果、厨房は裏口に繋がっていることが判明したからだ。食材の搬送をしやすくするためだろう、裏口の前には、いくつかの木箱も積んである。

 木箱の隙間から手を突っ込み、或鳩は一本のビンを取り出してほくそ笑んだ。


「芋の蒸留酒か。厨房に忍び込むまでもなかったね」


 肩すかしのような気もするが、クリアはクリア。さあ帰ろうとしたところで、聞こえてきた足音に身を屈める。どうやら足音は二人分。そしてその主は木箱を隔てて向こう側らしい。

 おそるおそる顔を覗かせた或鳩たちは、意外な人物を目にした。


「(店の人と……ソフィア?)」

「(どうしてこんなところに)」

「(さぁ?)」


 声を潜めた三人は、すぐに、あっと声を漏らす。


「「「(オトコグセの悪いデカパイ!)」」」


 思い当たったことは同じだった。教会でぽっちゃりデブの少年が言っていた、ソフィアの奇行。あの時は星呉が否定したのだが、今の彼女の緊張した表情を見れば、見方も変わった。


「(夜の人気のない場所、か)」

「(男と二人きりだね)」

「(おいおいマジかよ……)」


 これから始まるかもしれないことに、彪と星呉が生唾を飲んで成り行きを見守っている。


「お風呂、堪能させていただきました。夕食も、さっきからこの匂いが待ち遠しくて」

「ありがとうございます。料理長の腕は当店自慢ですから、期待していてください」


 柄にもなく丁寧な口調で話すソフィアと、おそらく宿の亭主と思われる男の対応。そのあまりの普通さ加減に、陰から盗み見る或鳩たちの目がぱちくりと瞬く。


「(……あれっ? 別にピンクな空気じゃなくね?)」

「(判断するには早いよ。当たり障りのない会話からスタートする、ムード作りの一貫かもしれない)」


 或鳩の一言ですぐに気を取り直した変態二人は、覗き見を続行する。


「実は折り入って相談が。あたしの家が孤児院なんですが、できれば将来、ここを勤め口として紹介したいんです」

「はぁ」

「もちろん、採用されるかどうかは、実際にあいつらを見てからでも構いません」

「そうですね……厨房や裏方に男手も欲しいですが、店内に華も欲しいところですねぇ」

「男女問いません。よろしければ、ぜひ王都へ。フォルモント教会で母が対応するはずです」

「そういうことならば、前向きに検討しましょう。その日を楽しみにしています」

「ありがたい。感謝します」


 話をつけると、ソフィアは深く頭を下げて去っていく。それを見送った亭主も、厨房へ入って行くと「手の空いている者は明日の仕込みをしておけよ!」とすんなり仕事に戻って行った。

 あっけなく終了した一連の光景に、再び或鳩たちは顔を見合わせる。


「これってつまり、ソフィアがビッチなわけじゃなくて、子どもたちのためってことか?」

「全く紛らわしいね。百歩譲って、応接間がなく仕事の邪魔もできないからこの場所を選んだとしても、これまでの彼女の言動からして、ビッチと思われても仕方がないよ」


 時間の無駄だったと投げやりな或鳩は、戦利品の酒を抱えて踵を返した。

 一人、ソフィアの去って行った先を見つめていた星呉が呟く。


「やっぱ誤解だったんだな。いつか、あの子にも伝わって欲しいぜ」

「何をぬけぬけと。君だって彪と一緒にエロを期待していたろ」


 背中越しにかけられた或鳩の突っ込みに、ぐうの音も出なかった。



 店内に戻った或鳩たちは、フローリアたちの部屋へ食事が運び終えられたことを確認すると、再び従業員になりすましてドアをノックした。

 旅人の疲れを癒すためと称して、それぞれのコップに酒を注いで回る。それまでは良かった。

 しかし、自室に酒を隠して、様子を見に戻った三人は驚愕する。


「みんな姫様姫様言うけれど、好きで姫になったんじゃないし、姫って肩書には目をくれても私自身を見てくれる人もいないし……分かる? ねぇ分かる?」

「あははは! ガーベルとメッサー! 見てこれガーベルとメッサーだわっはははは!」

「どうせわたしはちっぱいだもん……基礎魔法も使えないもん……駄目な子だもん……」


 誰もいない場所に向かってくだを巻くフローリア。何が面白いのかフォークとナイフを持って大笑いするソフィア。パンを指で突っつきながら、ひたすらいじけるナタリー。

 行動こそ三者三様に奇怪だが、とろんとした目だけは共通していた。


「コップ一杯……だったよな?」

「(こくこく)」

「なるほど、みんな酒に弱かったのか」


 異様な光景に後退りする或鳩たちは、しかし、振り返ったフローリアに見つかってしまう。


「良かった、ちょうどいいところに! タッセにおかわりをいただけますか?」


 姫の立場を隠してなのか、酔った勢いなのか。町娘のように叫びながらコップを掲げている。


「げ、まだ飲むのか?」

「(どうするよ?)」

「これは……チャンスかもしれない」


 手を打った或鳩はフローリアたちのコップを集めると、厨房から水をもらって戻ってきた。


「ありがとうございます。……あら? さっきの飲み物より味が控えめね」

「き、きっと味に慣れてしまっているのかと思います!」


 彪の慌て気味のフォローを理解したのかは分からない。酔った彼女たちは酒と水の明らかな風味の違いにそれ以上突っ込むことはなく、飲み干していく。

 数分後。泥酔の様な状態だったとはいえ、酒自体は少量。すぐに酔いも醒めて来たのか、部屋の中の異様な空気は鳴りを潜めていた。


「ねぇ、どうせなら気晴らしに村を見て回らない?」


 否。カオスなままだった。言葉こそ普通のようだが、目が据わっていることに変わりはない。


「ここで外出でもされたら苦労が水の泡だ。彪、止めてきて」


 せっつかれて前に出た彪は、しどろもどろと言いあぐねる。ようやく説得の言葉を考え付いたのか、改めて踏み出そうとした矢先、ソフィアが口を開いた。


「さっき店の人に聞いたんだけど、この村にはカジーノがあるらしいよ? 旅館に立ち寄る旅人向けに始めたら、発展したんだってさ」

「いいわね。行くわよ!」


 二つ返事で立ち上がったフローリアの目は、爛々としている。


「「「ええー……」」」


 目まぐるしく展開する酔っぱらいの勢いに付いて行けず、もはや空気と化していた或鳩たちは、壁際で突っ立っていることしかできなかった。


「(ゲームじゃ勇者にカジノは付きものだけど、姫様がカジノとかまずいんじゃないか?)」

「(でもここまで、フローリアが姫だってばれてねぇみたいだけど)」

「(可能性はあるね。テレビが普及している現代とは違って、戦国時代の大名なんかは民が顔を知らないなんてことがままあったらしい)」

「(王族ってのが大丈夫だとしても、女の子がカジノだろ? やばいって)」


 しかし、そんな或鳩たちの作戦会議も意味を成さなかった。


「ずっと気になってたのよね! でもお父様がダメだダメだってそればっかり」

「あたしもよ。子どもたちの手前、さすがに賢者の子孫が夜遊びはねぇ」

「教師職も同じかな。わたしも一度でいいから行ってみたいとは思ってたんだ」


 妙なテンションの高さが残る声で談笑しながら、フローリアたちは部屋を飛び出してしまう。その間或鳩たちは部屋から出ていなかったのだが、どうやら忘れられていたらしい。


「止められなかったな……」

「仕方ない。娯楽に耽るのも心の休息と割り切ろう」


 疲れ切った或鳩たちは、うな垂れたまま後を追うことにした。

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